僕と機械仕掛けの不在(6)

 目を覚ますと外はすっかり明るくなっていた。寝坊したと思ってあせったけれど、僕を起こしに行こうとするマーサを止めたのはおじいさんだった。約束通り、学校にも電話をかけて「アキヒコは体調を崩しているので休ませます」と告げてくれた。

 おじいさんが夜更かしを理由に僕を休ませたと知ったベネットさんは、芽キャベツをまるごと食べたときみたいな渋い顔をした。

「だったら今日は、こちらでの私の仕事はないということですね。ありがたく自分の仕事に専念させていただきます。では、ご機嫌よう」

「そうだ、悪いが子ども用の字引きを一冊、都合してくれないか。アキヒコが使う」

「……では、夕方にお持ちします」

 まったく、私はハイヤー業者でも本屋のデリバリーサービスでもないんだ。ぶつくさ言いながら出ていく後ろ姿におじいさんは涼しい顔をしていた。僕はマーサのスカートを引っ張って聞く。

「ねえ、自分の仕事って?」

 ベネットさんはいつも僕の送り迎えをして、僕とサーシャの暮らしを気にしている。だからてっきり、それが弁護士の仕事なのだと思っていた。どうやらそれは間違いだったらしい。

「ベネットさんはご自身の弁護士事務所をお持ちなんですよ。ラザフォード様の法律顧問というのはお仕事のほんの一部にすぎません。ただしアキヒコ様の関係のお仕事は特別に、本来業務以外もいろいろとお手伝いされているんです」

 昔――まだエマ様が子どもだったころは、この家にはもっとたくさんの人がいて、とてもにぎやかだったんですよ。マーサは懐かしそうに言った。キッチンではマーサのお母さんが料理番をしていて、まだ学生だったベネットさんは執事であるお父さんと一緒にこの家で暮らしていたのだと聞いても、僕にはイメージが湧かない。だって、がらんと広くて静かな今の様子とはあまりに違っているから。

「どうしてみんないなくなっちゃったの?」

 僕の質問に、マーサは首をかしげる。

「そうですね……エマ様がお家を出たり、奥様が亡くなったりいろいろなことがあって……、きっとラザフォード様はいろいろなことにお疲れになったんだわ」

 まだ笑顔のままだけれど、その顔や声は少しさびしそうだった。

 そういえばおじいさんは最初は、僕がここで暮らすことを望んでいた。お母さんと暮らした家を離れたくないという僕の希望を叶えてサーシャとの生活を許してくれたけれど、今も実はがまんしているのだろうか。

 僕が困った顔をしているのに気づいたのか、マーサはあわてた顔で僕をダイニングルームに連れて行った。

「……話しすぎましたね。でも心配しないで、ラザフォード様はアキヒコ様がお越しになるようになってから明るくなったんですよ。お食事も以前よりたくさん召し上がるようになりました」

「ふうん」

「ほら、冷める前に朝ごはんをどうぞ。足りなければおかわりもありますよ」

 これ以上昔の話を続けさせたくないみたいに、マーサは僕の前に山盛りのクリームとイチゴが載ったパンケーキのお皿を差し出した。パンケーキもクリームもふわふわで、イチゴは夢みたいに甘い。

「ねえ、マーサ。僕が十八歳になるまではどのくらいかかるの」

 思わずそんなことを言ってしまったのは、初めて長い時間を一緒に過ごして、マーサがとても優しく話しやすいことに気づいたからだ。サーシャにもおじいさんにもベネットさんにも聞きづらいことが、なぜかマーサには打ち明けられそうな気がする。

「どのくらいって、アキヒコ様は八歳でいらっしゃるから、あと十年ですよ」

「十年ってどのくらい?」

「そうね。すごく長いはずなのに、自分の子育てを思えばあっという間だったような気がします。子どもって本当に驚くほど早く大人になってしまうんですよ」

 僕は口の中のパンケーキを飲み込んでから、ミルクティーの入ったマグカップを持ち上げた。

「……あっという間は、嫌だな」

「あら、ずっと子どものままでいたいんですか?」

 そういうわけではない。今まではずっと、早く大きくなって「あなたは子どもだから」と僕のやることに文句をつけてばかりのサーシャを見返してやりたいと思っていたくらいだ。でも――。

「十八歳になったら僕、サーシャを返さなきゃいけないんだって。サーシャは僕のロボットだけど、本当は僕のじゃないんだ」

「家庭用のロボットはたいてい長期賃貸ですからね。そうですか、サーシャとお別れするのがさびしいんですね」

 さびしい、という言葉だけではとても足りないけれど、少なくともサーシャと別れたくないと思っているのは確かだ。だから僕はマーサに向かってこくりとうなずいた。

「あのさ、サーシャを本当の僕のロボットにすることって、できない?」

 それは昨晩からずっと考えていたことだった。お母さんとロボットの会社の契約があと十年でおしまいになるのだとしても、例えばその契約の内容を変えるとか、十年後にまた新しい契約を結ぶとか。けれどマーサは難しい顔をする。

「……買取りということならば、たくさんお金を出したらもしかしたら可能かもしれませんけど」

「お小遣いを十年分貯めたら?」

 小学校に入ってから僕は毎月決まった額のお小遣いをもらっている。今はお菓子をひとつふたつ買えばなくなってしまうくらいちょっぴりだけど、学年が上がるごとに増やしてもらう約束だから十年分ぜんぶ貯めたらサーシャを「買取り」できるくらいにならないだろうか。それに、いつだったかベネットさんが、僕は大人になったらお母さんの残したお金や、他にもおじいさんからいろいろなものを受け継ぐのだと言っていた。そういうお金を全部あわせたら、もしかすれば。

 指を折って計算する僕を眺めて、何が面白いのかわからないけれどマーサは笑う。それはお母さんが僕と一緒にいるときに浮かべていた笑顔と少し似ているような気がした――あまりはっきりとは覚えていないから、ただの勘違いかもしれないけれど。

「アキヒコ様、十年経つ頃にはあなたもずっと大人に近づいているでしょうから、またそのときにゆっくり考えましょう。気持ちが変わっているかもしれませんから」

 私の子どもたちも、昔は絶対にお母さんのそばを離れられないって言ってましたよ。マーサはそう言って手を伸ばすと僕の唇についたままのクリームをナプキンで拭ってくれた。