第3話

 初心者でも簡単にできるメールでの顧客対応。それが、紹介されたアルバイトについて圭一が事前に聞いたすべてだった。

 指定された場所に行き、その建物がオフィスビルではなくマンションだと気づいたときには少しくらいは不思議に思った。しかし今までコンビニエンスストアや居酒屋といった接客業のアルバイトしか経験のない圭一には、それがどの程度普通でないことかまでは判別がつかない。戸惑いつつもエントランスで部屋番号を打ち込みインターフォン越しに名乗ると、スピーカーからは「おお、入れよ」と若い男の声が聞こえて自動ドアがすっと開いた。

 指定された部屋のチャイムを鳴らし、ドアが開くとそこはまさしくただのワンルームマンションだった。もちろん圭一の暮らすアパートよりはよっぽど賃料が高そうだが、玄関から入ったところに小さなキッチンがあり、その向こうには居室がある。しかし、間取り自体はありふれているにも関わらず、その部屋にはどことなく異様な雰囲気が漂っている。

 部屋の中が見渡せる場所にまで足を踏み入れてはじめて気づいたが、そこには普通生活を送るために必要だろうと思われるもの、例えばベッドや棚などは一切置かれていない。決して広いとはいえない部屋に机とパソコンがいっぱいに詰めこまれ、隅に一脚だけロングシートのソファが置いてある。

「こんにちは……」

 部屋には三人の男女がいて、一番年上に見える人物で三十代前半くらい。その男はソファにくつろいだ様子で座っていて、身に付けているスーツや靴は一見して高価なものだとわかった。若い男女はちらりと圭一に目をやっただけで、すぐにパソコン作業に戻ってしまう。あのパソコンで「メールでの顧客対応」とやらをやっているのだろうか。部屋にはカタカタとキーボードを叩く音がやけに大きく響き、圭一を落ち着かない気持ちにさせた。

「おまえが安島だな。俺は高岡だ。手っ取り早く稼ぎたいって話は聞いてるよ」

「はい」

 ソファの男はそう言って、圭一に隣に座るよう促した。内心びくびくしながら圭一はソファの、高岡が座っているのとは反対側の端に小さくなって腰かける。

 正直怖かった。高岡の風貌や物腰は映画で見るヤクザと比べるとよっぽどスマートではあるが、だからといって到底堅気であるようには見えない。もしかして、自分は危険なところに来てしまったのだろうか。友人経由の話だからと考えなしにうまそうな話に飛びついたことを圭一は既に後悔しはじめているが、このタイミングで帰りたいと言い出す勇気はない。

「あの、実はオレあんまりパソコンとか詳しくなくて」

 圭一はそう言いながら、キーボードを鳴らし続ける二人をちらちらと見やった。

「文字は打てるんだろ? メールとかメッセンジャーとか。パソコンじゃなくてスマホでいいよ」

「は、はいっ、それは、まあ」

 内心「パソコン苦手なんだったら無理だな」と言われることを期待して発した言葉だったが、高岡は「スマホで字が打てりゃ十分だよ」と満足げに笑った。そして手元のタブレット端末を何やら操作してから圭一に差し出してきた。画面いっぱいに開かれたブラウザには、けばけばしいアイコンで埋め尽くされたウェブサイトが表示されている。

「……『パラダイスカフェ』?」

 圭一がサイトの名前と思われる名前を読み上げると、高岡はうなずく。

「そう、バイトの内容は、このサイトにメッセージを送ってくる馬鹿どもに適当な返事を送ること。マニュアルがあるから、基本は相手のメッセージの内容に合わせてテンプレ回答を送ればいい。簡単だろ?」

 簡単だろ、と言われても一体なんの話をされているのやら。まったく意味がわからない。圭一が目を白黒させていると、横から手を出し高岡は実際のメッセージのやり取りを見せてきた。

 悩みを相談する女と、彼女を心配する男。男は女に下心を持っているようで、直接話を聞くから会いたいと繰り返すが、女は曖昧な言葉でそれをかわし続けている。普通に読めばただの男女の駆け引きのようにも見えるが、普通ではないのは、女のメッセージ欄に表示されている発信者氏名が人気若手女優と同姓同名であることだ。

「これ、何ですか?」

「安島、おまえも一度や二度こういうメール受け取ったことあるだろ。人気アイドルなんとかちゃんが芸能界の人間関係に悩んでいて、業界と関係ないあなたに愚痴を聞いて欲しい……ってやつ」

