Dance with Cherry(3)

 ゲリラ豪雨と呼んで差し支えないような大雨の後は店は盛況で、渋谷と由衣の結婚前の話をそれ以上聞き出すことは叶わなかった。いや、閉店作業や後片付けの間に聞こうと思えばいくらだってチャンスはあったはずだし、聞けば開けっぴろげな性格の渋谷はなんだって答えてくれただろう。 しかし圭一は完全にタイミングを失ってしまった。

 例えば後になって話を蒸し返したことで、渋谷に奇妙だと思われたらどうしようとか、もしかしたら和志とのことを怪しまれてしまうかもしれないとか、そんなことを考えてしまい、何も聞けなくなった。自意識過剰、そんなのわかっている。でも、それが二十年も付き合ってきた性格で、今更簡単に変えられるわけでもない。

 店を出てアパートまで歩きながら、トイレットペーパーを切らしそうになっていることを思い出した。そういえばシャンプーも残り少なくなっていたような気もする。角のドラッグストアはまだ営業中なので、立ち寄ることにする。

 かさばるトイレットペーパーを後回しにして、シャンプーの棚の前に立つ。いつも買っているシトラス系のメンズシャンプーか、たまには気分を変えてグリーン系もいいかもしれない。そんなことを考えていると、「ちょっとごめんなさい」と声がして、横をすり抜けるように以下にも主婦らしき女性が手を伸ばしてくる。

 彼女の手の先にあったロングセラーの定番品シャンプーは家族全員で使えるのが売りで、詰め替えパック二つが圭一の目の前でカゴに放り込まれる。その淡いピンク色のパッケージに、ふっとフローラル系の甘い香りが鼻の奥に湧き上がるような気がした。

 男所帯の圭一の実家ではシャンプーといえば物心がついた頃から黒や緑のボトルに入ったメンズシャンプーで、子どもの頃はときおり和志の家で風呂に入れてもらうときに、明るい色のボトルから甘い香りのジェルが出てくるのが特別なことのように思えた。

 抱き合うようになって気づいたのだが、和志の髪からは今も同じ香りがする。そんなに強くはないが、フローラル系の甘い香り。圭一の周囲では、高校生あたりで色気付いてくると母や姉妹と同じシャンプーを使うことを嫌がる友人が多いが、何の疑問も感じることなく今も家のバスルームに置いてあるシャンプーやボディソープを使い続けるのはいかにも和志らしい。それを口にしようとしてやめたのは、きっと和志はいつものように圭一から「子どもっぽい」と揶揄されたと思うだろうから。そして、それをきっかけに和志がシャンプーを変えてしまったら――圭一はきっとそれを寂しいと感じてしまうだろうから。

 圭一は手を伸ばし、淡いピンクのボトルを手に取り、眺める。

 言い過ぎたという反省がないわけではない。謝るのは確かにちょっとは悔しいけれど、仲直りをしたくないわけでもない。でも圭一はまだ戸惑っているし、和志の早急さに取り残されてしまっている。

 幼馴染で、腐れ縁で、ときには――一方的な感情ではあったかもしれないが――ライバルだった和志。抱いていた劣等感や優越感、そしてそれらの入り混じった複雑な感情の中に多分に独占欲が含まれていたことくらいは、もう心の中ではすっかり認めている。でも、それが恋愛や性的な欲望に直結することに対してはまだどこかで照れくささや躊躇がある。

「あ、すみませーん」

 背中を軽く押されて圭一はハッとする。

 今度は若い女の二人連れだ。狭い通路を塞ぐ圭一を押しのけた彼女たちが、整髪料の棚の前でどれがいいの悪いのと盛り上がりはじめるのを見て、急にピンクのシャンプーボトルを手に突っ立っている自分が恥ずかしく思えてきた圭一は慌ててそれを元あった場所に戻した。いつも使っているシトラスの香りのメンズシャンプーをつかみ取り、さっさと買い物を終えて帰ろうとトイレットペーパーの売り場へ向かう。

 しかし、途中ふとサプリメントに視線を奪われてしまう。

 ビタミン、ミネラル、鉄分。圭一はサプリメントの類を買ったことはなかった。以前は健康にも興味がなくて、そんなものに金を出すのは無駄なことだと思っていた。今は、渋谷の店のおかげで食生活も改善されて、サプリメントの手を借りなくても栄養バランスは悪くないはずだ。

 ――安島くんって、見た目と違って意外と草食系だよね。

 数時間前に由衣が何気なく口にした一言が耳の奥に蘇る。そして、圭一の目は、サプリメント棚の端の方に釘付けになっていた。

 マカや亜鉛といったいかにも普通のサプリっぽいボトルに入ったものから、やたらけばけばしい赤黒金のパッケージのスッポンやにんにくエキスまで品揃えは豊富だ。「滋養強壮」「男性に人気」「いつまでも若々しく」、そんな遠回しの文句が書かれたポップがやたら恥ずかしく思え、それでも視線を外すことができないのは、あのときは軽く受け流した「草食系」と言う言葉が妙に気になりはじめていたからだ。

 それが、恋愛や性的なものに関心の薄い男を指す言葉であることは知っている。でも、これまで自分をその単語と結びつけたことはなかったし、他人に指摘されたこともない。だが、改めて考えてみると、自分はまさに恋愛にもセックスにも人並み以下の興味しか持てない不健康な若い男になってしまっているような気がする。

