30. たったひとつの方法

「火の粉、とはなんだ?」

 アイクは答えを求めて険しい顔をしたスイを見つめるが、答えはない。「火の粉」を取りに行ってくれないかと頼んできた張本人であるこの男ですら、それが何なのかを知らないのだ。

 早朝、呼び出しに応じてクシュナンの小屋を訪れた。クシュナンは足枷を外された姿で床にあぐらをかいていて、その隣には集落から姿を消したはずのセスが寄り添っている。そして少し距離を置いて苦虫をかみつぶしたような顔のスイが座っていた。

 奇妙な眺めにあっけにとられているアイクとリュシカにスイは、かつてクシュナンが断崖に置き去りにしてきた「火の粉」を取りに行って欲しいという頼みを切り出した。

 誰も答えを知らないのを確認し、クシュナンが口を開いた。

「『火の粉』とは、南で採れる数種類の岩石の粉を混ぜたものだ。一見ただの黒い砂のように見えるが、衝撃を与えると大きな音とともに火を放つ。このあたりでは見たことない人間も多いだろう」

 すると、アイクに寄り添うように座っていたリュシカがぱっと顔を明るくして身を乗り出した。

「僕、それ見たことあるかもしれない。何年か前に南の国の見世物芸人が王宮に来て……っ……」

 アイクが軽く脇腹をつねるとリュシカは慌てて口をつぐんだ。ここにいる三人は確かに比較的信用の置ける相手だが、だからといってリュシカが王都から逃げ出した《少年王》であることを知られていいわけではない。

「ともかく、そいつがあればこの状況がどうにかなると言うのか?」

「うまくいくかはわからない。ただ、祭りをうまくやり過ごすために何かに賭けてみるならば、あれを使うしかない」

 クシュナン自身も彼の頭の中にある作戦に完全な自信を持っているわけではないようだ。

 当たり前だ、話を聞く限り彼らは完全に追い込まれている。クシュナンを死なせるか、祭りを台無しにしておさの一家が責任を追及されるかのどちらかしかない。ゆがんだ信仰とその生け贄、両方を守ることなどできないことをアイクはよく知っている。そしてもちろんアイクは哀れな王都の人々ではなくリュシカを選んだ。

 だが、セスは選べない。そしてセスの苦しい思いを知るスイも、クシュナンも同様に選べない。選べないから――どうにかしてその両方を守る方法を探そうとしているのだ。

「私が行けば目立つし、こいつらを今動かすわけにはいかない。だから、本当に迷惑と面倒をかけっぱなしで申し訳ないとは思っているが、なんとか君たちに頼めないかと」

「いいよ。って、痛っ。アイク、さっきから何だよ……」

 アイクは再びリュシカの小脇をつねった。リュシカの優しい性格はわかっているが、そんなに簡単に返事をしていいような頼みだとは思えない。

「安請け合いするな。火を放つ粉なんて聞いただけで危ない気がするが、素人が簡単に触れるようなものなのか? しかもさっきの話だと、断崖に置き去りにしているって話じゃないか。そこは危険はないのか?」

 その「火の粉」はクシュナンが南から持ってきたものだ。地崩れで失った家族を探すのに危険なので岩陰に隠したが、そのまま集落の人々に捕まったので置き去りになった。一年ものあいだ誰にも持ち去られないまま残っているはわからない。しかも油紙や皮で厳重に包んではあるが、ひどく濡れて使えなくなっている可能性もあるのだという。

「地元の人間も立ち入らないほど危険な、人死にの出たような断崖なんだな。しかも、そんな危険を冒して取ってきたところで、使い物になるかはわからないと」

「一年前に大きな崩落が起きているならば、経験上数年は何もないはずだ。だが、絶対に安全だとは言い切れない」

 スイの言葉は歯切れが悪い。

 アイクが行くと言えば、きっとどんなに止めたところでリュシカもついてくる。つまり、この頼みを受けるということはリュシカの身を危険にさらすことに他ならない。

 誰一人、それ以上アイクに「火の粉」を取りに行くことを強要できない空気になる。場の雰囲気がひどく重苦しくなり、隣のリュシカも困ったように視線を泳がせる。やがて沈黙に耐えかねたのか、それまでじっと床を見つめていたセスが自らの胸を指で指した。

「駄目だ」

 いくつもの声が合わさる――その中にはアイク自身の声すら混ざっていた。

 セスが責任を感じているのはわかる。だが、もしも集落から消えたはずの彼がひとりで山をさまよっているのをカイたちが見つけてしまったら。セスを守ることができないのなら、そもそもこの作戦事態に意味がなくなってしまう。

「――俺が行く」

 アイクがため息とともにそう言うと、スイが改まったように姿勢を正し「すまない」と深く頭を下げた。続けてクシュナンが、セスが頭を下げる。こんな態度を取られれば背中がむずがゆいような、どうにも居心地の悪い気分になる。

