第2話

 学校に通いはじめた最初の日に僕の目を釘づけにしたのは、目の前でゆらゆらと揺れるピンク色をした二本のおさげ髪だった。

 自由に髪の毛の色を変えることができる大人は別として、僕と同じくらいの子どもで、こんなにきれいな髪の色は見たことがなかった。サーシャだって「ストロベリーブロンドは珍しい」と言っていたから、きっとこの子はすごく運がいいんだろう。

 僕は、目の前で猫じゃらしを振ったときのポピーみたいに、左右にゆっくり揺れるおさげに合わせてゆらゆらと視線を動かした。

 もしもここにサーシャがいたら、人の髪をそんなにじろじろ見つめるなんて失礼です、とかなんとか叱られてしまうかもしれない。でもサーシャは送り迎えするだけで学校の中には入ってこないから今は誰も僕に文句を言ったりしない。

 お母さんと同じ髪の色。アルバムの中のお母さんと同じ二本のおさげ。僕は、自分がおじいさんの家にあるあの分厚いアルバムの写真の中に入り込んでしまったような気分になっていた。

 あの髪に触ったらどんな感じだろう。お母さんの髪みたいな感触がするんだろうか。考えはじめると僕はそわそわ落ち着かなくなる。触ってみたい。でも、知らない女の子に「髪の毛に触らせて」なんて言ったら、きっと変なやつだと思われてしまう。だって僕だって知らない子に触られたくなんかない。

 先生はこれから学校で過ごすためのルールについて大きな声で話しているけれど、僕の耳には全然入ってこない。同じ髪の色をしているということは、きっとお母さんと同じように賢くて優しい女の子だろうから、ちょっと触ったくらいじゃ怒らないに決まってる。それにそっと触れれば、もしかしたら彼女には気づかれないかもしれない。僕はただ揺れるストロベリーブロンドが気になって、ほんのちょっと触れてみたくて――。

「何すんのよっ!」

 鋭い叫び声が、教室の空気をびいいんと震わせた。

 先生は話をやめてびっくりした顔でこっちを見ている。いや、先生だけじゃなくて、教室の中にいる全員が、僕と、僕の方を振り返って眉を釣り上げている女の子の方を見ていた。

 僕はびっくりして、指を引っ込める。ほんの一瞬だったからピンク色の髪の毛がどんな手触りかはわからなかった。そんなことより振り向いた女の子があまりに怒っていることへの驚き、教室中の注目を浴びてしまったことへの恥ずかしさ、いたずらがばれたことへの体裁の悪さ、そんな気持ちが身体中いっぱいになって、泣き出したいような逃げ出したいような気持ちになった。

「どうしたの?」と先生が戸惑ったように声をかけると、女の子は僕をちらっとにらんでから先生の方を振り返り、言った。

「こいつ、あたしの髪を引っ張った」

 引っ張ってなんかいない。ほんのちょっと、おさげの先に触ろうとしただけだ。なのにこんなに大騒ぎして、僕がすごくひどいことをしたみたいに先生に言いつけるなんてひどい。

 ただお母さんと同じ髪の色をしているというだけで、その子のことを優しくて賢いいい子だと思い込んだのは大間違いだった。大きな目にぺちゃんこの鼻をした彼女の顔はお母さんとは全然似ていなかった。

 僕はなんだか腹が立ってきて、彼女に負けないくらい大きな声を出す。

「嘘つくな、引っ張ったりなんかしてない」

 すると再び僕の方に向き直った彼女は、負けじと「あんたの方が嘘つきよ。あたし何にもしてないのに、髪引っ張るなんか、最低」と怒鳴り、椅子を蹴った。

 僕はひるんだ。彼女は僕よりちょっとだけ背が高いから、もしかしたら取っ組み合いのけんかになったら負けてしまうかもしれない。ナーサリーの友達だったベンはいつも妹に引っかかれて傷を作っていて、事あるごとに僕に「オンナってキョーボーなんだよ」と言った。

 ひとりっ子で、親戚もおじいさんひとりしかいない僕には本当に女の子が凶暴なのかはわからなかった。でも、今目の前で怒った顔をしている女の子を見ていると、ベンの言っていたことが理解できるような気がしてくる。

 でも、ここで女の子にやられたら入学初日から学校で馬鹿にされてしまうかもしれない。アキヒコは女より弱いって、見下されて友達もできないかもしれない。だから僕も勇気を出して立ち上がった。

「おさげ女、やる気か?」

 挑発するようなことを言ったのは、周囲に弱気を気取られたくないから。ピンクの髪を逆立てそうに怒っている目の前の女の子のことが、本当は怖くて仕方なかった。だから――そこで先生が止めに入ってくれたことに僕は内心とてもほっとしたのだ。

「やめなさい、ビビ! やめなさい、アキ! 二人とも、初日からけんかなんてやめて」

 教壇から駆け寄ってきた先生が、僕と女の子の間に立ちふさがった。

「だって先生、この子が先に……」

「だって先生、僕、引っ張ってなんかない。ほんのちょっと触っただけ……」

 僕と、ストロベリーブロンドの女の子――ビビは、にらみ合う。

 先生はため息をついて「話は後でゆっくりしましょう。とにかく今は他の子を怖がらせないで」と言った。ビビが渋々といった様子で元どおり椅子に座り前を向くのを見届けて、僕も仏頂面のままで自分の椅子に座った。

 ビビのおさげが揺れる。さっきまであんなにキラキラきれいだったそれが、今ではひどく憎たらしく見えて、僕は涙が出ないようにぎゅっと喉の奥に力を込めた。

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