「何って、オナホも知らないのか? さすがお坊ちゃんは違うな」
手の中にあるものを怪訝な様子で見つめる栄を、羽多野は軽口で揶揄する。
「そういう意味じゃ、ありません」
からかわれたことを気まずいと感じたのか、栄はごにょごにょと、存在は知っていても実物を見たことないのは普通のことだ……的なことを申し立てた。まあ、羽多野だってこの潔癖な男がアダルトグッズを手にとったことがあるだなんて思ってはいない。それどころか三十路になってもコンドームやローションを買うことにすら気恥ずかしさを感じるタイプだ。
「それに、ちょっとそれは俺が見たことあるのとは」
「ああ、まあ、いかにもってタイプとは違うよな」
栄にとって典型的なオナホール像がどのようなものなのか羽多野にはわからない。だが、一般的にはかの有名メーカーの「丸っこい本体にラインの入った」タイプを思い浮かべるか、ネット通販だとパッケージに扇情的なポーズをとる美少女キャラクターが描かれ本体も露骨に女性器を模したタイプもよく売られている。
羽多野が今手にしているのは、そのどちらとも違った。
筒状の透明プラスティックケースに、同じく透明の柔らかいシリコンが詰まっている。それは例えるならば飲料用ボトルや懐中電灯のようで、一見して自慰用のおもちゃには見えない。
羽多野は右手を持ち上げる。ベッドサイドランプの前にかざすとそれはキラキラと、隠微な目的とはかけ離れた輝きを放った。
「完全に透明なのって、珍しいだろ? オーストラリアのメーカーのやつで値段もけっこうしたんだけどさ」
それこそ、かの日本メーカーのものなら三つ四つ買えるくらい。高級志向の栄に使うならそのくらいの品でなければ……と思ったわけではなく、羽多野がひと目見てこの商品を気に入ったのは、ほかでもなく完全スケルトンな構造のためだった。
「いや、値段が高かろうが安かろうが、俺は興味ないですから。そういうの使いたければ一人のときに好きなだけどうぞ」
生々しい姿をしたディルドを前にしているときよりは落ち着いた様子であるところからして、栄はまだ羽多野の目的には気づいていないようだ。だが、当然ながらこれが単なる「コレクション披露」であるはずはない。
「いや、これは自分のために買ったわけじゃなくて」
そこで羽多野は栄が腰に巻いていたバスタオルをほどき、柔らかく萎えたペニスを軽く握りしめた。
「君がどうやら、こっちを使うのに未練があるみたいだからさ」
「……え? ちょっと、何言って」
ようやく目的を理解したのか、栄は動揺あらわに起き上がろうとするが、急所を握られていては思うように動けない。
「だって、そうだろう? 本当は俺みたいなのは嫌だとか、本当はこんなセックスするはずじゃないとか、谷口くんはいつだって文句ばかり。挙句の果てに思い通りになりそうな男相手に色目を使う始末だ。こっちは気が気じゃない」
「色目なんて使ってません!」
むきになるのは、少しくらい後ろめたいからだろうか。羽多野は数時間前に好戦的な態度をとってきたジェレミーの憎たらしい顔を思い浮かべた。いや、あいつはわかりやすいだけに、まだましだ。もしもっと――本当に天然で素朴で、栄が一発で参ってしまうような好みの男が現れたなら。
「ともかく、君はこっちを使ったセックスが好きだって言い張ってるから、たまには希望を叶えてやろうかって準備してたんだよ。親切心で」
こっちを、と言いながらきゅっと左手に力を入れる。栄はくっと眉間に力を入れて、首を左右に振った。
「そんな親切いりません。第一、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」
わかっている。ただ単に可愛い男の尻に入れたいという話をしているわけはない。自分が優位に立って、リードして、ロマンス映画のような「綺麗な」セックスが本来の理想だと。栄が言いたいのはそういうことなのだろう。
