手をつないでバス停まで歩いた。少し待って僕たちの家に向かうバスがやってくると、ひとつだけ空いていた座席にサーシャは僕を座らせた。
サーシャはバスや電車では座らない。どうして座らないのか不思議に思って聞いたときには「私はあまり疲れませんから」と言っていた。それもサーシャがロボットからなのかもしれない。
でも、今日の僕はサーシャと一緒に座りたい気分だった。最近の僕は外でサーシャと手をつないでいるのもときたま恥ずかしくなってしまうくらいだけど、今は違っている。寂しくて心細くて、サーシャとくっついていたい。袖を引いて甘えると、サーシャは座席に腰掛け僕を膝に抱いてくれた。
「……サーシャは知っていたの? ビビがロボットだって」
窓の外を眺めながら僕がつぶやくと、サーシャは少しためらってから「ええ」と答えた。
「……遠目に見る分にはよくわかりませんでしたが、彼女の家に行ったときに近くで言葉を交わして、そのときに、きっとそうなのだろうと」
サーシャは知っていた。もしかしたらそのせいで僕とビビが仲良くするのを嫌がっていたのだろうか。僕がビビの嘘に気付いたときに悲しくなるから――いつかこんな風に離ればなれになる日が来るかもしれないから。
「どうしてビビは連れていかれたの? ロボットなんてどこにでもいるのに、何でビビだけが」
そのことにはまだ納得がいってない。人間そっくりのロボットだから連れていかれてしまうというのなら、ナーサリーにいたロボットの先生たちだって、スーパーマーケットのロボットの店員さんたちだって、それこそ、サーシャだって。
するとサーシャは、ゆっくりと僕に説明をしてくれた。
「ビビは、彼女のお父さんがこっそり作ったロボットで、ちゃんとした認可を受けていなかったんです。ルール違反のロボットですよ。それに、ただ人間に似ているだけならば良いのですが、本当にいる人間そっくりのロボットを作ることは禁止されています」
「どうしていけないの?」
「だって、誰かがアキとそっくりのロボットを作って、そのロボットが人をケガさせたり泥棒をしたりすることがあったら、困るでしょう? ほかにも、誰かがあなたを誘拐してそっくりのロボットを置いていったら、もしかしたら本物のアキがいなくなったことに誰も気が付かないかもしれない」
そう聞かされて怖くてぞっとする。僕はどうしてビビが「違法」なロボットだったのかを半分理解できて、でも半分は理解できないままだ。
ビビのお父さんが言っていた「大きな病気」。大切なビビが死んでしまってすごく悲しかったから、そっくりのロボットを作ったんだろうか。泥棒のためでも誘拐のためでもなくいなくなってしまった大好きな人の代わりを欲しがることも、やっぱりいけないことなんだろうか。
僕はふと、ビビが家に遊びにきたあの日のことを思い出す。思わず「ロボットのくせに」と言った僕の頬を打ったサーシャ。あれは、誰のため?
「この前僕を打ったのは、サーシャが悲しかったからじゃないんだね。ビビのためだったんだね」
いくら僕が何も知らなかったとはいえ、機械を見下すようなこと――つまりビビを傷つけるようなことを言ったからきっとサーシャは手を挙げた。
「あのときは申し訳ありませんでした」
「僕が悪かったのに、どうしてサーシャが謝るの」
「不意打ちに、です。あなたを打ったことは謝りません。でも、突然手を出しては身構えることもできないし舌を噛むような危険もある。ちゃんと予告すべきでした」
真面目くさってそんなことを言うサーシャのことが可笑しくて、僕は思わず笑った。
「予告されたって、打たれるのなんかもう嫌だよ」
しばらく笑って、それから今までのいろいろなことを思い出した。ビビの髪の毛を引っ張ってけんかした最初の日のこと。「ロボットのにおいがする」と嬉しそうに話しかけてきたこと。笑ったり、怒ったり、わがまま言ったりして僕を困らせてばかりいたビビのこと。
「僕、ビビとはもう会えないんだね」
「ええ、残念ですが」
宥めるようにサーシャが僕の髪を撫でる。そして僕は、彼の膝に座ったまま泣いた。
* * *
ビビのお母さんがやってきたのは冬の終わりかけの土曜日だった。
「仲良しのアキくんまで騙すようなことをしていたから、一度謝りに来なければと思っていたんです」
お父さんはロボットを作る免許を剥奪されてあと数年は刑務所で暮らさないといけないけど、お母さんは「執行猶予」で外に出て良いことになったらしい。ビビのお母さんは前よりずっとずっと疲れて年をとったみたいに見えた。
僕もすごく悲しかったけれど、きっとビビがいなくなって一番悲しい思いをしたのはお父さんとお母さんなんだろう。だから少しでも元気づけてあげたかった。
「ううん。人間でもロボットでも関係ない。僕、ビビと仲良しになれて嬉しかったから」
