ビビは不思議な女の子だった。
友達になろうと言われてうなずいて、次の日からのビビは最初の日に大げんかしたことなんて忘れたみたいに優しくなった。他にもビビと仲良くしたがっている子はたくさんいるように見えたけど、そういった子たちを交えて遊ぶよりも僕と二人になりたがった。
ビビはすごくおしゃべりだったかと思えば、急に退屈そうに黙りこんだりして気まぐれだから、一緒にいると少し疲れる。でもストロベリーブロンドの髪を僕がじっと眺めていると、ときどき「触っていいわよ」と言ってお下げの房を差し出してくれる。そういうときのビビの目はあんまり子供っぽくなくて、どちらかといえば僕の死んでしまったお母さんや、サーシャみたいな大人っぽい感じがする。そして僕はビビのことが嫌いにはなれない。
「ビビって、ちょっと変わってるんだ」
僕がそうこぼすと、サーシャは聞き返す。
「変わっているって、どういうところがですか?」
「うーん。怒ったり笑ったり黙ったり、なんかコロコロ変わるんだ。優しいときもあれば急に機嫌悪くなったり」
「女の子は大体そういうものだと聞いていますが。これまであなたに女の子の友達がいなかったから知らなかっただけでしょう」
言われてみればそんな気もする。でも、同じクラスの他の女の子たちと比べてもビビは少し特別な感じがするから、やっぱりサーシャの言うことも完璧に正しいとは思えない。
僕の答えにサーシャは首を傾げて、意味ありげに微笑んだ。
「それはもしかしたらアキ、あなたにとってビビがちょっと特別な女の子だからなのかもしれませんね」
特別な女の子――確かに初めての女の子の友達で、お母さんと似た髪の色をしていて、ロボットのにおいが好きだというビビは他のどの子とも違っている。でもサーシャが言っているのはそんなことではないような気がして、僕はうまく返事ができなかった。
難しい顔をして黙っている僕をサーシャはただ笑って見つめていた。
ビビが「うちに遊びにいらっしゃいよ」と言い出したのは、すっかり校庭の木々の葉っぱが散ってしまった頃。
「ビビの家に?」
「そうよ。パパとママにアキの話をしたら、ぜひ連れていらっしゃいって。うちにはパパの作ったロボットの部品もたくさんあるのよ」
ビビは誇らしげで、誘えば僕が喜んで首を縦に振ると確信しているみたいだった。でも、僕の気持ちは複雑だ。
まず、ビビは勘違いをしているけれど、僕は決してロボットが好きなわけではない。もちろんサーシャのことは好きだけど、それはサーシャが一番身近な家族みたいな存在だからであって、彼がロボットだからじゃない。何より僕は知らない人、特に知らない大人と会うのがあまり苦手だった。緊張して何を話せばいいかわからなくて、短い時間でもすごく疲れてしまうからだ。
「で、でもよその家に勝手に遊びに行っちゃいけないって言われているから、僕だけじゃ決められないよ」
「だったら誰に聞けば良いの? あんたのサーシャ? それとも他の誰か?」
僕は言葉に詰まる。もしも友達の家に遊びに誘われたと言ったらサーシャはどんな顔をするだろう。きっと笑顔で「言ってらっしゃい」と言って、なんなら手土産にケーキかパイを焼いてくれるだろう。おじいさんは、ベネットさんはどうだろう。決して反対はしない気がする。
結局僕は押し切られるように、土曜日の午後に仮の約束を取り付けられてしまった。日曜にしなかったのはもちろん、おじいさんの家に行く用事があるからだ。そして案の定、家に帰ってビビとの約束の話をすると、サーシャは喜んでお土産のお茶菓子を何にするかを考え始めた。
そして土曜日、僕はサーシャに手を引かれてバスに乗り、ビビの家から一番近くにあるバス停で降りた。
ビビの家は僕の小さなアパートメントよりはずっと大きくて、でもおじいさんの大きな家よりはずっと小さい一軒家だった。玄関のベルを鳴らすとビビと、ビビに良く似た大人の女の人が出てくる。
