「ねえ、これからベンの家に遊びに行っていい?」
迎えにきたサーシャにたずねると、少し戸惑うような間をおいてからうなずいた。
「構いませんが……早く言ってくれれば、ちゃんと手土産を準備したのに」
「だって、急に誘われたんだ」
サーシャの顔をまっすぐ見ることができないのは、ベンが言った「アキが全寮制の学校に進学することになった場合、育児ロボットの契約が必要なくなるのではないか」という話が気になっているからだ。
おじいさんやベネットさんはそんなこと考えていないと信じたいけど――そういえば、最初の頃はベネットさんはサーシャを返却したがっていた。今では二人の中は悪くなさそうだけど、気は抜けない。
「サーシャ……」
何か聞いてる? と質問したいのに、喉がつっかえたみたいに言葉が出てこなかった。
「なあ、アキ。うちに来る話、大丈夫?」
いつまでもサーシャと話している僕にしびれを切らしたように、ベンがこちらへ呼びかける。サーシャは、軽く僕の肩を押した。
「さあ、いってらっしゃい。私は郵便局に行ってから家に帰ります。夕方になったら迎えに行きますから、帰りの準備ができたらベンの家で電話を借りてください」
「はあい」
サーシャから離れることにぼんやりとした不安を感じながらも、僕はベンの方へ歩き出した。ベンの後ろに立っている彼のお母さんがサーシャに向かって軽く手を振った。
「アキヒコくん、しばらくサーシャとお話ししていたけど、もしかして他に予定があったんじゃないの? 無理してベンに合わせていない?」
並んで歩きはじめると、ベンのお母さんが心配そうに言う。
「え? いや、そんなことないです。ただサーシャは、前からわかっていたらお菓子でも持たせたのにって」
「あら、ベンがお誘いしたんだから、そんなこと気にする必要ないのに。サーシャったら本当にまめよね」
同じようなことを以前ベネットさんが言っていた。サーシャは人間以上に細やかな気づかいをするのだと。皮肉屋の彼はもちろんその後に「いや、ロボットだからこそ、手を抜くことを知らずきっちりしているのかもしれないけどな」と付け加えたのだけれど。
ベンの家は僕の家から歩いて十分くらいの距離にある。学校から帰るときは途中まで同じ道で、大きな交差点のところで反対方向に曲がる。そういえば、昨日サーシャと口喧嘩した後で頭を冷やすために訪れた公園の横を通るんだった。僕はふと、あのおじいさんのことを思い出した。
おじいさんは「恋人」と出会えただろうか。そんなことを考えているうちにちょうど公園に差しかかり、ふと視線を横にむけた僕の心臓は跳ねる。
そこには、彼がいた。
僕のいる場所からは後ろ姿しか見えないけれど、ベンチに座る小さな背中も、かぶっている帽子も記憶にあるのと同じだ。いや、でも服はちょっと違うかもしれない。昨日は確か黒っぽくて、今日はキャメル。だから、あのままずっと公園に座り続けているわけではないんだとほっとする。きっと、毎日この公園に来るのが日課なんだ。
でも、何かが胸の奥に引っかかるのはどうしてだろう。
公園のおじいさんのことは、ベンにもベンのお母さんにも話さなかった。ひとりで公園を訪れたことを話せば、きっと理由を聞かれる。するとサーシャとの言い争いのことを明かす羽目になる。なんだかそれは、子どもっぽくて恥ずかしいことのように思えた。
家に着くと、アニーが出迎えてくれた。同じロボットなのに、アニーはサーシャとはまったく似ていない。いつも笑顔で、ベンたちに声を荒げているところも、口うるさく文句を言っているところも一度だって見たことがない。今日も、リビングで小さい子たちの遊び相手をしながら、おやつのトライフルを出してくれた。
いや、訂正。アニーとサーシャはまるで似ていないけれど、ひとつだけ――料理上手というところだけは共通している。
ベンはすごい勢いでトライフルをたいらげると、すぐに僕を部屋に連れて行って、簡単に人が入って来れないよう扉の内側に椅子を置いた。僕の部屋と同様に、この家でも子ども部屋には鍵がついていない。
「どうしたの、やけに厳重だけど」
トライフルに未練のある僕はドアに目をやった。せっかくアニーがおかわりを勧めてくれたのに、ベンが勝手に断ってしまったのだ。
「だって、これは秘密会議なんだから、盗み聞きされたら困る」
「秘密会議って、おおげさだな。シルビアの誕生日プレゼントの話だろ?」
「アキ、しいっ。声が大きい!」
そこで僕はようやく、ベンは好きな女の子にプレゼントを贈る計画について家族の誰にも打ち明けていないのだということに気づいた。そういえば今日は何をして遊ぶのかとお母さんに聞かれたときも、ベンは焦ったように話をそらしながら僕に目配せで「何も言うな」と伝えてきた。
ベンの妹はまだ小さいから参考にならないけど、お母さんなら、僕なんかよりきっとずっといいプレゼントを提案してくれそうなのに。
どうして内緒にするのかはよくわからないけれど、きっと何か理由があるのだろう。直接聞けばきっとベンは笑って――それは普段冗談を言っているときの笑いとは違う、大人が子どもを見るときのような顔で――「アキにもそのうちわかるよ」と言うんだろう。