「でも、あれは迷惑メール……」

 すると高岡はにやりと笑った。

「そう、でも数千人に送ってると、たまにはいるんだよな。信じる馬鹿が」

 圭一は、そこでようやくアルバイトの内容を把握した。

 高岡は出会い系メール詐欺の胴元。部屋にいる男女は彼に雇われたサクラのバイト。もちろん圭一が聞いていた「メールでの顧客対応」というのも、詐欺メールに引っかかったカモ相手に返事を書くことを意味しているのだという。

 最初のメールは名簿業者から購入したメールアドレス相手にスクリプトを使って、それこそ何万通も送信される。送信者の設定にはそれなりにバリエーションがあって「彼氏に振られて傷つき気晴らしの相手を探している女子大生」「夫とのセックスレスに悩む若い専業主婦」から「芸能界での身の振り方に悩むアイドル」まで。それ以外にも女性向けに「友達と間違えてメールを送ってしまった人気バンドのボーカル」や、金に困った人相手に「天涯孤独で不治の病に侵されているので、遺産を委ねる相手を探している」といったうさんくささ満点の設定ばかりが取りそろえられている。

 もちろん普通の判断力があれば、怪しい相手から突然送りつけられるメールに返信しようなどとは思わないだろう。だが、そもそも普通の判断力のある人間を引っかけようとは高岡の側も思っていないのだ。狙っているのは、警戒心がなく物事を信じやすく、優しくて、でも異性や名声や金への下心を持っている者。

「嘘みたいな話だけど、それなりに引っかかる奴がいるんだよ。おまえたちの仕事はそこから先だ」

 サクラは、まんまとメールを真に受けて返信してきたカモを言葉巧みに会員制のメッセージ交換サイトに誘いこむ。理由は何だっていいが、例えば芸能人の振りをしているならば「メールは事務所にばれるから、安全にやりとりできるサイトを使いたい」というのが代表的。

 もちろんそのサイト――この場合は「パラダイスカフェ」を利用するには高額な登録料金が必要だし、それどころかメッセージ一通をやり取りするごとに現金にして数百円分のポイントが必要で、それが胴元の主な収益源となる。

「ほとんどの奴はここで怪しいと思って手を引く。だけど世の中には生まれついてのカモみたいな奴がいて、そいつらはほいほい金を払ってサイトに登録して、芸能人と交流するためにポイントを買いまくるんだ。そういう奴からどれだけ搾り取るかが勝負だな」

 圭一は絶句した。

 やっぱり簡単な仕事で稼げるなんて、うまい話はなかった。頭の良くない圭一だってわかるくらい明確に、どう考えてもこれは詐欺だ。犯罪だ。

「あ、あのオレ」

「大丈夫、大丈夫!」

 青い顔をした圭一の動揺を高岡はすっかり見通しているようで、豪快に笑いながら肩を叩いてくる。その笑顔は一見明るく頼りになる兄貴分風だが、奥に底知れない冷たさを感じさせるものだった。

「どうせ安島はキーボード苦手なんだろ? ここに来なくても専用のスマホ渡すから、仕事も連絡もそれ使ってやってくれれば絶対足は着かない。馬鹿の相手するだけで月三桁稼いでる奴もいるんだぜ? うちは優しいからノルマもない。たいして金が必要ないなら一件二件こなすだけでもいい」

「いや、でも」

 だが、押しの強い高岡は「とりあえず次のバイト見つかるまで」「一週間でいいからさ」などと言いながらぐいぐいとスマホを押しつけてくる。パソコンに向かって黙々と作業しているサクラの男女も一切助け船を出してくれる気配はなく、とても断って帰れる雰囲気ではない。とりあえずここはうなずいて帰って、なんだったら後から電話で断るとか……圭一は今この場を乗り切ることだけを考え、結局仕事用のスマホとマニュアルを受け取る羽目になった。

 蛇に睨まれたカエル状態の時間がようやく終わり、圭一は逃げるように部屋を出る。玄関で靴を履いていると、背後から高岡の声が追いかけてきた。

「大体さ、ああいうサイトに金払う奴は、それだけ無駄な金が余ってるんだよ。余ってる金のちょっと一部をいただいて庶民に還流することの何が悪い。これぞ『所得の再配分』だぜ」

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