ミカドゲーム(10)

「ちょっと、今は嫌だって」

 ポーズとしての抵抗を封じるように首筋に口付けながら、強引な愛撫に瞬時に凝った胸先をカリカリと引っかく。

 体は正直などというとまるで安っぽいAVのようだが、事実栄の言葉と体は頻繁に正反対のことを主張する。もちろん、ほとんどの場合正しいのは体の方だ。

 首筋を吸い上げると、栄は喘ぎながら「駄目だって」と続ける。ドレスシャツを着たときに襟から見えるか見えないかのぎりぎり――ボタンを一番上まで留めている限りは確実に隠れることを少なくとも栄は知らない――に跡をつけることは、平時であればとても許されない。だが、どこぞの馬の骨が恋人を口説こうとチャンスを狙っている姿をドア越しに黙って見守るという偉業を成し遂げた今この状況は、少なくとも羽多野にとって「平時」ではない。

「お仕置きしてやろうか、優しくしてやろうか迷っていたんだ」

 浮き出た鎖骨を舌でなぞりながら、服越しに触れている栄の股間が硬くなるのを確かめる。

「お仕置きって、そんなことされる筋合い……っ」

 息が途切れるのは、もう片側の乳首をつねられたから。最初の頃はこんな場所では感じないと言っていた栄だが、意地を張れば張るほどしつこくされることに気づいたからか、最近では胸が性感帯であることを受け入れているように見える。

「昨晩は谷口くんも痩せ我慢してたんだと思ったら可愛くて、さっきの件はなしにしてやろうかと思ったんだが。あんまりに往生際が悪いから、やっぱり意地悪したくなってきた」

「や、痩せ我慢!?」

 そんなもの、していない。そう続けたかったはずのところを飲み込んだのは、これ以上「往生際の悪さ」を見せると羽多野を煽る一方だと判断したのか。それとも口を開いたままでいたらいやらしい喘ぎがこぼれるからなのか。

 いずれにせよ、羽多野にはもう完全にスイッチが入ってしまった。さっきの言い訳が事実で、栄が今後円安対応のためもっと忙しくなり本格的な禁欲期間を余儀なくされるのであれば、この週末こそ最後のチャンスということになる。とても紳士ぶっている場合ではない。

「部屋に戻ってから、何してた? セックスのこと考えた?」

 ぷっくりと膨らんだ乳首をクリクリと弄りながら質問すると、栄は困ったように眉をひそめる。間違えれば敏感な場所をまた強くつねられると思って躊躇しているのかもしれない。

 だが、この場合一番の間違いは、答えを濁すこと。「ん?」と返事を促しながら指先に込める力を微かに強くすると、意図を察した栄は首を微かに振った。縦とも横ともつかないなんとも微妙な動きだが、羽多野は「イエス」と受け止めることにする。

「谷口くんは、どういうセックスを妄想するのかな。君はひどくされると感じるから……こういう風にされるのを思い浮かべた?」

 浮き出た鎖骨をカリッと噛むと、栄は小さく声をあげる。胸先に警戒を向けていたから、首筋を攻められるとは想像していなかったのだろう。フェイントはいつだって効果的。注意が首筋に向いたところで羽多野は改めて乳首を強く摘み、シャツの摩擦を利用してねちっこくいたぶる。

「し、してない。確かにちょっと拍子抜けはしたけど……疲れてたからすぐ寝ました。あなたこそ何してたんですか」

 当初と比べると、ずいぶん本音に近づいた。薄いコットンを持ち上げる突起もそろそろ食べごろ。真っ赤に色づいたそれを直接口に含みたいのが本音だが、羽多野はもう少しだけ遠回りを選ぶことにした。

