※ジェレミーの裏側を暴く(?)お遊び要素強めのSSですので、「まぶたに蜜」のロマンティックな余韻を楽しみたい方は時間をおいてから読むことをおすすめします。
「栄さん!」
待ち合わせたのは前に話をしたのと同じ公園のベンチ。栄が近づくと、ジェレミーはにこやかに立ち上がって声をかけてきた。
「ごめん。またこんなところに呼び出して」
あんなことの後なので、栄は愛想笑いすら上手く作れない。ぎこちない表情で、微妙な距離をあけて立ち止まった。
栄とジェレミー、羽多野と神野小巻が偶然同じ店に居合わせた日からは一週間が経つ。少々過激な夜を過ごし、栄と羽多野にはそれなりに平穏な日常が戻った。
自分からジェレミーに連絡を取ることはせず、ジムからも足が遠のいていた栄なので、昨日の夕方になって「明日打ち合わせで大使館に行く」と連絡があったときにはうろたえた。だが、先日の一件の後で完全に無視を決め込むというのも大人失格に思える。
さらなるお仕置きをされてもたまらないので、ジェレミーと話をすることは羽多野に伝えてある。羽多野はいまだに下心を疑っているようで、「ちゃんと服を着て」人目のある場所ならばと条件つきでOKを出した。
栄はひどく緊張してやってきたにもかかわらず、ジェレミーの態度は以前と変わらない。変わらないどころか、何の屈託もなくデリケートな話題に踏み込んだ。
「あの後はどうなりました? 私のプレゼントが少しはお役に立っていれば嬉しいんですが」
あまりに直接的な質問に思わず咳き込みながら、頭には彼から贈られた物の数々が浮かぶ。凶悪でわいせつな玩具はすぐさま羽多野がゴミに出してしまった。でも、ローションは確か、ちょうど手近にあったという理由だけであの晩しっかり活用された。いや、そもそもは「練習用」としてのプレゼントだったことを思うと本来の役割とはいえないのかもしれないが。
しばし考えて栄は当たり障りのない回答を選ぶ。
「えっと、まあ、気持ちはありがたかったよ」
使ったとも使わなかったとも言わなかったのだが、ジェレミーは言葉の意味を勝手に解釈したようで、いたずらがばれたときのような表情を見せた。
「もしかして、彼に怒られちゃいましたか? ずいぶん嫉妬深そうでしたもんね」
そういえば栄が立ち去った後で、羽多野とジェレミーは会話を交わしたらしい。羽多野はジェレミーに不快感を持ったのと同様に、どうやらジェレミーの側も羽多野にいい印象は持たなかったようだ。
「彼にも悪気はないんだ。ちょっと誤解があっただけで」
羽多野をかばうというよりは、あのプレゼントが原因で一波乱あったことを知られたくないがために栄は心にもないことを口にした。
「気にしないでください。こちらも下心ゼロってわけではなかったので、怒られたって仕方ありません。……で、その誤解はとけて、仲直りはできましたか?」
栄が話をぼかそうとしても、ジェレミーは気にせずぐいぐいと切り込んでくる。もしかして――というかしばらく前から気づいていたことだが、この男、存外に図々しい。
もちろん彼が邪気のない顔で口にする「仲直り」が意味するものは明白だ。さっきの「お役に立っていれば」にしろ、性生活のことを聞かれて栄は居心地が悪い。だが、そもそもジェレミーにここまで踏み込ませてしまったのは自分のうかつさのせいだと思うと彼を責めるのも間違っている気がした。
「えっと、そうだな。まあ誤解は解けたんだけど……それはそれとして、俺、あのジムを辞めることにしたんだ」
早口で質問に答え、それから話題を変える。これもまた切り出すのには勇気のいる話題だが、今日ジェレミーと会うことにした目的こそが、同じジムに通うのを辞めると伝えることだった。
いつもどおりの、見るからに素朴な好青年といった笑顔を浮かべていたジェレミーだが、表情がしゅんと暗くなる。
「……え? 辞めるって?」
「家の近くの、別のジムに変わろうかなって。あとさ、悪いけどこういう風に二人で会うのも、今後はちょっと」
申し訳ない気持ちはある。最初は栄の方だって積極的に距離を詰めていったのに、ジェレミーがその気になったところで手のひらを返すなんて。とはいえ見た目にそぐわず色恋の経験は豊富そうなジェレミーがどこまで栄に本気だったかは怪しいもので、二人きりで会わないなどとわざわざ宣言すれば、自意識過剰だと思われてしまうかもしれない。
急に恥ずかしくなった栄は、慌てて余計なことを付け加える。
