第2話

 圭一と和志の出会いは、三歳の頃までさかのぼる。

 郊外のベッドタウン。代々の土地に三世代で暮らしていた和志の家の隣の空き地に建て売り住宅が建ち、圭一の両親がそこを購入した。

 隣同士で同じ年齢の男の子というだけでひとまとめにされてしまうというのは実にありがちな展開だが、まさしくそうだった。しかも圭一の両親と和志の両親はいずれも共働きだったので、ふたりまとめて日中は和志の祖父母に面倒を見てもらい兄弟さながらに育てられた。しかも、圭一が五歳のときに母親が突然家を出てしまい父子家庭になるという想定外のイベントが発生したものだから、それ以降圭一はますます澤家に入り浸り、毎日夕食を食べさせてもらうようになった。

 関係が変わりはじめたのがいつだったかはっきりと記憶してはいないが、中学校に入った頃には二人の間には距離が生まれていたと思う。

 圭一と和志は、そもそも性格からして正反対だった。

 校則をきっちり守り、宿題を忘れることもなく定期テストの結果では毎回学年で三本指に入る優等生の和志と、制服を着崩し部活のサッカーに明け暮れ、成績は下から数えた方が早い圭一。生活パターンもつるむ友達も、何もかもが噛み合わない。それどころか、ことあるごとに「宿題しなきゃ」「そんな格好、校則違反だよ」と口うるさい和志は圭一にとって疎ましい存在になっていった。

 ちょうど多感な時期に、自分を捨てた母親が再婚して娘を生んでいることを知り、ますます圭一は荒れた。平穏な家族の雰囲気が疎ましくて妬ましくて、和志の家で食事の世話になることはきっぱりやめて、夕食は部活の友達との買い食いやコンビニ弁当で済ませるようになった。――とはいえ、そんな中でもときどき和志は「ばあちゃんが持って行けっていうから」と、惣菜を持って勝手に家に上がり込んできていたのだが。

 目立ったサッカーの才能もなく、とりあえず自分の成績で受かるところに……と工業高校に進んだ圭一と、近隣で一番の進学校から有名大学に進んだ和志。比べられるのが嫌で圭一がなんとか距離を置こうとするにも関わらず、和志はしつこくつきまとってくる。あまりにしぶといからいつも根負けするのは圭一の方で、結果としていつまでも圭一の生活から和志の影は消えてくれない。

 もっとも今となっては圭一だってコンプレックスばかりというわけではない。真面目一辺倒で世間知らずな和志よりも圭一のほうが、アルバイターとはいえ自活している分社会を知っていて、友達も多く、いろいろな遊びも経験している。澤家のお上品ぶった箱入り息子よりよっぽど世慣れて洗練されているというプライドくらいは持ち合わせている。

 野菜炒め弁当を黙々と口に運ぶ和志の姿をまじまじと眺める。

 素材は悪くない――もちろんすごく良いわけではないが、標準よりはましなくらい。ただ、ともかくぱっとしない男であることは間違いない。シャツのデザインは無難すぎるし、カーディガンは伝統ある英国ブランドものではあるが、どうにもシルエットが洗練されていない。

「だっさい頭。その服も、もうちょっとどうにかできねえの?」

「え? ちゃんと寝癖も直したし、洗濯してるし、シャツにアイロンもかかってるけど、そんなにおかしいかな? もしかしてカーディガンに毛玉でもついてる?」

「そういうことを言ってるんじゃなくてさ」

 カーディガンの袖を凝視して毛玉を探す和志を眺め、圭一はため息をつく。

 そういえば、高校生の頃にちょっと垢抜けさせてやろうと染髪料を手に風呂場に引きずりこもうとしたところ、和志は予想外に必死な抵抗を見せた。まさかとは思うが、和志がもっさりとした自身の姿を気に入っているのだとすれば、実に残念なセンスの持ち主ということになる。圭一だってあからさまな金髪や明るい茶髪が今どきチャラすぎることはわかった上で、適度に髪色を軽くしてやるつもりだったのに。そういえば、あのときはちょっとだけ傷ついた。

 もちろん今では自分と和志の住む世界が違うということを理解しているから、和志の見た目をどうにかしようなどと思いはしない。前に一度、和志が大学の合宿で撮ったという写真を見せてもらったことがあるが、そこにはぼさぼさの黒髪、安っぽいネルシャツ、シルエットに一切気を遣っていないデニム姿のまるで兄弟のような出で立ちをした男たちがずらりと並んでいた。

 思わず「おまえの友達、全員オタクなの?」と訊ねると、和志は「多分、違うと思うけど」と首を傾げた。和志いわく、オタクか否かを問わず工学部の男子学生というのは半数以上がこういった外見であるらしい。

