109. 尚人

 ひとりで生きることを学ぶ時期。そんな風に気負ってはじめた新生活だったが、戸惑いも不安も日々の慌ただしさの前にすぐに消えた。最初のうちこそ栄と頻繁にメッセージのやり取りをしていたが、それぞれの暮らしが軌道に乗るにつれてその回数も減っていった。

 秋が終わるころには冨樫と進めていた新事業がローンチした。家庭教師と新事業担当の二束のわらじを履くことになった尚人が仕事に打ち込んでいるうちにいつしかコートが必要にな季節になり、ひとり身の寂しさなど感じる間もなくクリスマスそして年末年始が過ぎていった。

 そして再び冬の寒さも緩みはじめる頃――。

「相良、見ろよこのあいだの記事が掲載されてるぞ」

 意気揚々と尚人のデスクにやってきた冨樫は両手に開いた週刊誌を掲げ持っている。

「あ、本当ですね」

 不登校児支援に特化したプログラムを提供する家庭教師派遣会社について記事にしたいのだという申し入れの後に記者とカメラマンがやってきたのは先月のことだった。事業説明の他に指導現場の写真撮影、保護者へのインタビューとアレンジメントはちょっとした手間だったが、丁寧かつ好意的な内容に仕上げられた記事を見れば苦労した甲斐もあったというものだ。

 週刊誌といってすぐに頭に浮かぶのが笠井志郎前議員を巡る騒動であっただけに一抹の不安が拭えずにいた尚人は、記事を見てようやく安堵した。

「これ見て既に問い合わせの電話も何件か来てるみたい。やっぱり大きい媒体に載ると違うな。いやー、これでどんどん事業も黒字も拡大といきたいもんだね」

「それは何よりですけど、丁寧にやりたいから無理な数の申し込みを受けるのはやめてくださいね、

 調子の良いことを口にする冨樫に尚人は念の為釘を刺す。根が真面目な男であるので無茶なことをするとは思っていないが、急にメディアに取り上げられて舞い上がる可能性がゼロであるとはいえない。ここで雑な仕事をするようでは苦労して支援プログラムを作り上げた努力も無に還ってしまうのだ。

 幸いなことに尚人の懸念はただの懸念に過ぎなかったようで、冨樫は「わかってるよ」と豪快に笑いながら肩を叩いてくる。

「あくまで悩める少年少女を助けることが我々の本懐って、ね。肝に命じますよ。ていうか次の取材は相良メインで受けてくれよな。こんな中年に差し掛かったおっさんの写真より、若きインテリって感じのおまえの方が絶対見栄えがいいんだから」

 雑誌取材の際も、冨樫は盛んに顔を出しての対応は尚人がするべきだと言い張った。そのためにわざわざ「事業部長」という役職をでっち上げて名刺まで作ってしまったくらいだ。だが、目立つことが苦手な尚人はかたくなにそれを断り、結局冨樫の笑顔が紙面を飾ることになった。

「嫌です。そういうの向いてませんから。裏方はいくらでもやりますから、外向きの部分は冨樫さんお願いします。雑誌、奥さんや息子さんに見せたら喜ばれるんじゃないですか」

「ったく、優しそうに見えてわがままって言うか頑固っていうか」

 冨樫はまだ何やらぼやいているが、愛嬌のある男は写真写りも良いし尚人よりずっと広報に向いているに違いない。何だかんだと言って目立ちたがりの冨樫がメディア露出を嫌っていないことも尚人は知っている。

 そういえば今日は他にも冨樫に話したいことがあった。そのことを思い出した尚人は取材の話が一区切りついたところで切り出す。

「……そういえば、土曜日の勉強会で院時代の友人たちと会ったんですけど、事業が軌道に乗ったら何かしらコラボレーションできないかって話があって。少し外に出られるようになってきた子たちに教育学やってる学生のメンターをマッチングするとか、グループワークの支援のボランティアとかにも興味があるみたいでしたね」

