僕と機械仕掛けと思い出(3)

 全寮制の学校なんて、冗談じゃない。

 一度は前向きなことを言った僕の急な翻意に、おじいさんもベネットさんも驚いたようだった。

「アキヒコ、もしかしたらサーシャのことを気にしているのか」

 きかれた僕は首を左右に振って否定した。

「そういうわけじゃなくて……でも、僕の家はあそこだけだよ。お母さんの家具や荷物だってまだ置いてあるし、寮のある学校に行くなんて絶対にだめだ」

 とはいえきっと、おじいさんもベネットさんも僕の本当の思いに気づいているだろう。お母さんのことはもちろん家を離れたくない理由の一部ではあるけれど――それは多分、半分にも満たない。

 だってもう、生まれてからお母さんと暮らした年月よりも、お母さんがいなくなってからの年月の方が長くなってしまった。それはつまり、僕が一番長いあいだ一緒にいる相手がサーシャであるということだ。

 サーシャのいない生活。そんなの想像できない。

「アキヒコ様も、もう十一歳でしょう。いいかげん〈親離れ〉がはじまってもおかしくない時期ですがね。うちの娘だって、十二歳からボーディングスクールに入りましたよ」

 投げ出されたパンフレットを未練がましく眺めながらベネットさんが言った。それから、これはいっときの感情で決めるようなことではなく、僕の一生に関わる問題なのだと付け加えた。

 今日のところはそれで終わったが、きっとこの話は再び蒸し返されるだろう。部屋を漂う気まずい雰囲気に僕は確信していた。

 腹が立っていた僕は帰りの車ではベネットさんと一言も口をきかず、車を降りるときも彼の顔を見ずに「じゃあね」と早口で言い捨てただけ。そのまま逃げるようにアパートメントの階段を駆け上った。

「どうしたんですか、難しい顔をして」

 帰宅するなりサーシャは僕の不機嫌を言い当てた。そんなのいつものことなのにかちんときたのは、おじいさんの家での一件をサーシャには知られたくないと思っていたからだ。

「なんでもない。将来がどうとか、ベネットさんが気の早いことばかり言うからうんざりしちゃっただけだよ」

 そう言って床に鞄を落とすと、ソファに倒れ込む。サーシャは一瞬、行儀の悪さを叱るか迷う素振りを見せて、結局言葉を飲み込んだ。僕が心底疲れ果てているのが伝わったのかもしれない。

 部屋には何かを煮込んでいる良いにおいが漂っている。学校の話が面白くなくて、マーサ特製のケーキは半分残してしまった。鼻をひくひくさせると、急に空腹を感じた。

「ねえサーシャ、僕お腹すいちゃった。夕ご飯すぐにできる?」

 ちょうど冷蔵庫をのぞいていたサーシャが、困惑したように言う。

「ラザニアの準備をしているんですが、チーズを切らしているのを失念していました」

 僕は思わず飛び上がって、ソファの背もたれから身を乗り出す。

「えーっ、チーズがなきゃラザニアじゃないよ!」

 ラザニアは大好物だ。お肉がたっぷり入ったボロネーゼと優しい味のベシャメルソースが薄いパスタと幾重にもかさなっていて、口に入れればたくさんの味が一度に広がる。

 もちろん一番大切なのはたっぷり振りかけられたチーズ。とろとろに溶けて端っこの方は香ばしく焦げたチーズがなければ、ラザニアの魅力は半分になってしまう。

 サーシャは壁の時計に目をやるとエプロンの結び目に手をかける。

「あなたならそう言うだろうと思いましたよ。すぐに買いに行ってきます。急げば駅の向こうのスーパーマーケットが閉まる前に駆け込めますから」

 日曜に開いている店は少数だから、もしかしたらサーシャは僕が「ラザニアは明日でいいよ」と言うのを待っていたのかもしれない。でも、そんな気にはなれないどころか、サーシャが僕のためにお店まで走る姿を見たいという意地悪な気持ちがむくむくと大きくなっていく。