それを聞いて圭一は、自分は和志の大学の同級生たちとは決して友だちになれないだろうし、あんな奴らしかいないのならば、大学などというものには行かなくて良かったと心の底から思った。同じ「工」の字をを冠するのにも関わらず、工業高校と大学工学部というのはこうまでも雰囲気が異なるものなのだろうか。

「そんなに変かな。俺の髪や服のことおかしいっていうの、圭ちゃんしかいないんだけど」

「皆、気を遣ってるんだろ。腐れ縁だけど一応オレは長い付き合いだから、遠慮なく意見を言ってやってるんだ」

「うーん……」

 それでも納得のいかない様子でいた和志は、ふいに震えだしたスマートフォンの画面に目をやると慌てて残りの弁当をかきこみはじめた。

「何だよ、急に」

 驚いて訊ねると、米をほおばったまま和志はスマートフォンの画面を指し示す。のぞきこむとアラームのポップアップで「ほのちゃん ナイトステージ」と表示されている。

「ほのちゃんが『ナイトステージ』に出るから、帰らなきゃ」

 ようやく口の中のものを飲みこんだ和志がそう言って弁当の空き容器を袋にまとめはじめる。圭一は思いきりしかめっ面をして和志を睨みつけた。

 ほのちゃん、というのは人気アイドルグループ「キララガールズ」のメンバーだ。フルネームは川津ほのか。年齢は十六歳。おめめぱっちり正統派美少女というわけではないが、切れ長のクールな目元やスレンダーな体型が一部の王道に飽きたアイドルファンに受けていてグループ内での人気はそれなりに高い。つい最近清涼飲料水のCMとのタイアップではじめてソロシングルを出したので、そのプロモーションのために歌番組に生出演するのだという。

「っていうか、やっぱりオタクだろ。十六歳のアイドルのファンだとか気持ち悪い」

「ほのちゃんの悪口言うなよ。ともかく俺は帰らなきゃ。どうせ置いといてもゴミ溜めるだけだから、食べ終わったなら圭ちゃんのゴミももらうよ、ほら」

「……勝手にしろ」

 テレビもろくに見ず、芸能人に興味などなかったはずの和志がなぜかデビュー当初から川津ほのかには入れこんだ。そしてそれは、圭一にとってこの上なく面白くないことだった。

「今夜は『ほのちゃん』でシコって寝るのか。オタクロリコン野郎」

「応援してるだけだよ。下品なこと言うなよ!」

 玄関を出て行く背中に投げかけた精一杯の嫌みに本気になって言い返してくるのもまた気に触る。さっきまでは部屋に和志がいることが憂鬱でたまらなかったのに、ほのかのために帰ると言われるとそれはそれで面白くない。しかしあからさまに引き止めるにはプライドが邪魔して、結局背中を睨みつけているうちに和志は出て行ってしまった。

 ぽつんとひとりきりになった部屋で、圭一は野菜ジュースの紙パックにストローを挿す。

「ったく、面白くない」

 アルバイトはクビになるし、相変わらず和志はほのかに夢中だし。

 そこで慌てて頭を振って余計な考えを振り払おうとする。何しろ今は目の前の生活が最重要課題、和志もほのかも二の次だ。とりあえず新しい仕事を探して生活の糧を得なければ、来月には父親に頭を下げて実家に逆戻りする羽目になる。そして実家の隣には他でもない和志がいる。

 できればすぐに働けて、できれば取っ払いで金をもらえるようなバイトがないものだろうか。スマートフォンを手にしてアルバイト情報を検索しようとしたときに、メッセンジャーアプリのポップアップが開いた。

 相手は工業高校時代の悪友で、当時は隠れてたばこを吸ったり酒を飲んだり、バイクで海に行ってロケット花火を打ち合ったりと、共に楽しい思い出を作った相手だ。アルバイトを首になったショックのあまり、手当たり次第に友人に愚痴を送ってしまっていたので、きっとその返信だろう。

 ――遅刻くらいでクビとか、きっつ。次すぐ見つかりそう?

 これから探すところだ、と小さな画面に打ち込むととすぐさま既読となり、間を空けずに返信が届いた。

 ――すぐに稼ぎたいなら割のいいバイトあるよ。週払いで、歩合だけど良い金になると思う。メール打てればできる簡単な仕事。先輩が人探してるから、会ってみる?

 すぐに稼げて、メールを打てればできる簡単な仕事だと? この世にそんなうまい話があるのだろうか。

 しかし今の圭一はそんなことで悠長に悩んでいられる立場にはない。すぐに金が必要で、しかも友達が紹介してくれる仕事ならば信用できそうな気がする。詳しい話を聞いて怪しそうならば、それから断ればいいだけだ。

圭一はすぐに返信の文字を打ち込み、送信アイコンをタップした。

 ――やりたいやりたい、紹介して。

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