窓にはすでにシャッターが下りている。玄関だってちゃんと施錠しているはずだが、それでもホテルで体を重ねるのとは全然違っている。万が一、万が一にでも何かの間違いで未生の家族が戻ってきたらどうしよう。ソファに押し倒されながら尚人は不安で落ち着かない気持ちのままでいた。
しかし未生は尚人の動揺をむしろ面白がっているかのように早急に手を伸ばし、ニットとその下に着ているシャツをまとめて捲り上げると胸元に口付ける。
「……っ」
唇の先で軽く触れられるだけで全身がおののく。反射的に背中を浮かせると、未生はそこに腕を回して尚人の体が逃げられないようしっかりと抱きしめた。
「ちょっと、待って……まだ……」
何が「まだ」なのかは自分でもわからない。ただ何か言葉を口にしなければ、代わりにこぼれるのがみだりがましい吐息だけになってしまう。
最初の日に尚人がそこでは感じないと告げて以来、未生は意地になっているかのように抱き合うたびに時間と手間をかけて胸に触れてくる。今日も同じだ。身を捩る尚人を押さえつけ、片方の乳首を舌で刺激するあいだにもう片方を指先で擦り、かすかな突起に過ぎないそこを育てようとする。
「ん……っ、あ」
不思議なのは、そうやって手や口――それに言葉でなぶられているうちに、尚人の体も敏感に反応を示すようになってきたことだ。ぷくりと膨らみはじめたところを甘噛みされ、指で揉まれると体中の神経がそこに集まったかのような感覚に襲われる。
「ほら、すぐこんなになるのに。感じないなんて嘘、どうして吐いたんだよ」
「――っ」
あっという間に尖りきった場所を指先でぴんと弾かれると、電流が走るような強い刺激が腰まで突き抜ける。同時に下着の中がきつくなり、そんな自分のことが恥ずかしくてたまらない。
嘘じゃない、と絞り出そうとした言葉は浅い喘ぎ声に変わる。だって、本当に知らなかった。未生に抱かれるようになるまでそんなちっぽけな場所に触れられるだけでこんなにも乱れてしまうなんて、尚人は知らなかったのだ。
乱暴な物言いや態度と裏腹に未生の愛撫は細やかだ。キスと性器、そして挿入される快感しか知らなかった尚人のあちこちをまさぐり、抱き合うたびに新しい性感帯を探り出す。耳の裏、臍、膝裏から足指まで、これまで意識したことなかった場所を撫でられ舌でなぞられるたびに、これまで自分自身の体のことを何も知らなかったのだと驚かされた。
胸への刺激はそのまま下半身に直結する。いよいよ我慢できなくなって下着の中でぬるついているものを押し付けると、その感触に気付いたのか未生が顔を上げた。そのまま望む場所に刺激を与えてもらえるのだと尚人の心は期待でいっぱいになるが、投げかけられたのはこれまでにない言葉だった。
「なあ、時間あるんだし今日は俺も気持ちよくしてよ」
「え?」
理解が追い付かず聞き返す。というよりこれまでの三回の逢瀬では未生もそれなりに気持ちよさそうな顔をしていたし、もちろん避妊具を付けた上ではあるが尚人の中で達していた。なのに「今日は」なんて、今まで実は物足りなさを我慢していたとでも言いたいのだろうか。
不安と不満を浮かべた尚人の額を未生がぱちんと軽く弾いた。
「そんなおぼこい顔して見せても駄目。ちょっとくらいサービスしてくれたっていいだろ」
腕を引いてソファから起こすと未生は尚人を床にひざまずくよう導く。目の前に座って脚を開いた未生がデニムのジッパーを下すのを見て尚人はようやく自分が何を求められているのかを自覚した。
「未生くん、これ」
ためらいもせず目の前にさらけ出されたペニスは半勃ち状態でもそれなりの質量を誇っている。こんなものが更に猛った状態で自分の体内を貫いていたのだと思うとぞっとするが、もちろん体がざわめくのは怖さだけのためではない。触れることもできずただ眺めていると、未生が軽く眉をひそめる。
「……まさか知らないとか言わないよな。それか、知っててもやったことないとか」
「いや、あるけど……」
