10. 美しい虜

 外の騒がしさにセスは目を覚ます。

 若者たちが狩りから戻ってきたのだろうか。これだけ賑やかだということは、よっぽど大きな獲物をしとめたのかもしれない。セスが狩りに出ることを許されたのは結局、神の使いであるクシュナンを見つけたあの晩が最初で最後だった。

 神の使いの世話役という名誉な仕事を与えられていることに不満はないものの、同世代の若者たちが狩りで活躍しているのを見ると、結局名誉を理由に厄介払いされたのだろうと心は複雑だ。ぼんやりと立ち上がり窓の方へ向かうが、セスの部屋からは人々の様子を知ることは難しかった。

 そういえば、兄のスイに「神の使いが相手を求めている」と告げてから数日が経っている。方策を考えるので任せておけ、と心強い言葉をもらったものの、あれ以降スイから特に話はない。

 セスは平静を装ってクシュナンの世話を続けているが心は落ち着かず、彼を再び水浴びに連れて行く勇気は出ない。クシュナンはおそらくセスの怯えたよう態度に気づいているだろうが、それを指摘してはこない。彼も先日の一件をなかったことにしようとしているのか、それともちょっとしたからかいに動揺しているセスを面白がっているのか、判断はつかなかった。

 屋敷の中でも人々が起き上がり動き出す気配があった。廊下を歩く足音――あれはスイだ。誰かがわざわざ真夜中におさの屋敷へ狩りの成果を伝えにきたということは、やはり普段とは違う何かが起きたに違いない。セスは好奇心からそっと部屋を出ると足音を忍ばせて玄関に向かった。

「スイ、言われたとおり見つけてきたぞ。二人連れだったが使いものになりそうなのは片方だけだ。とりあえず両方とも眠らせて縛っている」

「悪いな。とりあえずもう夜も遅いから小屋に入れておいてくれ。明日セスに言って使いのところへ連れて行かせよう」

「わかった」

 スイと話をしているのはカイだ。彼らのやりとりからセスは、先日自分が訴えた内容を決して兄が放置していたわけではないのだと知った。

 カイは性格が荒っぽく傲慢ではあるものの狩りの能力の高さでは他の追随を許さない。そして、おそらく今夜彼はスイの依頼を受けて「神の使いへの捧げ物」を狩ってきたのだ。食べ物も酒も潤沢に捧げている。今スイが彼らに特別な狩りを頼むとすれば、それはセスがスイに対して求めた「神の使いのしとねの相手」探しであるに違いない。

 ここは山深い自然の中の小さな集落だ。別の集落と獲物や水を巡って争いになることも過去には多くあった。かつて縄張りを争った集落の多くは山を降りたため近年は平和な生活が続いているが、少し前、国中が百日を超える長い日照りに襲われた際には山の水源を狙ってやってきた不審者たちと一触即発にもなった。

 殺し合いだけでなく捕虜を取ったり取られたりした頃の名残で、おさの屋敷の外には捕らえた人間を入れておくおりを備えた小屋がある。普段はせいぜい捕らえてきた狩りの獲物を入れておくのに使われるくらいだが、スイは今夜カイたちが連れてきた人間をとりあえずそこに入れておくよう命じたのだ。

 セスの心臓はどきどきと激しく打ちはじめた。クシュナンの欲望に気づいたセスが相手をあてがう必要があると言ったから、スイが若者たちにその相手を調達してくるように命じたのだ。

 カイは一体どこの誰をどうやって連れてきたというのだろう。神の使いに肉体を捧げろと言われてたやすく納得する人間などいるはずもない。眠らせて縛っていると言っていたが、まさかひどい方法でさらってきたのだろうか。セスは、自分がスイにとんでもないことを言ってしまったのではないかと不安になった。

 やがて再び周囲が静まりかえるのを待ってセスはそっと屋敷を出た。目立たないよう小さな松明たいまつひとつだけを手にして捕虜用の小屋に行く。

 おりの造りは頑丈で、以前狩ってきた熊を入れたときですら暴れまわる獣の力にびくともしなかった。だから人間ごときがおりを破れるとは誰も思っていないのだろう。特に見張りはつけられていないようで、それはセスが小屋の様子を見に忍び込むには都合が良かった。

 そっと小屋の中に足を踏み入れ松明たいまつの灯で照らしてみる。過去に何度も入ったことのある場所だが、緊張だか恐怖だかわからない奇妙な感覚に襲われ胃の辺りが気持ち悪い。

 数歩進んだところでセスははっとして足を止める。入り口から一番近いおりの中に、大きな体を持つ男が横たわっていた。セスの集落の誰よりも背が高くがっしりとした男は野生の獣を思わせる。黒く短い髪、全体的にごつごつとして美しさとは程遠い無骨を具現化したような姿をした男。力も相当に強そうではあるが、男は最初にクシュナンが連れてこられたとき以上に厳重に縄で全身を拘束されほとんど身動きができない状態で、しかも眠っている。