だからこそ、いい歳して夢みがちなお坊ちゃんに現実を思い知らせてやる必要がある。栄はもうそんなセックスでは満足できないし、誰かを満足させることもできないのだと。
「そういえば、前に俺、言ったよな。君と尚人くんがセックスしてるところ、一度見てみたかったって」
栄にまたがったままで、羽多野はオナホールの穴の中にローションを注ぎ込む。使いかけのボトルを持ってくるのを忘れたので、悔しいがジェレミーのプレゼントに入っていたものを使うことにした。舐めても大丈夫、無味無臭のオーガニックローション。グロテスクなディルドや味付きコンドームは趣味が悪いと思ったが、ローションだけは幸い及第点だ。
「最低です、そういうこと言うの」
栄の表情が険しくなったのは「尚人」という言葉に反応してのことだろう。確かにセックスの途中に前の恋人の話を持ち出すのはマナー違反もいいところだ。
「名前を出したのは悪かった。相手がどうとかじゃなくて、つまり俺は、君が自分のペースでやるセックスってどんな感じかなって興味があるだけだ。やっぱり、正常位でやるのか?」
「そんなの関係ないでしょ!」
瞬時に顔が真っ赤に染まるのは、図星だから。どうやらかつての栄にとってのセックスとは、羽多野の想像どおり「保健体育の教科書」「家庭の医学」に毛が生えた程度だったに違いない。羽多野は頬が緩むのを堪えきれず、微笑みを浮かべたままで一度再度テーブルにオナホールを置くと、栄の腰を抱えた。
「え、ちょっと何して……嫌だって」
ぐるりと体を裏返して、まずは四つん這いの体勢をとらせる。羽多野は背後から栄の腰に腕を回して、ペニスにオナホールをあてがい腰を振らせる、というのが最初に思い浮かんだ方法だった。だが、おもちゃに挿入できる程度に硬くしてやろうと何度か栄のペニスを擦り上げたところで、大きな欠陥に気づく。
「ああ、これじゃ、肝心のとこが見えないな」
ほぼ後背位のような位置関係で、これでは羽多野から見えるのは栄の後ろ姿だけ。うなじから背中にかけての芸術的なラインも、きゅっと引き締まった尻も絶景ではあるが、これではせっかく完璧に透明なオナホールを調達してきたのに意味がない。
「離してくださいってば……聞いてます……っあ」
騒ぎ立てる栄の言葉は無視して、前準備プラス黙らせるために性器への愛撫を続けながら羽多野はしばし考えた。栄に擬似セックスさせるのを眺めるのに一番適した体勢はどれだろう。
「谷口くん、ちょっとこっちに」
羽多野は栄の腕を引っぱりながら自身も体勢を変える。
自分はベッドヘッドに背中を預けて座り、栄には向かい合って膝立ちで脚を跨がせることにした。両手は羽多野の両肩に置くよう促した。
栄は羽多野と差し向かいで、体重を預けながら四つん這いに近い姿勢を取ることになる。要するに、正常位に比較的近い姿勢で腰を振る栄を、羽多野は正面からじっくり眺めることができるというわけだ。
「ほんっとうに、あなたってどこまでも最悪。どういう頭してたらこういう趣味悪いことばかり思い浮かぶんですか」
毒づく栄のペニスはすでに硬い。キスをしたときも、羽多野のものをくわえていたときも、栄が勃起していたことには気づいていた。半端に高まっては萎えることを繰り返しながらも、今日まだ一度も射精していないどころか、まともに触れられてもいない。
セックスがお預け状態だったのは栄だって同じ。いくら清廉ぶったところで彼だってきっと、行き場のない欲望を体の中に貯めてきたはずだ。ここにきて羽多野に応戦して部屋を出ていく選択肢を取れないことは計算づくだった。
「さあ、谷口くん。見せてもらおうか」
羽多野は栄のペニスの先端に、透明の玩具の「入り口」を押し付ける。
「嫌だってば……っ」
拒否する言葉の語尾は甘く溶ける。ピンク色に充血した亀頭が透明の筒の中にぬるりと飲み込まれるのを眺めながら、羽多野はごくりと唾を飲み込んだ。