9. 襲撃者たち

 その日の夕食には野うさぎを焼いて食べた。たいして肉はついていなかったが、他に甘くみずみずしい木の実があったので、とりあえず空腹を紛らわせることはできた。少年――リュシカは、アイクが山道を歩きながら教えてやった食べられる草や木の実の見分け方をすぐに覚えてしまい、今では食料集めにも活躍している。

 ささやかな食事を終え、焚き火を燃やすままにするか消すか迷う。

 いまだ王都からの追っ手の影を感じることはない。都会の衛兵が入り込むとは思えないような山道ばかりを選んできたのが良かったのだろう。さすがにここまで来れば王都の人々だって彼らの王をあきらめたに違いないと、アイクは最近ようやく多少の余裕を感じるようになっていた。

 火を燃やせば人に見つかる危険性は高くなるが、森にいる敵は人間だけではない。火があることで人を襲う獣を遠ざけることができるのだ。季節は移りもはや焚き火で暖をとる必要はないが、夜間に火をどうすべきかは今もアイクにとっては頭を悩ませる問題だった。

「リュシカ」

 隣に座って足を気にしている少年の名を口にする。

 アイクがつけた名前を思いのほか気に入ったリュシカは呼べば嬉しそうに振り向く。その顔を見るたびアイクはこれはもはや王都の人間が奉った《少年王》などではないのだとしみじみ思う。明るい表情をしてよく喋りよく笑う「リュシカ」は間違いなく今ではただの少年であり、アイクひとりにとっての王。そして、彼が二度と鳥かごに閉じ込められることないよう守り続けるために自分は存在しているのだと。

「何?」

 呼びかけておきながらじっと顔を見つめるだけのアイクにリュシカは首をかしげる。ズボンの裾をまくり上げ、靴を脱いでいるので白い脛やふくらはぎがむき出しになっている。若木のように細く頼りなかった彼の脚は山道を歩いているうちにいつしかしなやかな筋肉に覆われた。とはいえ森の中で育ったアイクには、王宮育ちの彼の歩くペースや疲労には気を配る必要があるのだが。

「痛むのか?」

「うん……ちょっと。でも大丈夫」

「ちょっと見せてみろ」

 ひ弱そうに見えて存外に気の強いリュシカが自分から「疲れた」「痛い」といった弱音を吐くことはない。だが、細い足首をつかみ半ば無理やり引き寄せると、小さな足裏やかかとは血豆や水ぶくれでいっぱいになっていた。

「強がるな、痛まないはずがない。やはり少しペースを落とすか」

 するとリュシカはいたずらっぽく笑ってみせる。

「大丈夫だってば。君は心配しすぎなんだよ」

「だが傷をかばって歩き続けるとそのうち他の場所まで傷めるぞ。もう夜も遅いから今は我慢してくれ。夜が明けたら薬草を探しに行こう」

「……ありがとう」

 食事の準備のために汲んできた水が残っていたので布に浸して傷口を冷やしてやると、リュシカは気持ちよさそうに目を閉じやがて焚き火の明かりに照らされながらうとうとしはじめた。腕の中の少年の体が力を失い重みを増すのを確かめてから、アイクは彼をそっと地面に寝かせて、自分も隣に寄り添い毛布をかぶった。

 追っ手はいない。人々から不審に思われない程度の身なりも整えた。里に降りる準備ならば整っている。

 以前に会った行商人は本物の宝石のついた髪飾りの対価として二人に好きな商品を選ばせただけでなく、皮袋いっぱいの硬貨を渡してきた。だが生活に必要なものはすべてお膳立てされてきたリュシカと貨幣を介してものをやり取りする習慣のないアイクには、今自分たちが手にしている金で何を手に入れることができるかイメージすることは難しい。

 今の自分たちにとってずっしりと重い袋は山を歩く邪魔にしかならないが、もしかしてあれで馬かロバを買うことはできないだろうか。そうすればリュシカを歩かせずにすむ。明日こそ山を降りようかと考えながらアイクもいつしか眠りこんでいた。

 そして――奇妙な感覚で目を覚ました。

 火はまだ燃えている。月は高く、風のない静かな夜だ。なのに、どこかからそよそよと草がそよぐような音が聞こえてくる。

「アイク……何かが」

 寄り添う細い体に力が込もり、リュシカは小さな声で名前を呼んでくる。王都を逃げ出して以降聞いたことのなかった不安に満ちた声色だった。

「ああ、聞こえている」

 アイクは薄眼を開けて周囲の様子をうかがうが、そこには一見静かな夜が広がっているだけだ。しかし、焚き火の明かりの届かない、森が闇に溶けたその先には確実に何かがいて、しかもそれはアイクとリュシカに対して友好的とは言い難い意図を向けている。視覚ではない皮膚感覚でアイクはそれを感じ取った。

