ずっと暗い色の布で目を覆われていたので、まずは光を取り戻した眩しさに目がくらんだ。羽多野と絡み合って激しく動いているうちに緩んだネクタイがずれて視界が開けたのだ――そう気づいた栄の目に入ったのは信じがたい光景だった。
「嘘っ……!」
ベッドの端ぎりぎりに座っている羽多野と、その膝の上で大きく左右に脚を開いている自分の姿。太く充血したものを根元まで飲み込んで後孔はいっぱいに拡がっている。体を揺さぶられるたびにふるふると震える陰嚢と、その上で反り返るペニス。
すぐに目隠しをされたから、開いたままのクローゼットの扉に大きな姿見がついていることを忘れていた。そしてもちろん狡猾な羽多野は、自分たちが鏡の前で交わっていることを黙ったままでいたのだ。
「目隠し、外れちゃったな」
悪びれずに言う羽多野と鏡越しに視線が合う。一体いつから見られていたのか……いや考えるまでもない、最初からだ。
「ん、あっ」
暴れ出す前に奥深く杭を打ち込まれ、悪態をつこうと開いた口からは喘ぎがもれた。それどころか羽多野はつながった場所をさらに見せつけるかのように膝裏に腕を回し、栄の尻を持ち上げてくる。
「や、嫌だ。鏡って……信じられないこのっ」
「最低? 変態? 言われすぎてもう慣れたよ」
何かもっと新鮮みのある、心を折るような言葉を吐いてやりたいのに熱と興奮におかされた頭はうまく回らない。それどころか「絶景だ」と軽口を叩く男に膝の上で揺さぶられる、見たくもない自分の痴態から目が離せない。
「君の中を、俺のが出たり入ったりしてるのがよく見える」
「言うな!」
「どうして? こんなにきれいなのに」
羽多野が腰を引くと、濡れたペニスに引きずられるように栄の縁はめくれちらりと赤い肉がのぞいた。それどころか交合部に濁った泡が浮かびさえするのは、羽多野がすでに栄の中にたっぷり先走りを出しているからなのだろう。
こんなの全然きれいではない。ただみっともなくていやらしいだけ。なのにそんな自分の痴態を見れば見るほどなおさら栄のペニスは蜜をしたたらせ、スウェットの中の触れられてもいない乳首が尖る。
「栄」
ささやかれると体の奥がぎゅっと収縮する。羽多野が栄をファーストネームで呼ぶのは、絶頂に誘うときだけ。何度か繰り返されるうちに栄はパブロフの犬のように彼の声に反応するようになった。
「ずるい……そうやっていつも、名前」
「好きだろう? 名前を呼ばれながらいくの」
違う。好きじゃない。うわ言のようにそう繰り返しながらも、結局栄は奥を突かれ、名前を呼ばれながら白濁を吐き出した。そしてもちろん羽多野も、たっぷりと熱いものを栄の一番深い場所に放ったのだった。
* * *
先に風呂を使ったのはいつもどおり栄だった。
バスルームでひとりになってから改めて自らの下半身を検分し、絶望的な気持ちを新たにした。タイル張りの床にしゃがみこんで、昨晩からの思い出せるすべてを反芻して後悔と羞恥に悶える。
何度同じ目に遭わされても学習しない自分への罰にしたって、あんまりだ。この先数週間我慢して恥ずかしい下半身が元に戻ったとしても、今度こそ決してこの教訓を忘れまいと強く心に誓った。
――もちろん、ささやかながら羽多野への復讐だって、忘れない。
醜い欲望をさんざん発散して心身ともにさっぱりした顔の男が入れ替わりでバスルームに入るのを見届けてから、栄はそっと、ついさっきまで筆舌に尽くしがたい行為が繰り広げられていた羽多野の寝室に入り、クローゼットの扉に手をかけた。
シャワーの音。しばらくしてドライヤーを使う音。時間は十分にあった。
「あー、朝から体動かしたから腹減ったな。飯にするか?」
能天気な言葉を口にしながらリビングに入ってきた羽多野は、すぐに違和感に気づいたようだった。入り口側からはきっと、キッチンのシンクに向かって立つ栄の背中しか見えない。いや、カウンターに並ぶ酒瓶も目に入るだろうか。
それだけではなく――。
「なんか酒くさいな。どうした? 昨日の始末なら俺が……ああっ!」