「あ、いやもちろん大使館に用事があるときに近況報告とか。もし仕事で俺が役に立てることがあれば君の会社に呼んでくれたっていいし」
どこまでも八方美人な自分が憎い。だがジェレミーのがっかりした様子を見ると、何かフォローせずにはいられなかったのだ。
いつもの朗らかな様子が嘘のように、ジェレミーの色素の薄い瞳はガラス玉のように生気を失っている。
「あの人が、嫌だって言ってるからですか?」
「いや、そういうわけじゃなくて。悪いのは俺で」
「でも、禁止したのは彼でしょう?」
決して詰問調ではなく淡々と問いかけられているだけなのに、栄は追い詰められている気分になった。何より、この状況は格好悪い。まさか自分が、付き合っている男に悪いからなどという理由で交友関係を制限するだなんて。でも、これが本当に羽多野のためだけなのかと言えば、そういうわけでもなくて――。
「ごめん」
栄は胸の前で両手を合わせて、改めてジェレミーに謝った。
「喧嘩やらなんやらで気が立ってるときに君と出会って、話しやすいからって距離を詰めすぎた。俺が悪いんだ。彼に言われたからってわけじゃなくて、つまり俺も……こういうのは良くないって思って」
いかにも日本人らしい謝罪をする栄に、通りすがりの英国人の好奇の視線が刺さる。注目を浴びるのは本意ではないので栄は慌てて合掌をといた。その姿を見て、ふっとジェレミーの表情が緩む。
「ちょっと焦りすぎたかもしれませんね」
「……焦る?」
「ええ、もうちょっとおとなしく様子見てたら栄さんにもあの彼にも警戒されずにいられたのに。そうしたら、もしかしたら栄さんが喧嘩して弱ってるときにでも」
再び笑顔を見せるジェレミーと対象的に、栄の背中をぞっと冷たいものが走り抜けた。
そんな栄の気持ちを知ってか知らずか、完全に普段の調子に戻ったジェレミーはにこにこと、今後も仕事上で役に立てることがあれば何でも言ってくださいと続けた。ついさっき自分が口にしたことをオウム返しにされているにすぎないのに、栄は素直にうなずくことができなかった。
栄は大使館へ戻るため、ジェレミーは地下鉄の駅を目指して、二人は並んで公園の出口へ向かう。
別れ際、こんな風に話をするのは最後だと思うと栄は気になっていたことをどうしても確かめたくなる。
「あのさ。こういうこと聞くのすごく下世話だってわかってるんだけど。ジェレミー、君って上と下どっちが?」
ベッドに入りさえすればあいつは栄を押し倒す気だったに違いない。羽多野はそう断言したが、栄はどうにも納得がいかない。自分は羽多野に組み敷かれるまではずっと天性のタチだと思って生きてきたし、今もそう信じている。羽多野が奇特なだけで、世の中のゲイほぼ全員は栄を抱きたいのではなく抱かれたいと思うに違いないと。
だから、ジェレミーとこういう話をする最後のチャンスである今、自分が正しいのだと確かめたかった。
だが――。
「どちらかといえば上ですけど、こだわりませんよ」
意を決した栄の問いに、ジェレミーはさらりと答える。
「だから栄さんが上になりたいなら、下になってお相手してもいいと思ってました。まあ本音を言えば、栄さんを抱いたらすごく可愛いんだろうなあって思ってましたけど」
栄は目を丸くした。田舎出身の素朴な好青年を気取りながら、この男は内心ではそんなことを考えていたというのか。そして自分は、押し倒したときのことを想像しながら「栄好みの奥手な男」を演じていたジェレミーの手のひらでまんまと転がされていたというのか。
「俺、人間不信になりそうだよ」
栄がぽつりと呟くのを聞いているのかいないのか、ジェレミーはふと思い出したように続ける。
「でも、栄さんの彼氏もいい男でしたね」
「は!?」
「栄さんとは全然雰囲気違いますが、ああいうクールに見えてがつがつしたタイプも私、好きです」
冗談めかした口調だが、その目には本気の光が宿っているような気がして栄は焦った。
「ちょっと待てジェレミー、まさか」
だが、身を乗り出す栄の勢いを抑えるようにジェレミーは首を振る。
「いえいえ、栄さんは大事な友達ですから」
そして最後、地下鉄へ降りる階段に足をかける直前にすっと栄の耳元に囁いた。
「でも、もし彼に飽きたらいつでも教えてください。それか、二人でするのにマンネリしたら、私は三人でも大歓迎ですから」
ひらひらと手を振って去って行くジェレミーを見送りながら、栄はしばらくその場に立ちすくんでいた。
やっぱり自分には、人を見る目がないのかもしれない。
(終)
2021.05.24