ビビは無理やりみたいに僕を部屋まで引っ張ってきた。
サーシャはお茶とお菓子をトレイに載せて部屋まで持ってくると、僕の机に置いて謝りもせずに出て行ってしまった。見たことないくらいよそよそしい態度に、僕はますますどうしたら良いのかわからなくなる。
「サーシャはひどいよ。僕はただビビと仲良くなって欲しいだけなのに」
僕がロボットを馬鹿にするような言い方をしたのは良くなかった。でも、元はと言えばサーシャがビビに意地悪ばかりするのがいけないのに。
それにサーシャはいつだって自分が電気で動くロボットだと言うことを口にし、それは時に自虐的なくらいだった。今日に限ってなぜあんなにも怒ったのか、わからない。
「ねえアキ。パパとママが言ってたの。人間も電気で動くんだって」
サーシャお手製のジャム乗せビスケットを頬張りながらビビはそうつぶやいた。
「そんなの嘘だよ」
僕は言い返す。だってサーシャには「内燃機関」というのが体の中にあって、ご飯を食べなくても体の中で電気を作って動くことができる。僕の体にはそんなものないし、ご飯を食べないとお腹が減って動けなくなる。人間と機械の体は全然違うんだと思っていた。
でも仏頂面のままの僕に向かってビビは言う。
「ビビのパパはロボットの博士だし、ママは大学で『生理学』っていう人間の体のお勉強をしていたのよ。人間にも体の中に電気があって、その電気が合図を出すから手を動かしたり目を閉じたり、おしゃべりすることができるんだって言ってた。嘘じゃないわ」
そんな話、僕は聞いたことがない。でもビビが真面目な顔で言うならば、それはもしかしたら本当のことなんじゃないか――ちょっとだけそんな風に思った。
「……ビビは、電気で動いているの?」
「うん」
ビビはうなずいた。だから僕はもう一つ聞いてみる。
「僕も?」
「うん」
ビビはまたうなずいた。
「一緒なの?」
「……うん。それに、あんたのサーシャもね」
そう言ってビビは笑った。それで僕の心からは悲しい気持ちが消えてなくなった。
* * *
「でもどうしてだろう、サーシャがあんな意地悪をするなんて。全然意味がわからないよ」
「あたしにアキを取られると思って恐れてるんだわ」
悲しい気持ちはなくなったもののサーシャがビビを嫌がる理由がわからなくて首を傾げている僕に、すかさずビビが茶々を入れる。でもそんな言葉が正しいと思えない。
「……まさか」
だって、そういう理由ならおじいさんとかベネットさんとか、もっと他に嫌がる相手はいるはずだ。ビビなんて僕と同じくらい小さくて、しかも女の子だ。僕をどこかに連れて行くような真似できるはずはない。でも、ビビは自分の考えに自信を持っているみたいだった。
「そうに決まってる。普通のロボットはそんなこと考えないんだけど、あいつちょっと壊れてるから」
その言葉に僕はむっとした。ビビのことは好きだけど、ときどきこんな風にサーシャのことを馬鹿にした言い方をするから、そのときだけはちょっと憎らしくなる。
「サーシャは壊れてなんかない」
僕がにらみつけてもビビは一歩も引かなかった。
「だといいけどね」
それでなんだか険悪な雰囲気になってしまって、パズルを床に広げたままで僕とビビはしばらく黙ったままでいた。さっきはビビの優しい言葉が嬉しかったのに、そんな気持ちもすっかり消えてなくなった。
正直、僕はビビの言うことを聞いて家に連れてきたことを後悔していた。だって、ビビとサーシャは全然仲良くならないどころか、僕はサーシャに打たれてしまった。その上ビビはサーシャが壊れているだなんてひどいことを言い出す。ビビはビビで、もしかしたらこれまでのサーシャの態度に腹を立てていたのかもしれない。
ビビのお母さんが迎えにくるまであと二時間もこんな風に黙って座ってるなんて――僕までビビのことを嫌いになってしまったらどうしよう。そう思うとたまらない。
そのままどのくらい経ったかわからない。ビビがぽつりと口を開いた。
「アキは、ずっとサーシャと一緒にいるんでしょう?」
その声からはさっきまでの意地悪さが消えていたから、僕はビビが仲直りしたがっているのだと思った。
