第19話

「マジかよ……」

「ごめん、圭ちゃん。黙っていたことは謝る。でもこれには理由があって」

 ベッドの縁に座ってうなだれる圭一に、和志は食い気味に言い訳を口にしようとした。だが、そこから先を聞くことが怖い。そして怖さ以上に和志の裏切りへの怒りが腹の奥からとめどなく湧いてくる。

「理由なんか知らねえよ。あいつと一緒になって笑ってたのか? それともあいつは、おまえが自分の父親違いの兄貴の知り合いだってことまでは気づいてないのか? どんな理由があるのか知らないけど最悪な気分だよ。あのメールだって最初から偽物だってわかってて、なんでわざわざ騙されたふりしてたんだよ!」

 そこまで一気に吐き出して、しまったと思う。

 圭一はまだ和志の言い訳自体は一言も聞いていない。和志が何をどこまで勘づいていて、何を申し開きしようとしているかもわかっていないのに、余計なことを口にしてしまったかもしれない。もしかしたら和志はただ「アイドルとの交際を秘密にしていたこと」を圭一が怒っていると思い込んでいるだけにすぎないのかもしれない。なのに、何も聞かないうちに「ほのかが圭一の妹であること」「圭一がサクラメールの送信側の人間であること」を自分から口走ってしまったのだ。

 それ以上何も言えなくなり、圭一はぐっと口をつぐんで和志の反応を待った。そして、和志が圭一の言葉に特段驚いている様子がないことから、やはり和志は何もかも知っていたのだと確信した。

「やっぱり気づいてたんだな。一体いつから、何をどこまで知ってたんだよ」

 消えてなくなりたいくらい惨めで恥ずかしい。〈SHIZU〉と〈ほのか〉だからこそ、素直にやり取りできたのだと思っていた。自分でない人間の振りをしていたからこそ、相手が知らない人間だと思っていたからこそ、みっともない不満も不安もそのままぶつけた。

 でも、相手は――回線の向こうにいた和志は、メッセージの送り主が圭一だと知っていた。知っていて、「十六歳のアイドルで、しかも妹」になりすまして他人に悩み相談をする圭一の相手を続けていたというのだ。

「圭ちゃん、待って。順番に話すから。お願いだから落ち着いて」

「落ち着けるかよ!」

 唇に血をにじませて必死に圭一をなだめようとする和志の姿は一見痛々しくはあって、さすがに二発目をお見舞いしようという気にはならない。圭一はやり場のない怒りを少しでも体から逃がそうと、右拳でベッドのマットレスを殴りつけた。だが、頼りない布の手応えごときでは少しも気持ちは楽にならなかった。

 こんな修羅場であるにも関わらず、和志はふとスマートフォンを取り出すと、待ち受け画面に目をやった。まだ待受の画像には、圭一が送ってやったほのかのオフショットが設定されているのだろうか。思い出すとまた胸の奥が痛む。この間みたいなチクチクとした弱い痛みではない。もっとひどい、きしむような痛みに圭一は顔をしかめる。

「ほのちゃんのラジオ、生放送の時間だ」

 そう言って急に和志がスマートフォンを操作しはじめたので、圭一は言葉を失くす。自分の幼馴染がマイペースな男であることは知っていたが、この状況で、怒りとショックで呆然とする圭一を目の前に、ほのかのラジオだと? 人の心がわからないのを通り越して本当に頭がどうにかしているのではないだろうか。

「おいっ、あいつのラジオなんか関係ないだろ。ふざけるのもいい加減にしろ!」

「関係なくない。俺からの説明は後でちゃんとするから、まずはほのちゃんの言葉を聞いてくれよ。お願い」

「聞きたくねえよ、そんなの」

 だが和志は圭一の拒否の言葉など耳に入らないかのように、スマートフォンの画面に再び目を落とす。やがてラジオのアプリでも起動したのか、和志の手の中の端末から賑やかな音が聞こえはじめた。聞きたくなくて、圭一は上半身をベッドに倒すと枕で頭を覆ってささやかな抵抗を試みるが、和志は圭一の耳にも音が届くようスピーカーのボリュームを上げた。

 オープニングのジングルが終わると、スピーカーからは若い女の声が聞こえてくる。

「こんにちは、お茶の時間に軽いおしゃべりと音楽をお届けする『ラジオ・フィーカ』、火曜日のパーソナリティーは私、『キララガールズ』の川津ほのかです」

 殺伐とした部屋の空気とは不似合いに明るいほのかのオープニングトークが聞こえてくる。まったく、初のスキャンダルをすっぱ抜かれたっていうのに一体こいつも能天気に何をやってるんだ。圭一の苛立ちはほのかにも向く。