 最近の尚人は、大学院の同期が立ち上げた有志の勉強会に月に一度出席している。統合支援や生きづらさを抱えた子どもへの支援を専門とする若手研究者や民間支援者が顔を合わせて互いの知見を共有しながらネットワーキングを図るというのが会の目的で、尚人は民間支援の有識者として誘いを受けた。

 尚人にとっては最新の学術動向を知ることができるという意味で新鮮であるし、研究者たちは逆に尚人のような民間支援者が持ち寄る生の事例を興味深く感じているようだ。

「へえ、大学とのコラボね。いいんじゃない」

 案の定、新しい話が好きな冨樫は食いついてくる。尚人は嬉しくなった。

「もちろんナイーブな子どもたちが多いから無責任な気持ちの学生には任せられないし、スキームや手続きは入念にやっていく必要があります。でも検討の価値はあると思うんですよね。大学の夏季休暇あたり目処に何かできないか考えてみますよ」

 そこまで一気に語ったところで尚人は、冨樫が自分を見て笑っていることに気づいた。ひどく可笑しそうに、そして何より嬉しそうに。

「僕、何か面白いこと言いましたっけ……」

  特に笑われるようなことを言った記憶はない。思わず怪訝な顔をしたところで冨樫が感慨深げに言った。

「いや、水を得た魚みたいだと思って」

 一瞬遅れて、「水を得た魚」と言うのが自分を指しているのだということに気づいた。

「最初に専業になった頃とは別人みたいだよ。知見も能力もあるから是非にと思ってうちに誘ったけど、正直あの頃は暗い雰囲気で覇気がなくて、いつまで続くかって不安だったからな。まさかここまで立派になってくれるとは、俺も見る目あるよなあ」

「昔のことは忘れてください。自分でも反省してますから」

 過去の落ち込んでいた日々のことを指摘されるのは照れくさいが、実際あの頃の尚人は冨樫の言う通り、捨ててきたものを未練がましく振り返っては自分のことを世界一不幸で無能な人間だと思い込んでいた。そんな尚人を根気強くひとり前の社会人に育ててくれたのは紛れもなく冨樫であり、生徒たちだった。

「僕、冨樫さんには感謝してるんです。このご恩を返すために、ベスト・チューター・ネットワークが一部上場するまで付き合いますよ」

 柄にもなく冗談を言う尚人に、お世辞には乗らないとばかりに冨樫は肩をすくめて見せた。

「そんなこと言っても給料はまだ増やせないからな」

「わかってますって」

 そう笑い返したところで、尚人は壁の時計に目をやる。新規事業の担当になってから家庭教師としての稼働を少し減らした尚人だが、それでも以前からの継続案件を中心に指名での希望にはできるだけ応えるようにしている。

「そろそろ行かなきゃ。今日これから二件授業が入ってるんで、終わったら直帰しますから。何か打ち合わせが必要なことがあれば明日でいいですか?」

「了解。相良、今日はどこだっけ? 確か園田さんと……」

「笠井さんです」

 尚人は即答した。

 八月後半に優馬の担当に復帰して、それから約半年間、尚人は週に二度欠かすことなく優馬の元へ通ってきた。優馬は結局元の学校に復帰することはなく、少し離れた学区の小学校に転校し登校を再開した。しかし心の傷が完全に癒えたわけではないのかいまも時折友人関係に不安を覚えて学校を休むようなことがあり、そのフォローも兼ねて家庭教師の回数は減らさないままでいるのだ。

 尚人が担当を降りたり復帰したりと何度もわがままを言ったことや、父親にまつわる騒動のせいもあり、笠井優馬という名前は冨樫の頭にもしっかりと刻み込まれている。尚人の言葉にうなずいて、しかし冨樫は何か思い当たることでもあるのか奇妙な顔で首を傾げた。

「笠井さんといえば、なんかあったような……。あ! 思い出した!」

「何ですか?」

 素っ頓狂な声に尚人も思わず怪訝な表情を浮かべる。すると冨樫は少しだけ言いにくそうに口を開いた。

「笠井さんのことで、言い忘れてたんだけど――」