「聞きたい?」

 隠微な笑みで見下ろしてから、シャツを着たままの栄の胸に顔を埋める。

「あ、っ」

 濡れた刺激。声は一気に甘さを増す。唾液を垂らすと水分を含んだシャツが透けて、膨らんだ朱色の乳首がくっきりと浮き上がった。

 反対側も同じようにしてから、羽多野は上半身を起こして、横たわったままの栄を見下ろす。

 服は上下ともしっかり着込んでいるのに、両胸の真ん中だけがいやらしく透けている。髪は乱れて、唇は濡れて、股間ははっきりと持ち上がっている自分の姿を、まだ正気を手放せていないからこそ栄ははっきりと認識することができる。そして自らの羞恥心に煽られてなおさらに体を熱くするのだ。

「こういうの嫌だって……」

 引き返すことはあきらめたのか、栄は腕を持ち上げてボタンに指をかける。服を着たまま半端に乱れた倒錯的な姿を見られるよりは、さっさと脱いでしまいたいのだという本音が透ける。だからこそ、羽多野はやんわり腕を押さえて栄の動きを制止した。

「もうちょっとだけそのまま」

 下半身を押さえる膝に力を入れると、反射的に栄の動きが止まる。

 最初に触れたときを除けば一度だって暴力的に押さえつけたことはないのに、「ベッドの中で敵わない」先入観は栄を縛り続けている。逃げようと暴れた結果レスリングのようにみっともなく押さえつけられるならば不戦敗を選ぶのが栄だ。だから羞恥に顔を赤くしながらも、栄は標本箱にピン留めされた虫のように動きを止めて、羽多野は恋人の恥ずかしがる姿を存分に楽しんだ。

 興奮のせいで羽多野も暑さを感じはじめていた。シャツを脱ぎ捨て、ここからどう進めようかといったん動きを止める。栄の目に悲壮が混ざりはじめるのが可愛くて、ぞくぞくと湧き上がる欲情には他分に嗜虐心が混ざっている。

「苦しそうだな。楽にしてやろうか」

 もう少しだけいじめてみたい。羽多野は裸の腕を伸ばして栄の履いているボトムの前を開く。勃起を包み込んだ下着が盛り上がっているのが実に卑猥で、浮き出た茎を指先でつうっとなぞった。

 前開きであれば、窓から勃起したペニスだけを露出させても面白かっただろうが、残念ながら栄は前閉じの下着を好む。羽多野がいくら勧めてもセクシーな下着を身につけてはくれないが、響にくさと通気性の良さをアピールしたところ最近では機能性繊維を使った薄手のボクサーブリーフを使ってくれるようになった。

 使用感が良いものなので純粋な善意も三割くらいはあるが、羽多野の考えることなので七割は欲望。形こそ普通のボクサーだが、圧倒的に薄手なのでペニスも尻も形がくっきりと浮き上がる。

 腰を押さえつけながら、顔を股間に近づけて布越しにまじまじと勃起を観察する。

「羽多野さんっ!」

 譲歩しているにも関わらず増長し続ける羽多野に、栄が切実な声を上げる。だが、これは恋人同士の大切なコミュニケーションであると同時に、お仕置きでもある。多少の屈辱は味わってもらわなければならない。

 昼の光の中、羽多野の舐めるような視線に晒されて栄は羞恥に身悶え、勃起をますます硬くする。

「昨晩はさっさと寝たというのは、嘘じゃないみたいだな」

 たっぷりとした根元の膨らみも、視線に耐えきれず簡単に濡れはじめる先端も、少なくともここ数日は射精していないことを告白している。

 吐く息が触れる近さまで唇を勃起に近づけたところで、ふっと小さな声が聞こえる。

「――あなたは?」

 高まる熱に我を忘れる前の、正気の元でこぼれた問いかけ。

 きっと昨晩、寝室が閉じていることに落胆して、逡巡しつつもドアノブに手をかけることができず、一人で欲望を散らすこともできず眠ってしまった栄もまた、羽多野の本音を知りたがっているのだ。

「俺は、なかなか眠れなかったよ。君をひん剥いて泣かせるところを想像して悶々としてた。でも」

 と、そこで栄の太ももに自らの股間を擦り付けて、熱さと硬さを知らしめる。

「我慢しておいて良かった。やっぱり自分の右手よりは、君の方がずっといい」