栄の機嫌をとるためか、後片付けを買って出ようとした羽多野の喉から珍しく本気で動揺した叫び声。次の瞬間キッチンカウンターまで駆け寄ってきて、空っぽの酒瓶を手にする。
「まじかよ……」
そこにあるのは、昨晩ふたりで空けたウイスキーの空き瓶だけではなかった。まだ三分の一ほど残っていたペルノー 、先日半分ほど飲んで残りは料理にでも使おうと冷蔵庫に入れてあった白ワイン。買い置きのビールも、ワインも、それどころか羽多野が彼のクローゼットに隠してあったジャパニーズウイスキーに至るまで、この家の中に存在する飲用に適した酒すべての残骸が並んでいるのだった。
「……俺の秘蔵の山崎二十五年も、イチローズ・モルトも全部……」
「自業自得でしょう? 人を酔いつぶして良からぬことをするからです」
栄だって人並みに酒は好きだから、酔って失敗した記憶も生々しいとはいえ、酒瓶のキャップを外し十分に熟成したウイスキーの芳しい香りをかいだ瞬間は「もったいない」という言葉が頭をよぎった。だが、ここで甘い顔をすれば羽多野はより一層増長する。だから心を鬼にして琥珀色の液体を勢いよくシンクに流し去ったのだ。
「あー……」
人を食ったような態度で、ほとんど余裕を崩すことのない羽多野だが、さすがに今回のお仕置きはいくらか堪えたようだ。しばらくあれこれ酒瓶のラベルを確かめていたが、やがて現実を認めてがっくりとうなだれた。
「そんな顔して、羽多野さん本当は酒の味なんてわからないんじゃないですか。昨日だってせっかくのいいウイスキーを勧めるのに、香りの強いリカーとちゃんぽんするなんて」
刺々しい栄の言葉への返事もどこか力ない。
「違う、昨日は俺なりに勝負を……」
「ふうん、勝負ねえ」
やっぱり、どこまでが計算だったかはともかく、少なくとも昨晩の羽多野は悪意を持って栄に酒を勧めたのだ。企みのために秘蔵のウイスキーの一本を持ち出してきた心がけは悪くないが、あいにくこちらはもっと高級な男のつもりでいる。
「リキュール三分の二本と、高級ウイスキー一本。俺をこんなとんでもない目に遭わせるのに、たったそれだけで済むと思っていたんですか?」
最後に勢いよく水を流すと、シンクに残っていた酒はすべて下水に消えた。あとは窓を開けて酒くさい部屋を換気して、この酒瓶をすべてゴミに出せば土曜の朝の仕事はおしまいだ。
珍しくきっちり羽多野にダメージを与えることができた満足感のおかげで栄の気分はいくらか晴れた。そして、しばらく未練がましく酒瓶と見つめあっていた羽多野も、やがてあきらめたように顔を上げる。
「そうだな、まあ、高くついたけど……」
自分に言い聞かせるようにつぶやく言葉が面白くて、栄は笑いを噛み殺した。
「つまり、非を認めると?」
よっぽど悪いことをしたと後悔しているのか、そう思った栄が馬鹿だった。羽多野はじっとこちらを見つめ、それから何かとても良いものを反芻しているかのように頬を緩めた。
「いや、そのくらいの価値はあったからな。それどころか、もしかしたら安いくらいだったかも」
そのくらいの価値だと? 聞き捨てならない言葉に、不安に襲われた栄は笑顔を引きつらせた。
「羽多野さん、あなた昨晩、本当は何をしたんですか?」
「君が覚えていること以外は何もしていないって」
うさんくさいと思いつつ、すでに栄の許容量はぎりぎりいっぱい。もしまだ何かあるとしても、知らないままでいられるならばその方が幸せなのかもしれない。
それにしたって、食えない男。押さえつければしっぺ返し、甘やかせば調子に乗る。なぜこんな厄介な相手を選んでしまったのか。
でも、まあ――目の前にずらりと並ぶ合計うん十万円の酒瓶よりもこの一夜に価値があると言われれば悪い気がしないのも事実。今日のところはこれで手打ちにしてやるか、それとももう少し不機嫌な振りを続けてみるか、栄は隣に立つ男を横目で眺めながら考えていた。
(終)
2020.03.17-2020.03.26