「いらっしゃい、アキ」
ビビはそう言ってサーシャを値踏みするみたいにじろりと眺めた。その瞬間サーシャの表情も少し強張ったような気がしたけど、すぐにまた笑顔になったからきっと僕の勘違いなのだと思う。
「うちの娘が無理を言って、ごめんなさい。わがままな子で……。もしよろしければあなたも上がっていかれたら?」
送り迎えだけさせるのは失礼だと思ったのか、ビビのお母さんはそうサーシャに話しかけた。けれどサーシャは丁寧に誘いを断りビビのお母さんにアップルパイの入った袋を渡してから僕に迎えに来る時間を伝えた。
「アキ、よそのお宅ですからお行儀よくするんですよ」
「わかってるよ」
ビビの前で小さい子どもみたいに扱われたことが照れくさくて、僕は振り向きもせずに出て行くサーシャを見送った。
ビビのお母さんは僕の死んだお母さんよりいくらか年上に見えた。髪の毛には白髪が混じっているし、すごく優しそうだけどちょっと疲れているようにも見える。
淹れてもらったココアに手を伸ばそうとしたそのときに、ビビが僕の腕を引く。
「ねえアキ、パパに会いに行こう。パパは書斎にいるの。お家でもロボットの研究をしているから」
「えっ、ビビ。でも……」
外を歩いてきた僕の体は冷え切っていて、目の前のココアからは温かい湯気と甘い香り。僕はビビのパパに会うよりも先にココアを飲んでクッキーを食べたかった。でも、当然のようにビビは僕の気持ちを無視する。
「行こうよ、パパはすごく偉いロボットの博士だから」
そんなことどうだって良いと思いながら、結局はビビに引きずられるままに二階の突き当たりにある部屋のドアを叩く羽目になった。
ビビのお父さんはメガネをかけた穏やかな男の人だった。そしてビビのお母さんと同じように少し疲れているように見えた。
僕にはお父さんがいない。普段やり取りするのはサーシャと、おじいさんと、おじいさんの弁護士のベネットさん。サーシャは僕のお父さんになるには若すぎるし、そもそもロボットだ。おじいさんやベネットさんは僕のお父さんになるにはずっと歳をとっている。要するに僕はこのくらいの年齢の男の人がとりわけ苦手だ。
「はじめまして、アキヒコくん。話はビビから聞いているよ。いつも仲良くしてくれているんだって、ありがとう」
緊張して固まっている僕に、ビビのお父さんは優しく話しかけた。ロボット博士というのはもっと気難しくて怖い人だと思っていた僕は拍子抜けてしまう。
「ねえパパ、さっきね、アキのロボットも玄関まで一緒に来たのよ。アキと二人で暮らしてるんだって! ママが一緒にどうぞって言ったのに帰っちゃった」
「そうか、遠慮させてしまったのかもしれないね」
僕は緊張は解けたもののビビのお父さんと何を話せば良いのかわからなくて、ただモジモジとしていた。一方のビビは自慢の父親を僕に紹介できてよほど嬉しいのかマシンガンのように喋りまくっている。
「そうだ、パパ! パパがビビに作ってくれた特別のおもちゃのロボット! 本物がそっくり小さくなったみたいなパンダのロボットをアキに見せてあげよう。きっとびっくりするわ」
突然そう言ったビビは、自慢のパンダロボットを取りに自分の部屋に走っていった。その背中を呆気にとられて眺めている僕に、ビビのお父さんが言った。
「ごめんね、娘は少しエキセントリックというか気まぐれというか……人を振り回すようなところがあって。今日も無理にお誘いしたんじゃないのかな」
確かにその指摘は間違いではない。でも、いざビビのお父さんからそんな風に謝られると、僕は首を左右に振ることしかできない。
「ううん。僕もビビと遊びたかったから……」
僕の答えに、ビビのお父さんは安心したように笑う。
「そうか、それは良かった。娘は大きな病気をしたことがあって。僕や妻もそれ以来どうもあの子には甘くてね」