僕と機械仕掛けと傷痕(1)

 歌が終わり、みんながパチパチと拍手をする。

「おめでとう、アキくん」

 ナディア先生がそう言って、僕に紙の花でできた首飾りをかけてくれた。くすぐったいような、恥ずかしいような、誇らしいような、なんともいえない気持ちで僕は思わず目を伏せてしまう。

「アキくんも、六歳ね。来年はもう小学校だわ」

 六歳――そう、今日はナーサリーのお誕生会。別に僕だけに特別というわけじゃなく、毎月、その月に誕生日を迎える子どものために第一金曜日の午後にお祝い会を開くのだ。みんなで歌を歌って、首飾りをかけて、いつものおやつよりちょっと豪華なケーキを食べる。でも僕のクラスに七月の生まれは僕ひとりしかいないから、みんなが僕だけのために歌ってお祝いしてくれているみたいな気分になってしまう。

 アイシングのきれいなカップケーキも、今日は僕が一番に選んでいい。水色のクリームの上に、ポピーとちょっと似ている猫の形のビスケットがのっているものを選んだ。サーシャはお店で売っているケーキはたまにしか買ってくれないから、ピカピカのきれいなデコレーションがもったいなくて僕はなかなかそれを崩す気になれない。

「アキくん、おうちでもお祝いはしてもらった?」

 すでに口の周りを白と紫のクリームでベトベトに汚しながら、友達のベンがきく。僕はそっとポピーのビスケットをカップケーキから外して、足のあたりにくっついてきたクリームだけをペロリと舐めた。

「うん。この前の日曜日はおじいさんに自転車をもらったよ。サーシャも、ひとつだけ好きなもの買ってくれるって言ったけど、そっちはまだ考えてるところ」

「いいなあ、たくさんプレゼントもらえて」

 ベンは羨ましそうに言った。

 そう、自転車。先週の日曜日に郊外のおじいさんの家に行ったとき、リビングにピカピカの子ども用自転車を見つけた僕は、嬉しさと興奮で飛び上がりそうになった。おじいさんは、「君のような子どもの好みはわからないが」と心配そうだったけれど、緑色の自転車は僕の好みにぴったりだった。何より僕はずっと自転車が欲しくて仕方なかったのだ。

 ただひとつだけ心配なことがあったので、それをおじいさんにどう切り出すべきか少し悩んだ。

「あの、自転車なんだけど――まだ、サーシャが……」

 実は、自転車が欲しいという話は何度もサーシャにしたことがあって、そのたびにつれなく却下されていた。「あなたみたいな落ち着きがなくて怖いもの知らずの子どもに自転車はまだ早いんです」というのが彼の言い分で、僕がいくら、絶対に危ないことはしないと言っても信用してくれない。

 確かに僕はナーサリーの園庭遊びでもしょっちゅう擦り傷や切り傷を作っている。でも、周りに自転車を持っている子は多いし、補助輪を外しているんだという自慢を聞いたことだってある。そんな話を聞くたびに置いていかれるような寂しさや、羨ましさでいっぱいになってしまう。

 この緑色の自転車を持って帰ったら、サーシャはなんと言うだろう。おじいさんからのプレゼントだったら仕方ないと、ため息をつきながらも練習を許してくれるだろうか。それとも、決してアパートメントの外に持ち出すことを許してくれず、僕の部屋の飾りものにしてしまうだろうか。

「サーシャは、アキヒコが自転車に乗るのに反対なんだな」

 おじいさんはどうやら、僕の言いたいことを察してくれたようだ。その声が怒っているわけでも、がっかりしているわけでもないようなので僕は少しほっとした。僕がこの自転車を持ち帰れないことを話したらおじいさんががっかりするのではないかと心配だったのだ。

「僕がそそっかしくて危ないんだって」

「ふむ、でもアキヒコの周囲の子どもはたいていもう自転車に乗っているんだろう? 少し過保護ではないか」

 僕はおじいさんへの同意をこめてコクリとうなずくが、ベネットさんはこちらをちらりと横目で見てからため息をつく。

「お言葉ですが、ラザフォード様は最後までエマ様に自転車を買い与えることを拒み続けていらしたかと。エマ様はそそっかしいから危険だとおっしゃって」

「エマは女だ。自転車なんかに乗る必要はなかった」

 おじいさんは少し気まずそうに答え、それから僕の髪を撫でた。

「アキヒコ、この自転車のことはサーシャには秘密にしておこう。週末にここでこっそり練習すればいい。なに、ここの庭なら十分な広さはあるし、自動車も入ってこないから危ないこともない。しっかり自転車をコントロールできるようになってから、サーシャを驚かせてやれ」

 それはすごく素敵なアイデアだと思った。

 サーシャはいちいち口うるさいし、僕のことを何もできない赤ちゃんだと思っている。確かに彼が「アキ、そんな持ち方をしたらお皿を落としますよ」と言った直後に僕は夕食の乗ったお皿を床に落として割ってしまった。公園の花壇の縁石の上をバランスをとりながら歩いているときには「やめなさい、転びます」と言われて数分も立たないうちによろめいて、石畳に顔をぶつける直前でサーシャに抱き上げられた。だからサーシャの言うことは半分くらいは――いや、大体は当たっているんだけど、でももう僕は六歳だし、来年には小学生だ。サーシャが思っているよりもずっといろんなことができるんだと見せてやりたい気持ちはある。

「うん!」と、僕は喜んで返事をした。

 しかし、最初の練習でさっそく自転車ごと倒れて膝を擦りむいてしまった僕は、その日どきどきしながらアパートメントに帰った。おじいさんの庭で走っていて転んだ、そんな言い訳を考えていたのに、エプロンをしてキッチンに立つサーシャは僕の姿をみるなり、言った。

「まったく、サー・ラザフォードはあなたに甘いですね」

「サーシャ、僕ちょっと転んじゃって……」

 準備した言葉を言い終わる前に、やってきた彼は床に膝をつき、目線の高さを合わせて僕に言う。

「アキ、あなたの良いところのひとつは、嘘が下手なところですね。……いいでしょう、あなたのおじいさまに免じて自転車の練習は許しましょう。ただし車の来ないラザフォード邸の庭の中で、日曜日だけですよ」

「……はい」

 結局何もかも、サーシャはお見通しなのだ。