第8話

 僕の不安をよそに、ビビはその後も変わらなかった。

 いつも元気で、ちょっと強引で、ストロベリーブロンドのおさげを揺らしながら僕に駆け寄ってくる。だから僕もそのうちにビビのパパが言っていたこと――ビビが前に重い病気にかかったことがあるという話をほとんど気にしなくなっていった。

 どちらかといえば変わったのはサーシャの方だ。最初は僕に仲の良い友達ができたことをあんなに喜んでいたのに、けんかの話をしたら僕よりもビビの味方をするくらいだったのに、いつからか僕がビビの話をするとちょっとだけ暗い顔をするようになった。

 ビビが僕の家に遊びに来たいと言い出したときだって同じだ。

「ねえサーシャ、ビビがうちに遊びに来たいんだって」

 おずおずと切り出した僕に、サーシャは首を傾げて言う。

「そうですか。でもここは広くもないしリフトもついていないから、遊びに来ても楽しくないでしょう。……例えば、お願いして一緒にサー・ラザフォードのお宅を訪ねるなどいかがでしょうか」

 何でもないふりをしているけれど、サーシャの顔も声もちょっとだけ強張っているのを僕は見逃さない。だってずっと一緒にいるんだから、サーシャがちょっとでもいつもと違えば気づいてしまうのだ。

 ビビを僕たちの家に連れてくることをサーシャがすごく嫌がっているのがわかったから、それ以上何も言えなくなった。でも、翌日学校で「おじいさんの家で一緒に遊ぶのはどう?」と聞いてみたら、ビビはものすごく不満そうな顔をした。

「……でも、おじいさんの家の方が広いし、車に乗って行けるし、自転車もあるんだよ」

「あんたのサーシャも一緒に行くの?」

 僕は首を左右に振る。

「サーシャは……おじいさんのところには行かないと思う」

 だって理由はわからないけれどサーシャはビビのことを好きじゃなくて、だからうちに連れてくるのではなくおじいさんのところに行くように言ったのだ。普段から日曜日には僕を送り出してひとりで留守番をしているサーシャが、わざわざビビが一緒の日に限って付いて来るとはとてもではないけれど思えない。

 もちろんビビの反応は猛烈だった。そんなんじゃ意味ないわよ、あたしはサーシャがいるあんたの家に行きたいんだから。しつこく喚き散らされて、僕はもう一度サーシャにお願いしてみると約束するしかなかった。

 僕にはどうしてビビがそんなにサーシャにこだわるのかわからない。サーシャがどうしてビビを嫌うようになったのかもわからない。でも、大好きなサーシャと大好きなビビが仲良くなってくれたら嬉しいと思うし、ビビのおさげが跳ねるのをみるとどうしても彼女の頼みを断る気にはなれない。

「前にも言ったことがありますが、あなたは女の人に弱すぎます。今からこんなでは、先が思いやられますよ」

「でも、サーシャが言ったんだよ、意地を張って引き下がれなくなっているときに先に謝るのも大事だって。だったら今回はサーシャがビビのお願い聞いたっていいじゃないか」

 サーシャがぐっと押し黙ったので、僕はここぞとばかりに続けた。

「それに、おじいさんの家は僕の家じゃないもの。僕はビビの家に行ったんだから、ビビも僕の家に呼ばないと公平じゃないよ」

「公平……いつの間にそんな言葉まで覚えたんですか」

 サーシャは頭が痛いときみたいにこめかみに指を当てて、苦しそうに目を閉じた。実は「公平じゃない」という言葉はビビからさんざん言われたことをそのままなぞっただけなのだけど、そのことは内緒にする。

「ねえったら、サーシャ。お願いだから」

 目を閉じたままのサーシャに抱きついてしつこく訴えると、サーシャはやがて渋々首を縦に振った。

 そして次の日曜日、ビビは僕の家にやってきた。ちょうど僕がビビの家に行ったときとは反対で、ビビはお母さんと一緒に玄関先までやってきた。そして手土産のお菓子を渡すと何度も頭を下げた。

「うちの娘がしつこくお願いをしたみたいで、すみません」

「いいえ、アキもとても楽しみにしていたんです」

 サーシャはよそ行きの笑顔と声でにこやかに挨拶をして、ビビもニコニコしていたけれど、それもビビのお母さんの姿がなくなるまでだった。僕とビビをリビングに案内するとすぐに僕たちから離れてキッチンに立ってしまう。

「お茶とお菓子を準備しますね」

 その背中にビビが呼びかける。

「ねえ、あんた」

 ああ、と僕はがっくり肩を落とす。サーシャが行儀にうるさいということは前もってしつこいくらいに言っていたし、ビビだって余計な心配はするなと自信満々だった。なのに最初からこの調子だなんて――。

「お嬢さん、女の子がそんな言葉遣いするものじゃありませんよ」

 振り返ったサーシャは機嫌を損ねたことを隠そうともせずにビビをたしなめた。

 これはまずい。ムッとした顔で何か言い返そうとするビビの腕を引っ張って、僕はわざと明るい声を出した。

「そうだビビ! 僕の部屋に面白いパズルがあるんだ! 見せてあげるから行こうよ。おやつはその後にしよう。ね!」

「ちょっと、アキ。あたしはパズルなんか……」

 普段ならビビの言うことを聞く僕だけど、今ばかりは緊急事態だ。嫌がるビビをカーペットの上をずるずる引きずって行こうとするけれど、ビビは両足を踏ん張って抵抗した。

 どうにかして二人に仲良くしてもらおうとしているのに、どうしてサーシャは全然僕の気持ちをわかってくれないのだろう。だんだん悔しくなってきて、最終的に僕は大きな声を出した。

「だって、何か変だよ。サーシャ、なんでビビに意地悪ばっかりするんだよ」

 サーシャがこちらを振り返る。その表情はとても冷たい。僕がこんなに困っているのにつんと澄ましたままの顔を見ていると頭の中がかっと熱くなって、僕は思わず心にもないことを叫んでいた。

「なんだよ、そんな顔して。おまえなんか電気で動くロボットの癖に。だから僕の気持ちがわからないんだ!」

 瞬間、耳元をひゅっと何かがかすめてパチンと大きな音がした。あまりにびっくりして、それがサーシャに頬を打たれた音だということに僕は少しの間気づかなかった。

「……なんてこと言うんですか」

 そう言ったサーシャは怒っていた。さっきまでと変わらない表情だけれど、すごくすごく怒っていて、同時に困ったような、悲しいような顔をしていた。

 僕はこれまで一度だってサーシャに打たれたことはなかった。驚きと混乱で言葉が出ない。代わりに喉と鼻の奥が熱くなって、涙がこぼれそうになる。

「ねえアキ、部屋に行こう。パズル、見せて」

 ビビがさっきとは打って変わった態度で僕の腕を引いた。

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