ただし、経験が多いとは言えない。尚人と栄の淡白な行為の中で口淫は不可欠の行為とはいえなかったし、ごくまれに求められても尚人が咳き込んだりえずいたりするたび栄は「ごめん、もういい」と謝った。そのときは栄の優しさに感激したものの、セックスレスが続くようになれば過去の自分の行為ひとつひとつが実は恋人を失望させていたのではないかと思うようになり、尚人は自信をなくした。
「じゃあ、咥えてよ」
栄だったら死んだって口にしないような直接的な要求に、尚人はうなだれる。
「でも、多分下手だと思う」
未生は栄と違って遠慮とも気遣いとも縁遠いから、きっと尚人の行為の拙さに、あからさまに失望するだろう。下手だとけなされてショックを受けるよりは、あらかじめ自己申告した方が傷は浅いし、あわよくば行為を許されるのではないかという期待もあった。
だが未生は尚人の頭に手を伸ばし、有無を言わさぬ様子で自分の股間に顔を近づけさせる。
「下手? それはそれで面白いじゃんか」
僕は全然面白くないけど。心の中でつぶやきながらもここに至って逃げることもできない尚人は目の前のものを手に取った。
まだ完全には固くなっていないものを握り、加減がよくわからないので自慰のときの感覚を思い出しながら軽く擦ってみる。ぴくりと手の中に反応があって先端が持ち上がったので、思い切って先端を口に含んだ。
滑らかな感触は目を閉じればますます生々しく感じられる。もちろん体の中に入れるという意味では性交と変わりはないのだが、自ら積極的に唇や舌を這わせ味を感じる行為にはより一層の背徳感があるような気がする。尚人は意識して頭の中から栄のことを追い払いながら未生の性器を愛撫した。
喉にまで迎える勇気はないのでせいぜい口に入るのはくびれの少し先までだ。それをなめたりしゃぶったりしながら手指も使い、少しでも満足してもらおうと尚人は尚人なりに必死だった。そして、丹念に触れれば口の中のものは硬度を増していく。
「あ……、う」
頭上からは未生の吐息、それなりに感じてくれているのかと思えば真剣にもなるが、続けているとだんだん顎がだるくなってきた。
いつ終わるのだろうか。未生からの終了のサインを待つのか、それともこのまま射精させるまで続けるのか。咥えはじめと比べればすっかり形は変わったし口の中にはじんわりと苦みを感じる。でも最後まで導けるかと言われれば、これ以上何をどうすれば良いのかわからない。
戸惑いながらもしびれる口で何とか舐め続けていると突然頭をつかまれ、尚人の口は自由になった。
口淫に夢中で呼吸もままならなかったからか頭はぼんやりしている。尚人は顔を上げて自分を見下ろしている未生に視線を向けた。閉じきれない口の周りは唾液にまみれて、こんな滑稽な表情きっと栄には死んだって見られたくない。だがそんな情けない姿を見て未生は満足げに笑い、足先で尚人の股間をぎゅっと押した。張り詰めてぬるついた感触は伝わっただろう。だが未生はそこで一旦行為を止めると尚人の腕を引いて立ち上がった。
「……まあ、さすがにこれ以上やって汚すと面倒だし」
視線を落とすとフローリングの床にはすでに飲み込み損ねた水滴がいくつも滴っている。床ならまだしも高級そうな革張りのソファに染みをつけてしまったら後始末は厄介だ。
立ち上がりながら尚人は自分の膝ががくがくと笑っていることに気付く。未生のものを舐めているうちに尚人のものも完全に勃起していて歩くのも辛い。
「だから、ここじゃ嫌だって言ったのに」
お預けのもどかしさに思わず涙交じりの不満を口にして、尚人は自分の言葉のはしたなさに赤面した。
二階の未生の部屋までどうやってたどりついたかも覚えていない。ドアを開けるなりもつれあってベッドに倒れこんで、そのまま深いキスをしながら互いの服を脱がせ合った。てっきりそのまま挿入に移るのだと思ったが、意外にも未生は尚人の腰に顔を寄せる。敏感な場所に温かい吐息を感じて尚人は思わず腰を引いた。
「え、僕はいいよ」