「うん、お母さんが死んじゃってからはね」
まだちょっと怒っていたから、多分いつもよりちょっと冷たい言い方だったと思う。でもビビはそんなこと全然気にしていないみたいだった。
「ねえ、アキ。お母さんが――大切な人が死んじゃうってどんな感じ?」
「えっ」
僕は答えに困った。さっきまでサーシャの話をしていたのに急にお母さんのこと、しかもお母さんが死んだときのこと。
僕の周りの大人も子どもも、まるで申し合わせたようにあのときから今まで、お母さんが死んだときの気持ちなんて聞いてはこなかった。多分そのことを考えたらすごく悲しくなって僕が泣いてしまうことを知っていたからだと思う。
でも、不思議と今の僕の目から涙は出なかった。胸の奥はつきんと痛むけど、それも我慢できないほどではない。そのくらいお母さんと別れたときのことが遠くなりかかっているのだと、僕は初めて気づいた。
「僕は小さかったから、本当は……もう、ちょっと忘れかけちゃってるんだ。もちろんすごく寂しかったんだけど、今はサーシャがいてくれるし」
一生懸命答えを探す僕を、ビビはじっと見つめる。いつものいたずらっ子の目ではない、大人とも子どもとも違うちょっと寂しいみたいな目の色で。
「それって、サーシャが完全にお母さんの代わりになってくれていて、アキはお母さんを好きだったのと同じように今ではサーシャのことが大好きってこと?」
二つ目の質問に応えるのには、やっぱり長い時間がかかった。上手く伝わるか輪からないけれど、できるだけ気持ちが伝わるように僕は言葉を探す。
「それは――違うと思う。だって、誰もお母さんの代わりになんかならない」
それにはもちろん続きがあった。
サーシャはお母さんとは違う。二人は全然違っていて、でもお母さんとは別のすごく大切な人としてサーシャは僕の寂しさを埋めてくれる。そう伝えようとしたのに――僕は続きを口にすることができなかった。
びりっと、空気が震えたみたいな感じがして僕は思わず目を閉じた。
前に完全にコンセントから抜けていないプラグに触ったことがあった。ちょっとだけ電気が僕の体を流れて、危ないから二度とそんなことするなとサーシャからはひどく叱られた。ちょっとだけあのときみたいな感じ。
「あれ、今何かぴりって……」
そう言ってまぶたを開いた僕は、驚いて息を飲む。ついさっきまで真剣な顔で僕の話を聞いていたはずのビビが、目を剥いたまま小刻みに震えていた。
「ビ、ビビ……?」
顔は真っ青で、ガラス玉みたいな瞳は僕のことも何のことも見ていない。ぶるぶると震えながらゆっくりと前にのめり、ビビはまるで花瓶が倒れるみたいにごとんと床に横たわった。
僕の頭にビビのお父さんの言葉がよみがえる。
ビビは、前に大きな病気をしたことがあるから――。
床に投げ出されたストロベリーブロンドのおさげ。小さかったから忘れたなんて嘘。こんな場面を僕は簡単に思い出して、引き戻されてしまう。あのとき病院のベッドの上に広がっていたお母さんの髪。白い顔。動かなくなった冷たい体。
嘘、嘘、どうして……?
僕は叫んだ。
「サーシャ! サーシャ助けて! ビビが!」
大声に驚いたのかすぐにサーシャは僕の部屋に駆け付けた。床に倒れて動かなくなったビビを見るなり驚いたようにしゃがみこんで小さな体を膝に抱いた。
「サーシャ、救急車呼んで! ビビがまた病気になっちゃった。急がないとビビが死んじゃう」
喚き散らす僕を尻目に、サーシャはビビの薄くそばかすの浮いた白い顔をじっと眺め、確かめるように指先で触れる。でも、サーシャはお医者さんではないからそんなことをやったって意味はない。
一秒でも早く本物のお医者さんを呼ばないと手遅れになるかもしれないのに、のんびりしているサーシャに腹が立って僕は彼の背中を叩いた。
「サーシャったら! 早く!」
ほとんど癇癪のような僕の声に応えたのはサーシャではなかった。
「……い」
か細い声。
そして、ビビは絞り出すように言った。
「いい……大丈夫だから……お願い……呼ばないで、お医者さん」