 ほのかはそのまま続ける。

「えーっと、そうですね、今日は部屋の外でマネージャーが怖い顔してます。はい。今日、某週刊誌さんに載っちゃった件ですね。あれをちゃんと説明しない限り今後ステージには立たせん、と言われて、私ここに送り出されました。……っていうのは半分嘘で、あの、ファンの方や皆さんにご心配かけてしまったのはとても申し訳ないと思っていて、今日は自分の口からちゃんと本当のことをまず話したいと。だからプロデューサーさんにお願いして、この番組の冒頭にちょっとお時間いただくことにしました」

 人前に立つことに、電波に言葉を載せることに慣れた人間の喋りだ。でも、その声が微かに震えていることに気づいてしまうのはどうしてだろう。

 全国ネットのテレビやCMにも出て、何万人もの前で歌い踊っているほのかでも緊張することはあるのかと妙なことに感心しながら、少しだけ可哀想にも思う。いくら男性ファン相手に商売しているとはいえ、いくら写真を撮られたのが自業自得だとはいえ、まだミドルティーンの女の子がデートひとつくらいでこんな謝罪までさせられるなんて。

 緊張した様子のほのかは、深呼吸のために一拍置いてから、言った。

「あの写真に一緒に写っていたのはですね、あれ、お兄ちゃんなんです」

「……はあ?」

 思わず圭一の口からは変な声が出た。違う。ほのかの兄はこの阿呆で嘘つきで人でなしなダサ男ではなく、自分だ。それを「あれは兄だった」という嘘で済ませようというのか。たった今ほのかにわずかでも同情してしまったことを後悔するくらい、それは悪い意味で予想外の釈明だった。

「あの、今まで川津ほのかは一人っ子ということで、プロフィールも、インタビューとかにも答えてきて、もちろんそれは嘘じゃないんです。実は、私のお母さんはバツイチな人なので、お父さんとお母さんの子どもとしての川津ほのかが一人っ子なのは本当なんですけど、お母さんが前に結婚していた人との間の子ども……お兄ちゃんがいるんです。私はそのお兄ちゃんとは小学生の時に初めて会ったんですけど、えーと、それからもときどきご飯食べに行ったり、話聞いてもらったりしてるんですね。だから、本当に心配かけてごめんなさい。あれは彼氏とかじゃないです――」

 そこでスピーカーからの音は途切れた。和志がラジオアプリを止めたのだ。

 和志は、自分の説明の前にまずラジオでのほのかの発言を聞いて欲しいと言った。ということは、ほのかの話の中には圭一を騙していた理由に関係する何かが含まれていて然るべきではないだろうか。だが、圭一が聞いた限り、ほのかはただ言い訳をしただけだ。しかも「母親はバツイチで前の夫との間に息子がいる」という、母親や圭一や、圭一の父にまで迷惑をかけかねないようなひどい言い訳を。

 ほのかの話で怒りが解けるどころか、圭一はなおさら混乱しただけだった。圭一は上半身を横たえたまま、枕とベッドの隙間から顔を出し、和志をにらんだ。

「……全然わかんねえ。ほのかの兄貴はオレで、和志、おまえじゃないだろ。これが、おまえたちが考えた陳腐な言い訳か? ファンやマスコミはもしかしたら騙せるかもしれないけど、オレに嘘ついてた理由とは全然関係ないよな」

「うん。でも、関係なくもないんだ」

 和志はスマートフォンをポケットにしまうと、ゆっくりとベッドに歩み寄ってきて、圭一の隣に腰掛けた。蹴飛ばしてやりたいが精神的な疲労が大きすぎてとても気力がなく、圭一は黙って和志を座らせたままにした。

そして和志は話しはじめた。

「おばさんが圭ちゃんの家を出て行ってしばらく経ってから、うちの母さんに連絡してきたんだ。圭ちゃんのことが気がかりだけど、自分がひどいことをしたのもわかってるし、おじさんも怒ってるから会いに行けない。だから代わりに、ときどき圭ちゃんの様子を教えて欲しいって」

 その後、圭一の知らないところで父と母は何度も面談を重ね、結局父は「二度と自分にも圭一にも関わらない」ことを条件に離婚に応じることとした。そのことは圭一も知っている。