 確かに最初からそんなにセックスが好きというわけではなかった。彼女がいて、そういう雰囲気になれば確かにしたくはなったが、友人との雑談で耳にするような「狂おしいほどとにかくやりたい」欲求とは縁がなかった。男同士の会話なのでみんな話をオーバーに盛っているだけだと思っていたが、もしかしたら違うのだろうか。

 二十歳そこそこの若くて健康な男子の場合、もっと狂おしく頭の中はセックスのことばかりで……そう、和志みたいなのが普通なのだろうか。だとすれば、あんな風に和志を猿扱いしたのも、もしかしたら自分が思っている以上にひどいことだったのだろうか。

 突然湧き上がった不安は、むくむくと大きくなり黒雲のように圭一の心を覆っていく。

 今も毎日朝勃ちはするし、週に何度かは自慰だってする。和志に触られれば気持ちいいし、射精だって普通にする。目の前にあるサプリメントの数々はどちらかといえば機能的な部分への効果を持つようで、それは圭一が抱えているかもしれない問題とは違っているような気がするが、それでも、気休めでも何かが欲しくて圭一はマカと亜鉛のサプリメントを手当たり次第に手に取り、シャンプーとトイレットペーパーと一緒にレジに持っていった。会計金額を告げられてはじめてレジを打っているのが若い女性だと気づいて恥ずかしさに耳が暑くなった。

 アパートに帰り着くとすぐにサプリメントのパッケージを開け、錠剤を一気に水で流し込む。一日、二日、一週間。どのくらいかかるものかわからないが、このサプリに効果があれば、性欲がたまらなく湧いてきたり、それで和志と抱き合いたいとか、和志に入れられてもいいとか、そんな風に思うようになるのだろうか。

「うーん……やっぱなんか違うよな」

 冷静になれば、いや別に冷静になどならなくとも、わかっている。たとえ気持ちが盛り上がったとして――問題はそういうことだけではないのだ。そろりとデニム越しに、ぺたんこの自分の尻をさすってその薄さと固さを改めて感じる。色気などかけらすら感じないそんな場所の何が楽しいのかわからないが、和志はそこを撫でて、さらにはその奥までも触れようとしてくる。

 結局のところ、一番引っかかっているのはやはり、そのことなのかもしれない。だって何度も触りあった和志のあれは、人並み外れた巨根というほどではないけれども、それなりの大きさも硬さもあった。あれがこの奥に入るというのは……たとえ和志が童貞でも早漏でもなかったとしても怖い。

 自分が女の子みたいに組み敷かれたり押し開かれたりすることへの抵抗。慣れない和志からひどく痛くされてしまうのではないかという恐怖。一方で、慣れたふりをしている自分が怖がったり痛がったりする姿を和志に見られてしまったらプライドが傷ついてしまうかもしれないという気持ち。正直に向き合ってみれば、圭一自身の中にも様々な不安や逡巡が渦巻いている。そしてそれを素直に和志に告げることができないから、和志の早急さや経験のなさを理由につい詰ってしまった。一方で、圭一の戸惑いを尊重することなく一方的な恋愛感情や欲情を押し付けてくる和志に非がないとも思わない。

 圭一はひときわ大きなため息をつく。そして、これまでに付き合って関係を持った数人の女の子相手に自分がひどく無神経だったことに思いを馳せて、今更ながら申し訳ない気持ちになった。だって、女の子ってすごい。もちろん体の作りが違うのはわかっているけれど、それにしても女性のあそこだってなんの抵抗もなく最初からつるんと入るわけではない。

 初体験の相手は年上で、向こうの方が慣れていた。わけがわからないままに触れられ導かれ、気づいたら入っていた。二人目の彼女は処女だったが、いざことに及ぼうとするとあんまり痛がって怖がるから圭一も怖くなってしまい、じき別れた。別にセックスできないのが不満で別れたわけではない。なんとなく気まずくなってしまったのだ。

 そういえば今までセックスについて真剣に考えたことなんかなかった。

求められたり、そういう雰囲気になったから何となく抱き合った。でも、ただそれだけ。気持ちいいことは好きだけど、それにまつわる駆け引きは面倒臭いから付き合いは深くも長くもならなかったし、彼女がいなくたって平気だった。

 でも、和志と――。

 求められること自体は嫌ではない。触り合うのも気持ちいい。心底から和志が早漏だとバカにしているのではなく、本当は圭一だってちっぽけなプライドを守るために必死で我慢して和志を先にイかせようとしているのだ。和志が童貞なのだって気にしていない、というか、あのいけ好かない女とやっていなかったと聞いたときはちょっと嬉しかったのだ。

 圭一はトイレットペーパーとシャンプーをキッチンの床に放り出したまま居室に入り、そのままバタリとベッドに倒れこむ。

 このベッドの上で何度も抱き合ったことを思い出す。和志の熱い吐息や追い詰められたように圭一の名前を呼ぶ少しかすれた声。指の感触。そんなことを思い出しているとだんだん腰の奥がムズムズしてくる。今触れば、和志の手を、声を思い出して簡単に自分の体は昂ぶるだろうと思った。和志の顔を思い浮かべてペニスを擦って、達することができるだろう。でも、その後できっと死ぬほど虚しくなる。

 だって、想像の中の和志と現実の和志は違う。はっきりとした気持ちを伝えないままで適当に触りあって快感を共有するだけで誤魔化されてはくれない。和志はもう、無邪気な愛情と独占欲を向けるだけで満足してくれる子どもではないのだから。

 ――恋愛って、難しい。

「っていうか、めんどくせえ」

 圭一は吐き捨てて、枕に顔を埋めた。

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