83.  未生

 週刊誌の記事が出てからもうすぐ一週間になる。その間未生は父の事務所が手配したホテルに留まり、大学もアルバイトも休んだ。突然のことだったので体一つでチェックインしたようなものだったが、翌日には最低限の着替えと当座の生活費が届けられた。

 出来るだけ目立たないようにと言われ、食事は早朝を狙ってホテル内にあるコンビニエンスストアに買いに行くかルームサービスで済ます。ほとんど部屋に閉じこもりっきりの生活は退屈そのものだ。

 選挙前の重要な時期のスキャンダルを受けて、父は所属する党の幹部から厳しく叱責を受けたようだ。さすがに立場上隠れっぱなしともいかず、記事が出た翌日には記者を集めて取材に応じた。

 確かに出馬前に前妻と離婚したことは事実だが、決して選挙対策というわけではなく、その前から結婚生活は破綻していた。その後もきちんと養育費は払っていたし長男のことは気にかけていたものの母親の希望で彼らの生活に関与することは許されなかった。前妻の死後は長男を引き取り親としての責任を果たしてきたつもりだが、気持ちが伝わっていなかったのかもしれない。記事の内容は事実と異なる部分も多く、息子が誤解している部分も多いのだろう。

 普段の横柄にも見える態度は鳴りを潜め、流れる汗を拭きながら苦しい説明をする姿はどうにも情けない。しかも覚悟していたとはいえ、釈明は自己弁護に終始し、一切自身の非は認めていない格好だ。

 ただ未生を失望させただけの会見の最後には、さらに心にもないことを付け加えた。

「家庭内の騒動で国民の皆さんや党に迷惑を掛けているのはたいへん申し訳ないことだと思っております。感情のこじれというのはなかなか難しいものですが、今後も息子との関係改善には努めて参りますので……」

 テレビを付ければ父の顔が写り、情報番組のコメンテーターたちがしたり顔でコメントをする。もちろん父の所業や人間性を批判するものが多数ではあったが、一方で父の「誤解」という言葉を真に受けて未生の行為を幼稚な憂さ晴らしだと斬って捨てる声もあった。

 インターネットを見れば、さらに雑多な素人コメンテーターの意見があふれている。真偽のほどは定かではないが、記事中では仮名になっていた未生のことを知っていると名乗る匿名ユーザーが、「息子の側もろくでもない人間だ」と言った内容を意気揚々と書き込んでいるのも見かけた。

 そういった第三者の論評を見るのにもうんざりして、後はただスマートフォンで漫画を読んだり映画を観たり、ゲームをしたりして過ごすしかなかった。友人知人からのメッセージや電話も多いが、どれも信じることができないので一切の応答はしていない。面白がって未生の反応を確かめているだけで、その内容をネットに書き込んだり、マスコミに話されたりしないとも限らない。

 そもそもは父への復讐のつもりでやったことだが、驚くほど爽快感はなかった。未生のやったことは確かに父親本人に小さくはない打撃を与えただろうが、それ以上に自分自身を含めた周辺の人間へのダメージも大きい。父本人も反省どころかマスコミ相手に嘘と偽善をばら撒いて未生への憎しみを増しただけだろう。

 これが本当に自分が望んでいたことなのかと考えることすら虚しくて、未生は父のことを極力頭から追い出すようにした。

 何より一番気になるのは優馬のことだ。家族会議の後、去り際に真希絵は「未生は優馬を傷つけるようなことだけはしないと思っていた」と失望したように吐き捨てた。言い訳のようだが未生自身にも優馬を傷つけるつもりは一切なかった。

 父からも真希絵からもその後一度も連絡はない。連絡役になっている羽多野からはほぼ毎日様子確認のような電話がある。だが、未生が優馬の様子を訊ねたところで、得られるのは「お母さんと一緒にいるから大丈夫なんじゃないか」という曖昧な返事だけだ。

 何度か優馬のキッズ携帯に電話を掛けてみようかと思った。だが、この世で唯一自分に信頼を寄せてくれていた弟が、家族を困難に陥れた未生のことをどう思っているかと想像すると、恐ろしくて行動に移すことはできなかった。そもそも優馬の携帯自体、不用意な外部との接触を防ぐため親に取り上げられている可能性も高いと思われた。

