ミドルティーン。まだ世の中のことなどろくに知らないのに、何もかもわかったつもりになっている年頃。愛だって恋だって、いともたやすく永遠の真実だなんて信じて、それがただの気まぐれだと知るのは正気に戻ったとき。もっとも自分のようにいつまでも正気に戻れない人間だっているのだが。
サイドテーブルに置いたままの十字架のネックレスがここのところやたらと目につく。子どもの小遣いで手に入る程度の安っぽい金メッキのロザリオ。恋愛に溺れていた十四歳のラインハルトが、オスカルと揃いで買ったものだ。
オスカルの心が自分から離れたと気づいてから何度捨て去ろうと思ったかわからない。でも、ラインハルトの人生でたった一度、たとえオスカルにとっては幼さゆえの過ちだったとしても――可愛いと、好きだと言われ愛された思い出の品を捨てる勇気はなかなか持てずにきた。
でも最近では、その安っぽい輝きをいくらか違った気持ちで眺めることができる。これは教訓だ。人の心がどれだけ移ろいやすいかを、子どもがどれだけ気まぐれであるかを忘れないための。あれだけ熱っぽい目で見つめ甘い言葉を投げかけてくれたオスカルだって、スイスに引っ越してしまえばじきラインハルトのことなど忘れてしまった。
だから例えばルーカスが今ラインハルトに気を許し、懐いたように見えてもそれはただの一時的な気持ち。誰か他に屋根を貸してくれる人と出会ったり、他人の屋根を頼らず生きていけるようになれば彼はここを去る。だからラインハルトもルーカスに心など許さないし、同情以上の気持ちなど持たない。
ひとつ深呼吸をしてラインハルトは寝室を出る。
部屋を出る前に儀式が必要なのは、あの日から。正直クララにそそのかされてルーカスの誕生日を祝ったことをラインハルトはいくらか後悔している。もしかしたら最初から間違っていたのかもしれない。父への反抗心からうっかりルーカスをここに連れてきてしまったことも、過去の自分と彼の孤独を重ねて彼をここに住まわせると決めたことも。
足音を忍ばせてリビングを通り抜けようとしてソファの横で立ち止まった。ルーカスはまだよく眠っている。体を丸めてはいるにも関わらずソファの座面からはみ出した足先がもぞもぞと動くのを見て、確かここにやってきたときは小柄な彼の体はまだぴったりとこのソファにおさまっていたはずだと思う。少しずつ伸びていく身長、少しずつ低くなっていく声。ルーカスは確かに日々成長して、大人へと近づいているのだ。
――怖い。
ふいに襲ってくるのは、どうしようもない不安と恐怖。この金色の髪が、つやつやと少年らしく輝く頰が、小枝のような手足が少しずつ変化していくのだとすれば、ラインハルトは同じ屋根の下で暮らす人間としてそれを間近で見届けることになる。
もちろんルーカスはラインハルトとは違う。彼自身は早く大人になりたがっていて、成長を恐れることはないだろう。でもラインハルトはそう簡単に割り切ることができない。初対面のルーカスになんとも言えない嫌な感情を抱いたのが彼の外見ゆえであるならば、彼を最終的に自分の家におくことにした同情の理由のひとつもまた彼の外見であるからだ。懐かしくて妬ましくて、でも憧れてやまない美しい少年の姿を持っているからこそ、ルーカスをここに置くことにした。
ルーカスが身じろぎする。目を覚まされてはたまらないのでラインハルトは慌ててソファのそばを離れバスルームにこもる。鏡に映る、醜い大人の男の姿にため息をつき、ルーカスをここに連れてきたことは間違いだったのかもしれないと改めて思う。かつて自分の姿が日々変わっていくことに怯え絶望した、あの気持ちを再びルーカスの成長を眺めることで追体験しなければならない。果たして自分はそれに耐えられるのだろうか。
「おはよう、ラインハルト」
顔を洗い髭を剃り、気持ちをいくらか落ち着けて部屋に戻るとちょうどルーカスが目を覚ます。毎度お決まりのタイミングはあまりに規則正しすぎる。ルーカスはきっともっと早く目を覚ましていて、この家で暮らすためのルール「ラインハルトが身支度を整えるまではその姿を見ようとしないこと」を守るためだけに、寝たふりをしている。もはやそれはふたりの間では暗黙の了解だ。
ラインハルトにとっては毎日少しずつ足下に亀裂が増えていくような生活を、ルーカスはどう思っているのか。もちろんそれを直接聞くことはない。
「そういえば、日曜出かけるから。家に行ってくる」
伸びをしながらルーカスは何気ない調子でそう切り出した。喉仏が少し出てきた、密かにそんなところに注目してしまう自分を嫌悪しながらラインハルトは平静を装って聞き返す。
「家って、おまえの?」
「うん。買い手が見つかったらしくて、だから荷物の片付けをしようって叔父さんたちと」
「買い手が見つかった!?」
思わず大きな声を出してしまったのは、あの家を売りに出していたとは知らなかったからだ。ルーカスが亡き両親と暮らしていた家は、今は主を失っているが、彼にとっては大切な親からの遺産のひとつであり、何より大きな思い出であるはずだ。
「うん。どうしたの、そんな大声出して」
「だってあの家は……大事なものなんじゃないのか」
てっきりラインハルトは、あの家はゆくゆくは保護者を必要としなくなったルーカスがそこで暮らすためそのままにしてあるのだと思っていた。あと十年も経てば彼も結婚して子どもを持つかもしれない。そうすればあの枯れ果てた庭も再び花であふれるのだと。だが、ルーカスは平然としたものだ。
「叔父さんが、あの家を欲しがっている人が見つかったんだって。金額も悪くないって言うから、売ることにするよ」
まるで他人事のようにそう言うと、ラインハルトに背を向けてキッチンに入った。