僕と機械仕掛けと思い出(9)

 いくら人の少ない公園とはいえ、話しかけてくる子どもは僕以外にもいたのかもしれない。そして、僕からはほとんどのお年寄りが似通って見えるように、お年寄りからはほとんどの子どもは同じに見えるのかもしれない。

 だから、これは不安に思うようなことではないはずだ。自分に言い聞かせて、僕はおずおずと切り出す。

「えっと、おじいさん。僕は昨日ここで……」

 あなたと会って話をした子どもです。そう続けようとしたところで、彼は笑顔でうなずいた。

「もしかして、坊やもあのバラの花を見に来たのかい? 私も最近通りがかりに偶然あれを見つけてね。だからここで待ち合わせをすることにしたんだ」

 やっぱり、このおじいさんは奇妙だ。昨日僕と会ったことなんてなかったみたいに、まったく同じことを話している。

 一体どうして……思わず僕は半歩ほど後ずさりした。いくら気になるからって、やっぱりひとりで来たのは間違いだったのだろうか。半ば後悔しながら逃げ出す気にもなれず、消え入りそうな声で続ける。

「その待ち合わせって……昨日の」

「昨日?」

 おじいさんは心底不思議そうに首をかしげた。

「私がここで待ち合わせをするのは今日がはじめてだが? ともかく、彼女はバラが大好きだから、きっとあの大輪の花を見たら喜ぶだろうね」

「……」

「もうそろそろ待ち合わせの時間なんだが、彼女は身支度にはいつも時間がかかるんだ。髪の毛をアイロンで整えて、付けまつげをつけて、とっておきのドレスを着てくる。私に一番きれいな姿を見て欲しいって言ってね」

「……そう」

 このおじいさんは昨日のことを覚えていない。疑いは確信に変わる。ここに来たことも、僕と会ったことも、バラのために恋人と待ち合わせをしていたことも。

 そして今日もまた、初めての顔で昨日と同じことを繰り返している。

「坊やも待ち合わせかい?」

 聞かれて、あいまいにうなずく。そんな僕を見ておじいさんは「普通の大人」みたいな顔できょろきょろと周囲を見回した。

「そうか。しかし、日暮れどきに君みたいな子がひとりで出歩いているというのも心配だな」

「え、あの、違うんです。すぐにお迎えが来るんだ。さっきまでこの近くの友達の家で遊んでて。サーシャが……僕のロボットが公園まで迎えに来るって!」

 心配なんて、そんなのこっちの台詞だ。だけどおじいさんは自分が昨日の記憶をなくしていることも、今日ここにきて何時間経っているかもわかっていない。彼の中で自分は普通のしっかりした大人で、まるで学校の先生やサーシャみたいに、ひとりで外にいる僕を心配しているのだ。

「だから……あの、サーシャが来るまでここで一緒に待たせて」

 それは、おじいさんの様子をもう少し見守るためについた嘘だった。ついさっき、ベンとベンのお母さんにも嘘をついたばかりだし、サーシャとの約束も破った。一日のうちにいくつもの「やってはいけないこと」を積み重ねて、とても後ろめたい気分だった。

 僕はそっとベンチに腰掛ける。

 服は洗濯してアイロンもかかったきれいなもの。ちゃんと着替えているから、おじいさんは昨日あの後どうにかして家に帰ったのだろう。待ち合わせの相手が来たのか、それとも待ちくたびれてあきらめたのか。家に帰る方法を知っているなら放っておいても大丈夫なのかもしれない。でも彼の姿はあまりに頼りない。

 誰かがおじいさんを迎えに来るまで、もしくは他の大人が通りかかるまでここにいよう。そうしなければ明日も、明後日も僕はこの公園のことを気にし続けてしまう。

「坊や、そんな端っこじゃなくてもう少しこっちにおいで」

 僕が一緒にとどまることを認めてくれたのか、おじいさんは腰をずらして座る場所を広くしてくれた。

「ありがとう」

 やっぱり悪いひとじゃない。ただ、昨日のことをきれいさっぱり忘れ去っているだけ。まるでメンテナンスの失敗で、アニーがベンたち家族のことをすっかり忘れてしまったみたいに。

 ――いや、違う。あのときのアニーはすっかりメモリーがリセットされて、ロボットとして生まれたときのままの、空っぽの状態になったのだと聞いた。でもこのおじいさんは空っぽどころか、「恋人」のことを嬉しそうに話して聞かせてくる。

「ねえ、おじいさんの恋人って……どんな人?」

 本当にそんな人がいるんだろうか。たとえば夢から覚めた直後に、本当のことと夢の中身が混ざってよくわからなくなってしまうみたいに、そんな風におじいさんの恋人も夢の中の存在だったりして。疑わしい気持ちで僕はきく。

 おじいさんはポケットからたばこ入れを取り出して一本くわえると、煙がこちらに流れないように顔をそむけながら火をつけた。

「そうだな、いつも朗らかに笑っていて、誰にでも優しく美しい女性だ」

 そして、はにかむように一度口をつぐんでから、大きな秘密を明かすときのように声をひそめた。

「実はね。あと少しで結婚指輪を買うお金が溜まるんだ。そうしたら彼女に結婚を申し込む」

「結婚?」

「ああ、結婚だ。大好きな人とずっと一緒にいる約束だよ」

 僕はおじいさんの左手に目をやる。

 しわくちゃの左手薬指には、いかにも年季が入った銀色の指輪が鈍く光っていた。