 おじいさんもベネットさんも、勝手なことばかり。せめてサーシャくらいは僕をうんと甘やかしてくれなきゃ。そんな気分。

「僕、チーズがたくさんのったラザニア以外の夕ご飯はいらないからね」

 自分でも驚くくらいとげとげしい言い方になってしまった。すると、外したエプロンをダイニングチェアの背に掛けながら、サーシャは僕に冷たい視線を投げる。

「何ですか、感じの悪い物言いをして。おおかた、学校の話を切り出されて機嫌を損ねているんでしょうね」

「えっ?」

 図星で顔が熱くなった。なぜサーシャがそのことを知っているんだろう。もしかして僕が知らないところでおじいさんやベネットさんと話をしていたんだろうか。

「サーシャ、知ってたの?」

「ええ、先月ベネット氏がここに来て話を」

 普通はロボットと子どもだけで生活することはできない。僕とサーシャがふたりで暮らしているのは、後見人であるおじいさんが特別に家庭裁判所の許可をもらっているからで、おじいさんは月に一度、僕の生活状況や発育に問題がないことを裁判所に報告しなければいけない。だから代理人のベネットさんがこの家にやって来て、サーシャと面談をするのだ。

 面談には立ち合わせて欲しいといつもお願いしている。でも僕が大人の話を理解できるようになるにつれて、彼らは学校のある平日のお昼間を選んで話をするようになってきた。

 悪い予感は的中。僕に隠れて話しをするのは、後ろめたいことがあるからだった。

「聞いてたなら、どうしてその場で断らなかったのさ」

 僕は口を尖らせてサーシャをにらむ。

「あなたの教育方針への決定権を持つのは、私ではありませんよ。それに、アキの将来を考えたときに良い教育や良い人脈は欠かせませんから、名門校への入学は悪い提案ではないでしょう」

 なぜ大人というのはみんな揃って同じことを言うのだろう。教育、人脈、将来――そのためなら僕の意思も気持ちも関係ないかのように。そして、同じ余計なお世話でも、他の誰よりサーシャに言われるのが一番腹が立つ。

 孫である僕に自分と同じ学校に入って欲しいというおじいさんの気持ちはわからなくもない。言い方は意地悪だけど、いつだっておじいさんに忠実なベネットさんが強引に学校を勧めてくるのも、すごく腹は立つけど、それが顧問弁護士というものなのかもしれない。

 でもサーシャは違う。いつだって誰よりも僕の味方でいるべきなのに。

「どうしてサーシャがそういうこと言うわけ?」

 言葉にはあからさまなとげが混ざった。

「どうしてって、あなたが成人するまで立派に育て上げるのがわたしの務めだからです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 澄ました態度がますます癇にさわる。確かにサーシャは「子育てロボット」と呼ばれる種類のアンドロイドだけど、それは僕の気持ちを無視していいということではない。それにまるで――そんなの――僕との暮らしをただの「仕事」みたいな言い方。

 さっきまでの不機嫌の原因は、全寮制の学校に行きたくないから。でもいまの僕はもうベネットさんの意地悪のことも学校のこともどうだってよくなっていた。

「ひどいよサーシャ、意味がわからない。僕のことなんかどうだっていいの?」

「そんなこと言ってません。あなたにとって大切なことだから、皆最善の手段を考えているんですよ」

 サーシャはチェストの一番上の引き出しに入れてある財布を取り出す。その表情も声も冷たくて、僕の気持ちなんてちっとも考えていない。

 ぼくにとって大切なこと? サーシャが本当に僕のことを考えているのなら、どうして僕が嫌がることを勧めるんだろう。

「だったらどうしておじいさんの味方をするんだ! おまえはおじいさんのじゃない、僕のロボットだろう!」

 僕はこれまで何度も何度もサーシャの賃貸借契約書を読んできた。難しい単語ばかりの書類だけど、学年が上がるにつれて少しずつ理解できる部分も増えてきた。でも、最初にあの書類を手にした日から今日まで変わらないことは――契約が続く限りサーシャはで、僕のためだけに働くということだ。

 なのに、どうして。

 しかしサーシャは感情に任せた僕の追及に答えはしない。

「……またそうやって癇癪を起こす。私は確かにあなたのために働くように指令を受けていますが、それはわがままを何だって聞きいれるという意味ではありません。それにわたしの契約相手はあなたではなく、エマ様――あなたの亡きお母様ですよ」

 サーシャは僕に背を向けると玄関に向かうドアに手をかけた。

「買い物に行ってきます。私が戻ってくるまで、少し頭を冷やしなさい」

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