 獣か? しかし、獣ならば熟睡している人間を襲うのにこんな用心深さは見せないだろう。だったら人間――山賊か、それとも――。

「まさか、王都の兵士じゃないよね」

 リュシカの声が震えた。まったく同じことを考えていたにも関わらずアイクはリュシカの言葉への同意を躊躇ちゅうちょした。ここまで逃げてきたのに、今さら追っ手に捕らえられるだなんて信じたくない。

 じりじりと敵意の輪が狭まってくる。どこまで眠ったふりを続けどこで行動を起こすべきか。そもそも逃げるのか、戦うのか。

 アイクは人間の姿になど戻らなければよかったと強く思った。人間の姿をしていてもアイクの力は人より強く、体の大きさの割には俊敏でもある。しかし不思議な力で黒褐色の醜い獣に姿を変えられていたときはもっとずっと速く動けたし、暗闇でも遠くを見通し遠くの音を聞き分けた。鋭い爪や牙を持っていたから、剣も槍も弓もなくともリュシカを傷つけようとする者がいればいつ何時であれ飛びかかり相手の喉を切り裂くことができた。

 だが、今のアイクには武器と呼べる武器はない。前に出会った行商人は刀も弓も持っておらず、アイクが彼から手に入れることができたのは大振りのナイフのみだった。森で狩った動物を解体する調理道具としては十分だが、敵意を持った相手に囲まれた場合の装備としては極めて心もとない。

 ぎゅっとリュシカがアイクの手を握りしめる。アイクは一度力を込めてその手を握り返し、耳元に囁いた。

「奴らが動く気配がしたら、走れ」

「でも、君は」

「王都からの追っ手ならば狙いはリュシカ、おまえだ。おまえさえ逃げ切れば俺はどうにでもなる」

 このナイフ一本でどれだけ時間稼ぎができるか。あとは焚き火にくべてある火のついた薪を投げて、そこから先は――。

 アイクは毛布を跳ね除け立ち上がった。それと同時に、静かに様子をうかがっていた襲撃者も動く。

「行け!」

 そう叫び、リュシカの背中を押す。

 しかし敵の動きは素早く人数は思った以上に多かった。一気に焚き火の明かりに照らされる距離まで近づいてきた彼らは――完全に二人を取り囲んでいた。

 とても逃げられそうにないという意味では最悪の状況だ。しかし、弓をつがえた襲撃者たちの身なりが一様に質素で、風貌も王都の人々と異なっていることは不幸中の幸いだった。つまり彼らはリュシカを連れ戻すため王都から遣わされた追っ手ではないということだ。

「誰だ貴様たちは。山賊か?」

 アイクは右手にナイフを構え、左腕でリュシカを抱き寄せた。山賊であるならばまだ交渉の余地はある。手に入れたばかりの装備も行商人からもらった金も、なんならリュシカが隠し持っているはずの宝石付きの装飾品も渡してしまえばいい。それで自分たち二人の身の安全が守られるならば。

 襲撃者たちは黙ったままさらに一歩踏み出した。腕の中のリュシカが震えているのが伝わってくる。

「金ならそこにある。何だってくれてやるから、こいつに危害は加えるな!」

 アイクはそう叫んで荷物をまとめておいてある場所を指で示した。するとその声に呼応するように集団の中から一人の男が進み出た。

「何だ男か。しかもでかくて醜い」

 少しがっかりしたような声でそう言うと、まじまじとアイクの顔を見てつまらなさそうに舌打ちをする。だが、仲間らしい別の男がリュシカを指して言った。

「カイ、でかい奴は話にならないが、こっちのガキはそう悪くないんじゃないか」

 リュシカはその言葉を聞いてアイクの体に巻きつけた腕に込める力を強くした。どうやら襲撃者の目的は金や物ではない。だが、彼らは王都からの追っ手ではないものの今この瞬間リュシカを奪うべき獲物と認識したらしい。結局のところ最悪な状況であることは変わらない。

「……そうだな。とりあえず連れ帰ってスイに見せてみよう」

 カイ、と呼ばれた男がそう言うのと同時にアイクは首筋のあたりにチクリと痛みを感じた。矢で射られたほどの痛みではないが、確かに何かが体に刺さり、そして――。

「アイク? アイク!」

 リュシカが自分を呼ぶ声を聞きながら、アイクはあっという間に意識を失った。

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