「気にするな。そもそも山や森には慣れているんだ」

 頭をかいてそう言うアイクの横で、リュシカが小さく笑った。

 そして、アイクとリュシカは予想通りの「僕も行く」「だめだ」の攻防を繰り返し、結局のところアイクが折れた。

「だって、アイクの身に何かあれば、どうせ僕みたいな無力で世間知らずな子どもは一人じゃ生き延びられないんだから、崖から落ちるなら一緒だよ」

 リュシカは賢く育ちが良い分、学のないアイクよりも弁が立つ。理屈でやりあえば必ずアイクが負けてしまうのだ。ただ、アイクもわかっている。自分はきっとリュシカと一緒にいるほうが、リュシカを守らなければと思っているときのほうが強くなれるし、何だってうまくやれる。

 聞いたとおりの深い山道を二人で歩く。途中、アイクはリュシカが「火の粉」を見たことがあるかもしれないと言っていたことを思い出す。

「さっき言ってた『火の粉』の話だが、確かなのか?」

「うん。王宮で一度、南の見世物芸人が珍しい芸を王に見せたいと言ってやってきたとかで。その人が手を振ると大きな音がして、はじけるみたいに光と火が飛び出すんだ。しかもその火は赤とか青とか黄色とかいろんな色をしていて。すごくきれいだったけど、ちょっとだけ怖かったな」

「たかが見世物芸人にそんなことができるのか? 魔法使いの間違いなんじゃないか?」

 岩を削った粉を混ぜ合わせたもので、そんなことができるとはとてもではないがアイクには信じられない。だが、リュシカは確かにそのときも「火の粉」を使った仕掛けだと聞いたのだという。実際にクシュナンもそれを生業にしていたという以上、不思議な「火の粉」は実在すると信じるしかなさそうだ。

 山の奥、深い藪を抜けると話に聞いていた断崖に出た。確かに端の方にひどく崩れた跡があるが、見たところ今すぐにこれ以上崩落する危険はなさそうだった。とはいえ気は抜けないので二人は地盤に影響を与えないようそっとそっと歩を進めた。

 クシュナンの記憶は正確だった。彼の話よりは草が生い茂っていたが、岩陰の隙間を探れば動物の皮でできた袋が押し込まれている。何度か降った雨で袋の外側は汚れ、へたっているが、幾重にも重ねられた内側の袋にダメージはないように見える。

「そっと、そっとだよ。衝撃を与えると危ないって言ってた」

「ああ」

 息を止めながら袋を取り出し持ってきた布に大事に包んで背負い袋に入れる。あとはこれを爆発させないよう無事持ち帰るだけだ。だが、そこでアイクは袋の中に小さな花束を入れてきたことを思い出した。

「――いや、もうひとつあったな」

 それは、出かけようとするアイクとリュシカの後を追いかけセスが手渡してきたものだった。彼が何を言いたいのかはわかった。セスは、どうかクシュナンの大切な家族にこれを手向けて欲しいと花を摘んできたのだ。

 投げた花束は、ゆっくりと崖の下に消えていく。

 アイクには家族の情はわからない。自らの親には愛されずに育ったし、結婚にも子どもにも縁はない。少し前の自分だったらきっと、妻子を亡くして傷ついたクシュナンの気持ちを想像することはできなかった。スイとセスがああまでして互いを思う気持ちも理解できなかった。

 だが、今の自分にはリュシカがいる。だから、誰かが他の誰かを思う気持ちやその尊さも、少しくらいは想像ができる。

 帰り道、妙に機嫌良さそうなリュシカが言う。

「アイク、あんなこと言って、本当は最初からこの頼みを断るつもりなんてなかったんだろう。君は優しい。僕を救ってくれたように、セスやクシュナンを助けずにはいられないんだ」

 アイクは即座に首を左右に振る。

「買いかぶるな。俺はリュシカ、おまえと二人だけの国に生きている、おまえだけの忠実な臣下でおまえを守る獣だ。俺がもしもあいつらを助けたがっているのだとすれば、それはおまえが望んでいるからだよ。それ以上でも以下でもない」

 だが、ふふ、と声に出してリュシカはまた意味ありげに笑った。

「君は、多分まだ自分のことをよくわかっていないんだと思うよ。それに僕はそういう君のことは嫌じゃないから。君の好きなものが増えれば、それは僕の宝物にもなる。……もちろんいつだって僕のことを一番に好きでいて欲しいとは思うけど」

 突然腕に抱きつかれ、アイクはよろめきそうになり慌てる。今、この状態で転んだら背中の「火の粉」がどうなるかわからない。

「危ないだろう、抱きつくなら後にしてくれ」

 ――でも、確かにアイク自身も、あの不器用な兄弟や「神の使い」のことは嫌いではない。

 戻ってきた二人から受け取った袋の中身を確かめたクシュナンは、満足げに目を細めた。どうやら中まで水分は染みておらず、十分「火の粉」は使用に耐えうるようだ。そして、職人の目になったクシュナンは、これから三日間小屋に立ち入らないようにと告げた。すでにその間をしのぐための水と食料はスイは運び込んでいるのだという。

 クシュナンは一体何をしようとしているのか、アイクにもリュシカにも、おそらくセスにすらわからない。だが、今は彼を信じる以外にはなかった。

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