 結局、今回の件で追い詰められたのは父でなく自分なのだろうか。未生はいま、完全に孤立していた。

 これだけ報道されているのだからアルバイト先の店長や同僚、大学の友人たち、子どもの頃の知り合いの多くが未生の行状を知っているはずだ。これまでの素行が良かったとは思っていないし、特に強引な方法で口説いたり別れたりしてきた相手など、報道を見て良い様だと笑っているのかもしれない。インターネットに有ること無いこと書き込んでいるのも、もしかしたらそのうちの誰かだったりするのだろうか。

 もちろん――尚人のことも少しは考えた。

 あの日、未生がうっかり記者の誘いに乗ってしまったのはとんでもなく苛立っていたからで、その苛立ちの半分は父との言い争いによるものだったが――残りの半分は、尚人から強引に関係を切られた上に谷口栄からの不愉快なメッセージを受け取ったことだ。

 今回の自分の愚かな行動を尚人のせいにするつもりはないが、正直少しは栄を憎らしくは思っている。だがそんな憎しみすら、多分もう意味はない。

 栄は未生が笠井志郎の息子であることを知っている。今回の報道を見て、未生のことを実の父を週刊誌に売ったろくでなしであると尚人に話したに違いない。きっと尚人は失望している。常識のない駄目な奴だとは思っていたが、予想以上のクズだったと、縁を切っておいて正解だったと思っていることだろう。

「……まあ、これで良かったのかもな」

 たとえ尚人との一件がなかったとしても、いずれ何かがきっかけで未生の恨みは爆発し、今回のようなことを起こしてしまっただろう。そのときにまだ尚人と繋がっていて直接叱られたり失望の顔を見せられるよりは、会うことも声を聞くこともないいまの状況の方が少しはましなのかもしれない。そんなことを考えていると、電話が鳴った。羽多野からの定期連絡だった。

「もしもし、未生くん?」

「何か用? ていうかこの軟禁みたいな状態、本気で退屈なんだけど。ホテルのジムくらい行っていい?」

 昨日までなら同様のことを口にすれば、厳しい声で「記者に見つかりたければ好きにしろ」と言っていた羽多野だが、今日はどこか様子が違う。

「ジムはともかく、昼過ぎに車をよこすから荷物をまとめておいてくれ。二時にロビーで、俺は行けないけどアルバイトの横野さんわかるな? 彼女が連れに行くから」

「え? ここ出るの? 俺」

 正直テレビとも縁を切っている未生には一週間近い時間が経って、自分たちについての報道がどれだけ沈静化しているのか把握できていなかった。だが、話題性の高いニュースは日々山のように流れてくるものだ、もしかしたら事態は既に落ち着いて、未生が日常に戻れる算段がついたのかもしれない。

 かといって誰からも責められることのないひとりの生活を終えるのも怖い。自宅に戻れば怒り狂った父や、冷たい目をした真希絵――そして想像できない分、何よりも優馬の反応が怖い。

「あの、家はちょっと嫌なんだけど」

 未生が多少遠慮がちに切り出すと、羽多野は構ってられないとばかりに早口になる。

「だったら自分の金でホテルなり漫画喫茶なり好きにしてくれ。先生にこれ以上迷惑かけないって約束さえしてくれれば、どうだっていい。悪いけど、先生も俺たち秘書も君たち家族のお世話をしてる場合じゃなくなりそうなんだ」

「それってどういう……」

 これまでの手厚さが嘘のような突き放した言葉に未生は戸惑う。「君たち家族」には自分だけでなく真希絵や優馬も含まれているだろうから、素行を原因に未生だけを切り捨てたいわけでもなさそうだ。すると電話越しにため息が聞こえ、羽多野が告げる。

「記事の第二弾が出るらしい。今度は君や君のお母さんの話じゃない。事務所の運営――はっきり言えば、政治資金の話だ。きっと週刊春秋としてはこっちが本丸だったんだな」

「政治資金? そんな話も……」

 未生に政治はわからない。ただ、ときおり政治家の金の問題が世を賑わし、役職辞任やら辞職やら、場合によっては刑事事件になるというイメージは漠然と持っていた。

 憎い父への更なる追い打ちであるにも関わらず、驚きのあまり喜びの感情も湧かない。未生はただ呆然とスマートフォンを握りしめた。

「そういうことだから、とりあえず家に帰ってその後のことは真希絵さんと相談してくれ。彼女と優馬くんは昨日から家に戻ってる。幸か不幸か矛先はこっちに向くから、家族への取材攻勢はましになるはずだ。じゃあ」

「ちょっと待ってよ、羽多野さん」

 未生の引き留めも叶わず、次の瞬間には電話は切れていた。

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