19. 予感は確信に

 日暮れが近づき、広場にはいくつもの松明たいまつが灯される。

 契りの儀式――しかも普段目にすることのないよそ者の交わりを見られるとあっては集落の人々の興味もひときわ高まるものなのかもしれない。会場作りの様子をうかがいに来て、その場に居合わせたアイクとリュシカを遠目に何やら囁き合う者の姿すら目に入る。

「あれが見世物の舞台か」

 広場の真ん中に敷かれた黒い布を見てアイクはつぶやく。ご丁寧に周囲にはとりわけ大きな松明がいくつも設置され、空が漆黒の夜に覆われようとも、そこで行われる儀式を赤々と照らし出す準備は万端だ。

 リュシカはスイを助けるためににこの悪趣味な儀式をやるのだと言い出した。それに昨晩打ち明けられたようにリュシカもアイクのことを愛しているのであれば二人が契りを結ぶこと自体はなんらおかしなことではない。しかし愛し合う二人が結ばれることと、その様子が赤の他人の娯楽として消費されることの間には何の関連もない。アイクの心はまだ複雑だった。

「大丈夫だよ、僕は裸を見られるのには慣れているから」

 気丈に答えるリュシカはきっと《少年王》として生きていた頃に、日々女官たちの前で裸にされ、入浴の世話のため体をこすり清められていたことを思い出しているのだろう。王が臣下から入浴の手伝いを受けることと今やろうとしていることがまったく異なっているのは百も承知で、それでも優しいリュシカは自分たちを庇護してくれるセスやスイのためにできる限りのことをしてやろうとしているのだ。

 でも、俺は嫌だ。

 アイクは喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。

 本当は嫌だ。自分の醜い体はどうだっていい。でも、普段衣服に隠されているリュシカの肌がどれほど白くなめらかで美しいか、敏感な場所に触れたときに彼がどれだけ魅惑的な表情を見せ、どんな悩ましい声で啼くのか。若い欲望が屹立したときの赤く染まった先端がどれだけ愛らしく震え、みずみずしい露をたたえるか。そういったもの何一つとしてアイクは他の誰かに見せたくない。分け与えたくない。

 だが――よくよく自分の心の底をのぞいてみると、正反対の気持ちも密かに、しかし確かにアイクの中に潜んでいる。

 誰にも見せたくない、分け与えたくないと思っている一方で、アイクは他人にリュシカの媚態を見せつけてやりたいと思っているのだ。セスに、クシュナンに、昨日リュシカを襲おうとした男たちに、それ以外のこの集落の人々……そして世界中の人間に見せつけて、この少年をみだらにさせることが許されるのはこの世で自分だけなのだと、リュシカは自分だけのものなのだと知らしめたい。そんなよこしまな思いもまた確実に自分の中にある。

 アイクは引き裂かれた相反する心の狭間で何も言えずにただ、半時間後には自分たちが衆目に晒され絡み合っているであろう場所を眺めていた。

 さくりと砂を踏む音に気づいて振り返ると、そこには相変わらずおどおどとした表情を浮かべたセスが立っていた。手招きをされ怪訝に思いながら着いていった先はセスたちの暮らす屋敷だった。

「セス、何か用事?」

 訊ねるリュシカに向かって、セスは片手に載るほどの大きさの小さな壺を差し出してくる。リュシカが受け取ったその中身をアイクが横から覗くと、壺の中で半透明のとろみのある液体が揺れているのが見えた。

「何だこれは。おかしなものじゃないだろうな」

 訝しげなアイクの言葉に慌てて首を振ると、セスは首の石板に文字を書き付けリュシカに示す。リュシカはそれを読み、内容をアイクに伝えた。

「緊張して儀式が上手くいかないときに使うんだって。油と……少しだけ気持ちを和らげるような薬草のエキスが入っているから念のためにどうぞって」

「念のため?」

 聞き返すアイクにセスは顔を赤くしてうつむき、少しためらってから再び文字を記した。それを見たリュシカも釣られたように顔を赤く染めるが、アイクがじっとその内容を待っていることに気づくとおずおずと小さな声で告げた。

