第8話

 圭一は五分に一度のペースで「パラダイスカフェ」を開いて新着メッセージを確認しては「0件」の文字にがっかりすることを繰り返した。

 自分が馬鹿みたいなことをしているというのはわかっている。十六歳の女の子になりきった恥ずかしい文面で、成人男子としてはこの上なく幼稚で情けない悩みを見知らぬ相手にぶつけてしまった。しかもそんなメッセージを送るだけでは飽き足らず、そわそわと返事が来るのを待ちわびている。まったく救いようがない。

 しかし、何度スマートフォンをチェックしても〈SHIZU〉からの返信はない。よくよく考えれば多くの社会人は仕事をしているはずの平日の日中、五分や十分でメッセージが返ってくると思う方が間違っているような気もする。それどころか、いかにも怪しいサイトを通じた自称アイドルとのやり取りなのだから、例えば浮かれた〈SHIZU〉が川津ほのかとメッセージ交換を始めたと友人に明かそうものなら、そいつがよっぽど間抜けでない限り詐欺の可能性を疑って返事をするなと止めるだろう。

 期待するだけ無駄だと思いつつ、スマートフォンが気になる。結局、履歴書を書くことにも新しいアルバイトを探すことにも身が入らず、圭一はまた一日を無為に過ごした。

「……あ」

 思わず口から喜びの声がこぼれたのは翌朝のこと。

 目覚めてすぐに開いた「パラダイスカフェ」の画面に「SHIZUさんからのメッセージを受信しました」という文字が燦然と輝いている。すぐさまリンクをタップするものの、いざとなると画面に目をやるのが怖くなる。

 なりすましに気づかれたのではないか、思ったような優しい返事ではないのではないか――しばらく逡巡してから、圭一は思いきって「SHIZU」からのメッセージを読んだ。

〈ほのかさん,メッセージを受け取りました.テレビの中の君はいつもはつらつとして元気に見えるけど,それはお仕事や生活での苦労や悩みを見せないようにがんばってくれているからなのだと尊敬します.

 落ち込んでいるということは,本当はお母さんともお友達とも喧嘩したくなかったのかな? 君にそういう気持ちがあるのならばきっとそのうち仲直りできるから,心配しないで大丈夫だと思います.

 僕は君よりずいぶん年上ですが,それでも両親は僕のことを今でも子ども扱いするし,くだらない理由で友人と喧嘩してしまうこともあります.ほのかさんが同じ悩みを抱えていると知ってちょっとだけ嬉しかった,と言ったら君の気分を損ねてしまうでしょうか.うまいアドバイスはできませんが,僕に打ち明けることで少しでも君の気持ちが軽くなるなら嬉しいです.SHIZU〉

「……つまんない奴」

 ぽつりとつぶやいて、それでも圭一は何度も繰り返し、画面に穴が空きそうなほど〈SHIZU〉からのメッセージを読み返した。

 特に気のきいた言い回しがあるわけでもない、面白みのない返事だ。役に立つアドバイスもなければ、力強く元気づけてくれるわけでもない。真面目な男のつまらない返事――なのになぜか、その文面を読み返していると沈んだ心が少しだけすくい上げられ、胸の中のささくれが消えていくような気がした。大人げない愚痴をこぼす駄目な自分を許して、受け入れてもらえているような、そんな錯覚すら味わった。

 ――もしかしたら、ただ「大丈夫」「おまえだけが落ちこぼれているわけじゃない」と言って欲しかっただけなのかもしれない。

 これまでの二通のメッセージで〈SHIZU〉がまだ一度も「直接会いたい」と書いてきていないことも圭一の心証に影響した。

 あふれ出す下心を抑えきれないのか、それとも詐欺メールとわかってからかっているのか、サクラメールへの返信では相手はすぐに直接会いたがる。だからこそ、高岡からもらったマニュアルにも、会いたがる相手をうまくいなしながら生かさず殺さずやり取りを続ける方法にかなりの分量が割かれているのだろう。だがしかし、特段浮かれた様子もなく会いたがりもしない〈SHIZU〉の文面からは、静かにただ相手を思いやる優しさだけが伝わってきた。

 圭一は前日の父との喧嘩を思い出し、和志に思わずぶつけた暴言を思い出す。

 親にいつまでも子ども扱いされるのは普通のことで、友人と喧嘩することも普通。それは本当だろうか。落ち着いて温厚そうな〈SHIZU〉だってそうであるならば、自分だけがことさら幼稚で駄目な人間だというわけでもないのだろうか。

「だったら、ま、いいか」

 圭一は私物のスマートフォンを取り出して、昨日怒りにまかせて設定した和志への着信拒否を解除した。

 和志が圭一の部屋を再び訪れたのは、三日後のことだった。電話自体は着信拒否を解除したその日のうちにかかってきて、毎度のごとく圭一を怒らせた原因については十分に理解しないまま和志はひたすら謝り、圭一ははっきりと言葉に出さないながらもなんとなく許しを与えた。思えば二人の喧嘩はいつだってそうやって曖昧なうちに終わりを迎える。