下着はどろどろに濡れていて、自分のそこがみっともない有様になっているのはわかっている。そんな場所をまじまじと見つめられるのも、こともあろうか口に含まれるのもごめんだ。
「もしかして、やってもらったことないとか?」
逃げようとベッドの上を這いあがる尚人の腰をつかんで未生が言う。
「う、うん」
隠しても仕方ないので尚人はうなずいた。
「うわ、ひっでえ。一方的に奉仕させられてるだけなんだ」
未生はいかにも憐れむような口調になるが、そんな風に言われるのは不本意だ。栄は一度だってセックスで尚人に何かを強要したことはないし。栄が尚人のものを口にしないのが、決して悪気があるわけではなくて潔癖だから仕方のないことだ。
「うるさいな。そういうんじゃなくて……ひゃ、あ」
「いいから」
抗議の声は喉の奥に消える。未生は尚人の腰をがっちり抱えると、反り返ったペニスをあっさり口に含んでしまう。一瞬抗おうとするが軽く歯が当たった瞬間に尚人は動きを止めた。
慣れている未生が行為に長けているのは当然だ。熱くぬるりとした場所に先端を包まれて、それだけで尚人の腰は抜けそうになった。
「あ……あっ」
粘膜に愛撫される感触を知らない尚人にとって初めての口淫はあまりにも強烈な刺激だ。目の奥で星が散り、何も考えられなくなる。舌だか唇だかもわからない何かで筋やくびれを撫でられ、とろけそうになったところで先端を強く吸い上げられる。
「――ん、あ、あぁ……」
救いを求めるように尚人は手を伸ばす。見た目よりは柔らかい未生の髪が指先に触れ思わず力任せに引っ張ると、仕返しのように未生は尚人の陰毛を指先で軽くつまんだ。普段ならば痛みで声を上げたくなるような行為すら甘い刺激となり尚人は唇を噛んだ。
だが、もう少しで絶頂が見えそうなところで未生は突然手を止め、尚人のそこから口を離す。
「み、未生くん?」
声には意図せず甘くねだる響きが混ざる。でも、そんなの仕方ない。こんなに限界まで高められて急に放り出されたのだ。男なら誰だってわかるはずの苦しみをあえて与えてくる未生のことが憎らしい。
涙目でにらみつける尚人に向かって、身を乗り出した未生は薄く笑って艶めかしく濡れた唇を拭う。
「こういうこと、自分からやってほしいって言ったこともないの?」
「ない。ないって……そんなの」
尚人は必死に首を振った。未生はさっきのやり取りをまだ気にしているのだろうか。でも事実は事実だ。だって尚人は口で触れられる気持ち良さをいまのいままで知らなかった――いや、知っていたって栄に向かってそんな恥ずかしくて浅ましいことを言えるはずがない。
それでも目の前の男はそんな尚人の矜持をずたずたに引き裂いていくのだ。
「どうなの? 止めてほしい?」
からかうような言葉が耳に吹き込まれると何もかもどうでもよくなる。尚人は両手を伸ばして未生にすがりつき懇願する。
「や、やめないで欲しい」
快楽を乞い願う言葉は聞き入れられ未生は再び尚人の欲望を口に含む。
どうしよう。尚人は混乱と快楽に泣きたくなった。
未生はこうやって抱き合うたびに尚人の体に新しい快感を教え刻み込んでいく。栄しか知らなかった体を少しずつ作り変えて、未生を求めずにはいられないように仕向けられていく。こんなことを続けていたらどんどん自分は駄目になっていく。栄ならば触れない場所を愛されることを覚えて、もしいつか未生なしでいられなくなったとしてその先にあるのは――。
頭に浮かぶのは冷たい表情。
別れを告げられて泣きそうだった美しい女の子の顔。
「尚人? 急になんか……」
口の中のものが突然勢いを失った違和感に、未生が顔を上げる。訝しげな視線を投げかけられて尚人は、自分が一瞬とはいえありえないことを思い浮かべていたことに気づいた。
「な、なんでもない」
あわてて目を閉じて頭の中から余計なことを追い払う。未生のことも、栄のこともいまはどうだっていい。この瞬間はただ、目の前の快楽に身をゆだねるだけだ。