第5話

 僕にはビビの言っている意味がわからなかった。だから振り向いて聞き直す。

「ロボットの匂い?」

 ビビは当たり前のように大きくうなずいてから、興味津々といった感じで僕の方に身を乗り出す。さっきまでのツンとした態度が嘘みたいにその目はキラキラと輝いて、とても嬉しそうに見えた。例えば僕が歩いていて、ブラウンさんの猫のポピーを見つけたときみたいな。

「うん。家にいるんでしょ? 男、女? 大人、それとも子ども? もしかしてペット型だったりする?」

「え、あの……」

 不機嫌な顔で怒られるのは気分が悪いけれど、こんなに急に態度を変えられて、しかも質問責めにされるなんてちょっと気持ち悪い。僕はビビの質問に素直に答えて良いのかわからなくなって一歩後ずさりした。

 でも、ビビは僕が下がった分だけ踏み出して思いきり顔を近づけてくる。ついでに僕の首のあたりに鼻を近づけて思いきり息を吸い込んでから満足そうにもう一度うなずいた。

「うん、絶対にいるはずよ。だって、こんなに混じりっ気なくロボットの匂いがする子、見たことないもん」

 ロボットに匂いがあるなんて僕はちっとも知らなかった。もう何年間もサーシャと一緒に暮らしているけれど、サーシャからは何の匂いもしない。いや、正確に言えばサーシャの着ている洗いたてでアイロンのきいたシャツやエプロンから洗剤やお日様の匂いがすることはある。でもそれはあくまでサーシャが着ているものについている匂いだから、サーシャそのものにロボットの匂いがあるわけではないと思う。

 でも――ビビは僕からロボットの匂いがするのだと言い切った。しかも実際に僕はロボットと一緒に暮らしているのだから、ビビが嘘つきだと決まったわけではない。

「ぼ、僕、ロボットと暮らしているから、そのせいかも。でもロボットの匂いなんて聞いたことないよ」

 ふわふわとあいまいで、はっきりしない僕の返事に、ビビは少し得意げな表情を見せた。

「あたしにはわかるの。だってあたしのパパはロボットの開発者だから」

「へ、へえ」

 ロボットの博士のことは、テレビでも見たことがあるし、僕の持っている科学絵本にも書いてあった。人の役に立つ新しいロボットを夜も眠らないで研究するような賢くて立派な人の話だった。こんな人がサーシャを作ったのだろうかと僕は興奮したけれど、サーシャは特に興味も感動もなさそうな様子でキッチンに立ったまま振り向きもしなかった。

 僕が相づちを打ったのに気を良くしたのか、ビビはさらにまくし立てる。

「パパはすごいのよ。誰より最先端のロボットを作ってるの。パパのロボットはあんたのより百万倍すごいんだから」

 その言葉の後半には少しかちんときた。ビビが彼女のお父さんのことが大好きで、その人がすごく立派なロボット博士なのは本当のことなのかもしれない。でも、だからってそのお父さんが作っているロボットと比べて僕のサーシャを馬鹿にすることなんて、ないのに。

「サ、サーシャだってすごいよ」

「サーシャって……それがあんたのロボットの名前?」

 ささやかな反論にビビは聞き返す。僕は思いきり首を縦に振った。するとちょっと元気が出てきて、ビビに言い返してやろうという気持ちになってくる。おまえのパパの最先端ロボットがどれほどすごいのか知らないけれど、サーシャだってすごいんだと。

「そう、サーシャは僕のロボットだよ! 誰だって言われるまでサーシャがロボットだなんて気づかない。人間そっくりにできてるし、お料理だってお裁縫だって、家のこと何でもできるし、僕が高い場所から落ちたときだって助けてくれたんだ」

 ビビは目を丸くしてびっくりしたみたいだった。でもその驚きの理由が、サーシャのすごさを知ったからなのか、急に僕が大きな声でたくさん喋ったからなのかはわからない。ただひとつだけ確かなのは、ビビはもう僕のことを怒っても、嫌ってもいないということだ。

「ふうん、まあいいや。なんだっけ名前」

 つっけんどんに、でも言葉の奥になんとなく親密さや好奇心も感じるような、そんな口調でビビは僕の名前を聞いた。

「……アキ。アキヒコ・ラザフォード」

 僕の返事を聞きながら、ビビは軽い身のこなしでひょいと机に腰掛けた。そして、少し高い目線から僕を見下ろしながら笑った。

「アキ。いいわ、友達になろう」

「え?」

「あたしね、ロボットのにおいがする子、好きなのよ」

 笑顔の横では、ストロベリーブロンドのおさげが揺れている。その揺れに釣られて僕の目も自然と動く。

 前に催眠術のテレビを見たことがある。途中で「こんなまやかし、教育上良くないです」とサーシャにチャンネルを変えられてしまったけれど、そこでは黒い服を着て髭を生やしたおじさんが、振り子みたいなものをゆっくりと振っていた。そして、その振り子の先をじっと見ている相手はだんだん目がとろんとして、催眠術師の言うことを聞くようになってしまうのだ。

 だから、お母さんの髪と良く似た色のおさげが揺れるのを見ながら僕はちょっとぼんやりしてしまって、ついうっかりビビの言葉にうなずいてしまったのかもしれない。

* * *

「……何が不満なんですか、仲直りできたというのに機嫌悪そうな顔をして」

 学校からの帰り道、並んで歩くサーシャは言う。

「別に不満じゃないけどさ」と返事をしながら、僕は自分の唇が尖っていることに気づいていた。不満じゃない。ただ、一方的に怒られて、かと思えば友達になるだとか。要するになんだかビビの思うがままにされているみたいで悔しいのだ。

「それにちょっと失礼なんだよ、あの子」

「人のこと言えないでしょう。あなただって、何かと失礼なこと言うじゃないですか」

 茶化された僕は思わずつないでいたサーシャの手を離す。それは自分なりの抗議の気持ちだったのだけれど、離した手はすぐに強い力でつかまれて元どおり。この辺りは車が多いからとサーシャは手をつながずに歩くことを許してくれない。

「そういうんじゃなくてさ……でも、うん。まあいいや」

 僕はそこで、ビビの話をやめた。

 具体的にビビがどんな物言いをしたのかを話して、サーシャに僕の言い分を理解してもらう方法もあった。でもそれをすれば、ビビが彼女のお父さんのロボットがサーシャの百万倍すごいと言ったことも話すことになる。それは嫌だった。だって、もしかしたらサーシャが悲しい気持ちになるかもしれないから。

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