 圭一の怒りが解けたにも関わらず数日間訪問がなかったことは意外と言えば意外だったが、少し疲れた顔をした和志は「レポートの締め切りと、実験の山場が重なっちゃってさ」と言い訳のようなものを口にした。

「ふうん」と、圭一は興味のない口調で答える。

 レポートや実験というものがどの程度大変で、どの程度重要なものなのかわからないから、それ以上会話の広げようもないのだ。

「でも、びっくりしたよ」

 いつもの場所に座りこんだ和志が、相変わらずベッドでごろごろしている圭一に話しかける。

「びっくりって?」

「いや、あんなに怒っていたのに、たった一日で着信拒否を解除してくれるなんて珍しいから」

 無神経にも喧嘩の内容を蒸し返すようなことを言い出す和志を圭一はにらんだ。

「……おまえ、本当に反省してんの? そんなに着拒されたいなら、今すぐにでもまたしてやろうか?」

 和志は慌てて「そういう意味じゃない」と首を左右に振った。圭一にだって、和志に悪意がないということはわかっている。ただ和志はマイペースなだけなのだ――そしてそのマイペースさが、圭一には鈍感で無神経に映るというだけのこと。

 前回の喧嘩、というか圭一の一方的な怒りがいちゃもんじみていた自覚はある。今日は穏便にいこうと決めていたので、それ以上和志を問い詰めるのはやめた。それに、最近の圭一は機嫌がいい。

 特に話すこともないので、圭一は勝手にくつろいでいる和志をそのまま放置してスマートフォンを取り出した。迷うことなく「パラダイスカフェ」のメッセージ作成画面を開き、〈SHIZU〉宛ての文章を入力しはじめる。あの後も何度かメッセージのやり取りをして、ずいぶん心配させてしまったから、喧嘩をしていた友人とちゃんと和解できたことをすぐにでも伝えたかった。

 圭一、というか川津ほのかになりすました圭一と〈SHIZU〉のやり取りは続いていた。むしろメッセージ交換を繰り返すほどに、圭一の方が熱心になっていると言ってもいい。

 何しろ〈SHIZU〉は、人の話を受け止めるのが上手い。きっと実生活でも聞き上手なのだろう。圭一は日々の悩みやコンプレックスを十代の女の子っぽく改変した上で送り、〈SHIZU〉はそれに対して温かく思いやりある返事をくれる。

 よくよく考えれば返事自体はたいした内容ではないのだが、くだらない愚痴を決して否定せず説教せずに受け止めてもらえる、ただそれだけで圭一は満たされて前向きな気持ちになれる。

〈SHIZUさん、今日はいい報告! この前ケンカしたって言ったお友達が遊びにきたの。無事仲直りだよ~〉

 そこまで入力したところで、和志の声が邪魔をした。

「あれ、圭ちゃん携帯変えた?」

 その言葉に内心しまったと思う。和志は案外こういうところに目ざといのだ。やっぱり目の前で仕事用のスマートフォンを取り出すべきではなかった。圭一は慌てて言い訳を紡ぐ。

「え、あ、変えてない。これは……えっと……親父にスマホの設定頼まれて……」

 苦しい嘘だが、単純な和志は素直にそれを信じて喜びの声をあげた。

「じゃあ圭ちゃん、おじさんとも仲直りしたんだ。良かった!」

「う、うん。まあ」

 もちろんこれも嘘だ。父親は和志ほど単純な相手ではないし、親としてのプライドもあるのだろう。着信拒否を解除した後、一度も連絡はきていない。もちろん圭一の側から父に頭を下げる気にはなれないから冷戦は継続中ということになる。和志がまた余計なことを告げ口しなければいいけど……そんな不安を感じながら圭一は気まずい思いで仕事用のスマートフォンを目につかない場所に隠す。〈SHIZU〉への報告は和志が帰ってからにしよう。

 冷や汗をかいている圭一の動揺などつゆ知らず、ご機嫌な和志はローテーブルの上の書類を勝手に手に取って見ている。

「あ、圭ちゃん履歴書書いたんだ。面接行くの?」

「ああ、明日」

 そう、この三日間で圭一は新しいアルバイトに目星をつけ、面接の予約を入れて履歴書も書き上げた。〈SHIZU〉相手に愚痴をこぼしてストレス解消ができたおかげか、ようやく前向きに次の仕事を探そうという気分にもなれたのだ。それどころかアルバイトはアルバイトで探しつつも正社員の仕事に興味を持ってさえいる。

「仕事が上手くいかない」というメッセージに〈SHIZU〉は、「大丈夫、君なら大丈夫」と応援の言葉を返してくれる。無根拠なのにその言葉はなぜか頼もしくて、圭一は自分が人並みに就職をして父親を驚かせるところを想像してひとりにやけた笑みを浮かべた。

「良かった、圭ちゃん前向きになったみたいで。でも、急にどうして?」

「急にって、仕事しないと暮らしていけないだろ。友達にも相談して、そろそろ本気で探そうかなって」

「友達……?」

 圭一の口から飛び出した「友達」という言葉に和志の表情がかすかに曇った。

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