「あの、セスは色事のことはよくわからないけど、僕たちの体格がずいぶん違うから……これがあったほうが楽なんじゃないかって心配してくれているんだ」

 その言葉にかっと顔面が熱くなる。しかし次の瞬間にはアイクの脳裏には苦い記憶がよみがえっていた。

 一度だけリュシカを抱いた。まだアイクが獣の姿をしていた頃の話だ。媚薬のような液体を口にしたせいで我を忘れて、怯えるリュシカを組み伏せるとまだ誰も触れたことのない場所におよそ入るとは思えない獣の猛りをねじこんだ。獣の性器は一度挿入してしまえば欲望を放つまで抜けない作りになっていたから、あとはただ精を吐き尽くすまで痛みと衝撃に苦痛の声をあげるリュシカをひたすら揺さぶり続けた。もちろん、リュシカの体の受け入れた場所は裂け、彼の血と獣の精液が混ざり合った液体で哀れにも濡れそぼった。

 今のアイクは人間だ。局部の大きさも獣の頃ほどではないし、挿入すれば抜けないような、あんな凶暴なつくりもしていない。だが、人並み外れて大きな体格を持つアイクと未完成な少年の体ではまったく釣り合いが取れていないことには変わりなく、だからこそ王都から逃げてからのアイクはリュシカには手で触れるだけに留めていたのだ。

 契りの儀式というからには、言葉通り最後まで見せなければいけないのだろうか。だがそれは、すなわち再びアイクがリュシカの体を傷つけてしまうことを意味するのではないだろうか。アイクはひるみ、セスに疑問をぶつけようとした。

 しかし、そこに割って入ったのはスイだった。

「セス、何をやっている。もうすぐ儀式が始まるのだから彼らは広場にいるべきだろう」

 突然部屋に入ってきた兄にセスは気まずそうな表情を見せた。どうやら潤滑油を差し入れたのはスイに無断だったようだ。セスは言い訳を石板に書き付けようとするがスイは手を伸ばしてそれを静止し、セスがリュシカに渡した壺にちらりと目をやった。

「また余計なことをしたな、セス。そもそもおまえがよそ者に情を見せすぎるから、カイなんかにつけ込まれるんだ」

 弟を溺愛しているように見えるスイがセスに対してそんな厳しい言葉をかけるのは意外だった。セスの目は明らかに傷ついたように揺らいだが、それ以上何の言い訳をするわけでもなく小走りで部屋から走り去る。

「おい、そういう言い方は……」

 さすがにひどいのではないか、と思わずアイクが口に出す前にスイは自嘲気味に口を開いた。

「わかっている、何もかも俺の力不足だ。俺はあんなにも賢く優しい弟を口がきけないというだけで白痴扱いする野蛮な奴らを抑えることすらできない。だからといって奴らの言い分を聞いてセスをすべての重要な仕事から外すような残酷なこともできない。中途半端な態度がむしろ人々の弟への感情を悪化させていると知っているにも関わらずな」

 その言葉には将来の長としての立場と弟を思う兄としての立場の間で板挟みになった苦悩がにじみ出ている。アイクはさすがにこの時ばかりはスイのことを不憫に思った。

「だが、あんたの弟の『重要な仕事』はもうすぐ終わるんだろう。祭の日に神の使いとやらを帰してしまえば、そこまでだ」

 どちらかといえば慰めるつもりで口にした言葉だったが、アイクがそう言った瞬間スイは過剰ともいえる反応を見せた。

「その話を誰に聞いた! ……セスか?」

 顔色を変えて動揺するスイを見て、アイクは昨日頭をよぎった嫌な想像のことを思い出した。祭りの最後に行われるという、使いを神の元へ帰す儀式についての疑念――。

「スイ、なぜそんなに動揺する?」

「動揺などしていない。よそ者のおまえたちに神の使いの話など関係ない。余計な詮索をするな」

 嫌な予感は、スイのわかりやすい反応を受けて確信に変わる。スイは祭を、そして神の使いを帰すための儀式を後ろめたいものだと思っている。

 クシュナンという名のそいつは果たして本物の神の使いなのか。この集落の人間に本当に神の使いとやらを見分ける力があるのか。山の平穏を守るために神の使いを捕らえて集落に囲う彼らと、干ばつの責任を問い《少年王》を焼こうとした王都の人々の姿がアイクの中で重なる。

 アイクがそれ以上口にしなかったのは、隣にリュシカがいるからだ。これ以上の疑念をスイにぶつけるのは簡単だし、もしかしたらスイは言い逃れることなくアイクの質問に答えるかも知れない。だが、アイクはここから先の会話をリュシカに聞かせたくなかった。

「……余計な話はここまでだ。そろそろ時間が来る。契りの儀式をやると言い出したのはおまえたちだ。今更止めるなどとは言うなよ」

 アイクの沈黙を会話の終わりだと理解したのだろう。スイはちらりと窓の外に目をやると、神の使いについての話をそこで打ち切り、二人に広場へ向かうように言った。