 後に、中学生になった圭一が母親とほのかと面会したのは、和志の母親の仲介によるものだったのだという。圭一の父も、まだ若く頭に血が上った状態で自分を裏切った妻に二度と息子に会わないと約束させたものの、時間が経つにつれてその判断を後悔するようになっていた。最終的に過ちを犯したのは母だが、結婚生活自体に以前から様々な問題が生じていたことを父も認識はしていたのだ。

「たまにうちの母さんは圭ちゃんのお母さんと会ってたし……ときには俺も一緒に行ってた。それとは別におじさんも圭ちゃんのことでうちの母さんに相談してくることもあったから……母さんは、おじさんが『圭一にもそろそろ本当のことを知らせて、本人が希望するなら母親と自由に会えるようにした方がいいのかもしれない』って言ったとき、おばさんとの仲介役になるって申し出たんだって」

 だがその面会は、母親の裏切りと妹の存在を受け止めきれない圭一が激昂して終わり、圭一が再び母親と顔を合わせるまではさらに七年ほどの時間がかかった。

「要するに、和志のとこのおばさんとうちの母親が会うときに一緒に行ってたから、子どもの頃からほのかと知り合いだって言いたいわけ?」

「圭ちゃんには言わないって約束だったから黙ってた。そのことは悪かったと思ってる」

 そういうことじゃねえよ、と喉まで出かかる。そんなことはどうでもいい。いや、どうでもよくはないけれど、圭一が今一番気にしているのはそういうことではないのだ。

「ほのちゃんは、ずっと自分にはお兄ちゃんがいるって聞かされてて、いつか会えるのを楽しみにしてたらしいんだ。でも、面会のとき圭ちゃん怒っちゃって……それで」

 しかもほら、結局こうだ。和志はほのかの肩を持つのだ。あの日の面会で圭一が激怒したから。二度と会いたくないと言ったから。だから、ほのかは傷ついて可哀想だと言いたいのだろうか。

 圭ちゃん圭ちゃんと、いくら逃げても邪険にしてもしつこく追いかけてくるのに、最後は結局和志ですらほのかを選ぶ。いつだって圭一は選ばれない側で、しかも、そのことに傷つき怒ることすら許されない。胸のきしみは最高潮に達して、心臓の奥、そんな場所に一体何があるのかわからないが、その何かが潰れて砕けてしまいそうだった。

 たまらず圭一は顔を上げ、正面から和志を見つめて訴える。

「それで、ほのかは傷ついたと? オレだって傷ついたよ。母親が男作って出て行ったんだぜ? そんで十年くらい振りに会ったら、一緒に暮らしてる娘がいるって。ああ、オレを捨ててあいつ選んだんだなって思うだろ。それでも俺は怒っちゃいけないのか?」

「違うよ、責めてるんじゃない。圭ちゃんが怒るのも傷つくのも当然だって俺は思ってるし、おばさんだって、ほのちゃんだって一緒だよ」

 噛み付くような圭一の訴えにつられるように和志の声も大きく、喋るスピードも早くなった。

「でも、俺は、そうやっておばさんやほのちゃんに怒っちゃったことでなおさら圭ちゃんが傷ついてるのもわかったから。だから、いつか和解できればいいと思ってた。ほのちゃんも同じこと考えてて……多分、俺のことを圭ちゃんの代わりにしてたんだと思う。俺は本当にほのちゃんのことが好きだとか、いや好きだけど、付き合うとかそういう意味での好きでは、全然ないんだ」

 一気にまくし立て終わると、ゼエゼエと和志は荒い息を吐いた。普段のんびりしている和志がこんな勢いで喋るところはそういえば一度も見たことがなかった。

 ――そして、その表情はこの上なく真剣だった。

「……付き合って、ないのか」

「うん。だから、事務所の人とほのちゃんの家族と一緒に話して、ほのちゃんがラジオでああ話すことにした。確かにちょっとは嘘が混ざるけど……ほとんど本当のことだし」

 圭一の耳に、和志の言葉はもうほとんど届いていない。

 和志はほのかと付き合っていない。ほのかとは擬似的な兄弟関係で、恋愛感情すらない。たった今和志はそう断言した。和志の真剣な表情と「付き合うとかそういう意味での好きでは、全然ない」という言葉だけを何度も何度も頭の中で反芻して、そこでようやくきしんで壊れそうだった胸の奥が少しだけ楽になった。

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