 男の太い首筋にひらひらと鮮やかな鳥の羽が踊っているのを見て、セスはカイたちが彼に麻酔作用のある毒針を使ったのだろうと思った。吹き矢の風受けに鳥の羽を使うのはセスの集落の伝統だ。

 それにしても、こんな男を神の使いの相手に連れてくるなんておかしな話だ。いくらクシュナンがセス相手に昂ぶらせるほど飢えているにしても、こんな不格好で大きな男に欲情することがあるだろうか。そう考え首をかしげたところで、セスはさっきカイが「ひとりはだめだが、もうひとりは」と言っていたことを思い出した。

 セスは松明を隣のおりに向け――息をのんだ。

 そこには、世にも美しい少年が倒れていた。

 少し日に焼けてはいるが白くきめの細かい肌。わずかに金色がかった色素の薄い髪。質素な服にくるまれてはいるが、その下に細くしなやかな体があることは一目でわかる。この少年も毒針にやられているのだろう、髪と同じ色のまつげが厚く縁取る目は今は閉じられている。しかし、この集落の人間以外ほとんど見たことがないセスにとってすら、彼がとびきり 美しい外見をしていることは疑いようがなかった。

 セスは素直に少年の美しさに見とれた後で、彼がここに連れてこられた目的を思い出し、自分でも意外な感情……不快感に襲われた。この少年を神の使いが暮らす小屋に連れて行くのは嫌だ──率直にそう感じたのだ。

 だって、あそこはクシュナンとセスしか立ち入ることができない場所だ。二人だけの場所である小屋にこの美しき異物を連れていくことにはどうしようもない違和感を覚える。そして、彼をクシュナンに与えたら──どのような反応を見せるだろう。セスが彼らをふたりきりにして小屋を後にしたら、それから先は。

「ん……」

 小さな声に驚いてセスはびくりと震える。麻酔の効果は相当強いはずなのに、少年はまぶたを震わせて眠りから覚める気配を見せた。見たくない。その下にはきっと、その肌や髪に負けないくらい美しい瞳があるに決まっている。そしてその目とクシュナンの瞳が見つめ合えば、きっと。

 少年の薄いまぶたが重たげに持ち上がった。セスは松明たいまつを背後に隠し逃げようとするが間に合わず、少年はぼんやりとした明かりの中に見知らぬ人間を認めて、眠たげにつぶやいた。

「ここは? 君は……誰?」

 もちろんセスは答えることができない。いや、もし今セスの口がきけていたとしても何も返事をすることはできなかったかもしれない。少年はセスの予想通り、いや、予想以上に美しい黒い目をしていて、その目で見つめられれば吸い込まれそうな気持ちになる。細い喉に浮く骨を震わせ生まれてくる声も、子どものように高くもなく大人の男ほど低くなく、品良く耳に優しい。

 立ちすくむセスを見つめているうちに首筋の違和感に気づいたのか、少年は何度か首を振った。そして、はっと何かを思い出したかのように周囲を見回し、隣のおりで横たわる男を見つけると驚き目を見開いた。

「アイク! アイク、大丈夫?」

 少年自身も縛り上げられておりの中に転がっているので思うようには動けない。しかし不自由なりに何とか体をよじらせ、大男の方へ近寄ろうとする。その目も声色も必死で、彼は心の底から同行者を心配しているようだった。

 奇妙な二人だ。カイも二人連れをまとめて捕らえてきたと言っていたから、アイクと呼ばれる大男と美しい少年が二人で、しかも真夜中に山の中にいたことは間違いないのだろう。姿は全く似ていないから兄弟でも親類でもないことは明らかだ。一見すると王子と番犬のような、しかし二人とも姿はみすぼらしい。セスは奇妙な二人をぼんやりと見下ろした。

 自分の進言がきっかけで見知らぬ人間がさらわれてきたこと。クシュナンに夜の相手が必要だと進言したのが自分であるにも関わらずさらわれてきた人間がひどく美しいことに思いのほか動揺していること。何もかもあまりにも突然で、どう頭を整理すれば良いのかわからない。

 少年は黒い瞳をうっすら潤ませて大男に呼びかけていたが、反応がないことに愕然がくぜんとした様子で黙り込むと唇をわななかせた。その姿があまりに哀れなのでセスはしゃがみこみ、松明たいまつを左手に持ち帰ると首にかけていた石版を床に下ろした。そこに文字を書きつけ少年から見える場所に差し出す。

──心配するな、その男は眠っているだけだ。死んでいるわけじゃない。

 文字に素早く目を走らせた少年の顔に浮かぶ緊張が少しだけ和らぐのを見てセスは彼が文字を読めるのだと知った。

「……良かった」

 小さくつぶやいた少年は、首だけでセスの方を向くと敵意のない表情を見せる。

「ここはどこ? どうして僕たちはここに連れてこられたの?」

 しかし、セスにはどう答えてやればいいのかわからない。小さく左右に首を振ると立ち上がり、追いすがってくる少年の声を無視してそのまま小屋を後にすることにした。きっと朝になればスイが彼の質問に答えてくれる。

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