できるだけ明るい声でそう言って、僕は笑った。もちろんその言葉に嘘はない。ビビのお母さんも無理やりみたいに笑って、サーシャの淹れた紅茶を飲む。お皿には手土産に作ってきてくれたケーキ。ビビの一番の好物だったというお母さんお手製のケーキが載っている。
それからビビのお母さんは、「ねえ、アキくん」と話しかけてくる。まるで勇気を振り絞るみたいに。
「ビビがあなたのところで具合を悪くしたとき、何の話をしていたのかしら?」
そして続ける。ロボットのビビを最初に作ったとき、お父さんは失敗したのだと思った。なぜかというと、見た目は死んでしまったビビとそっくりだったけれど、考えや行動をコントロールするシステムがどうしても上手く動かなかったからだ。
ちゃんとプログラムして完璧に作り上げたはずなのに、ビビはしょっちゅう誤作動した。ロボットならば決められたことに決められたとおりの反応をするはずなのに、言うことをきかなかったり、予想できないくらい機嫌が不安定だったり。
「最初は修正しようと思ったの。でも、そのうち気付いたのよ。こんな風に理不尽な感情の乱れを持ったロボットは計算して作れるものではなくて――まるで本物の人間みたいだって。だからわたしたちもビビをつい本物の娘のように扱いたくなってしまったの。ただ、あまりに感情が乱れたときにショートする可能性があって……」
だから、なぜビビが僕と一緒のときに急に動かなくなったのか、それほど感情が乱れるような何があったのか、それを聞きたいというのだ。
あのとき、ビビは僕に死んだお母さんのことを聞かせてほしいと言った。そして、今はサーシャが完全にお母さんの代わりになって僕の悲しみを埋めてくれているのかと思いつめたみたいな顔で僕に質問した。
「僕は、サーシャはお母さんの代わりにはならないって言ったんだ。そうしたらビビが……」
あのときの恐怖が蘇る。ガラス玉のような目で、震えながら倒れこんだビビ。そしてビビがそんな風になってしまったのは、きっと。
「ビビはきっと、アキくんの話のその部分だけを聞いて、自分も『死んでしまったビビ』の代わりにはなれないと思って悲しかったのね」
ビビのお母さんは息を吐いた。
「ごめんなさい。僕そういうつもりじゃなかったのに」
「いいのよ、わかってる。いけないのはわたしたちなの。最初は寂しくて寂しくて、身代わり人形のつもりで作ったの。でも一緒に暮らすうちに人間のビビとは別の存在として、夫とわたしにとってあの子はかけがえのない愛する娘になった。なのに、そのことをちゃんと伝えなかったから……」
だからビビは、僕の言葉に絶望した。
ビビが倒れて一週間、お父さんが一生懸命修理をしてビビは元通りに直った。でも、あまりに焦って普段と違うお店で修理部品を買ったから、そこの店主に怪しまれた。僕とビビが結婚の話をしたその日の夜に、人型機械管理局の人が家にやってきた。
「わたしたち間違ってた。だからきっと、大切な娘を二人も失うことになったのね」
ビビのお母さんはそう言って寂しそうに帰っていった。
* * *
僕の机の中には一枚の封筒があって、その中にはあの日ソファに残されていたビビのストロベリーブロンドの髪が大事に入れてある。もう二度と会えないし、誰もビビの話をしない。でも僕はこれを絶対になくさないし、誰がビビのことを忘れたって僕だけは絶対に忘れたりしない。
「ねえ、サーシャ? サーシャはビビのこと嫌いだった?」
ふと気になって訊いてみた。
僕にはまだわからないことがたくさんある。ビビが他のロボットではなく、サーシャにとりわけ興味を持ったのはどうしてなのか。ビビがサーシャに「壊れてる」なんて意地悪を言ったのはどうしてなのか。ビビが「サーシャはアキをビビに取られるのだと思ってる」と言ったのはただの出まかせなのか。でも、僕の質問すべてを煙に巻くようにサーシャはふわりと笑う。
「そんな風に見えました?」
その笑顔はなぜか寂しそうで、だから僕は黙って首を縦に振った。
手を伸ばしてサーシャの白くて大きくてきれいな手を握る。ビビの手もそういえばこんな風に冷たかった。
ビビのお父さんとお母さんがロボットのビビを死んでしまった人間のビビと同じくらい好きになったように、僕もサーシャのことが好きだ。例えば誰かが死んでしまったお母さんそっくりのロボットを作って、サーシャと取り換えてくれるといっても絶対に断る。だって今、僕のそばにいるのはサーシャで、今みたいに悲しいときに握りしめるのはこの冷たい手だから。
「サーシャはいなくならないよね」
ふと心配になって、僕は念を押す。
サーシャは答える。
「ええ、あなたの成長を見届けるまでは。それが、あなたのお母さまとの契約ですから」
(終)
2018.07.29-2019.03.23