僕と機械仕掛けと思い出(11)

 サーシャはおじいさんといくつかの会話を交わしてから、僕にささやいた。

「帰る方向がわからなくなってしまったようです。住所も電話番号も思い出せないようなので、とりあえず警察に連れていきましょう」

「警察?」

「ええ、もしかしたら家族から捜索願が出ているかもしれません。そうでなくとも、警察ならばあの人の家を探す手伝いをしてくれるでしょう」

 そして、知らないおじいさん、サーシャ、僕の三人は薄暗い道を歩きはじめた。サーシャの顔を見たからか、ほっとして急におなかが空いてきたけれど、警察署は学校よりも少し先にある。夕ご飯にありつくまでは、まだしばらくかかりそうだった。

 幸運なことに、少し進んだところで巡回中のパトロールカーが走ってくるのを見つけた。サーシャが手をあげると車はゆっくりと速度を落とし、中から二人組の警官が出てきた。

 サーシャが事情を話すと、腰をかがめて優しそうな口調で、警官のひとりがおじいさんに話しかける。

「お名前は?」

「ブランドン・フィニー」

「ご住所と、お電話番号はわかりますか?」

「ええと、それが、なぜだか急に頭が混乱してしまって……」

 自信なさげに視線を落とすおじいさんに「ちょっと失礼」と声をかけると、警察官は手を伸ばしてツイードの上着のボタンを外す。そして、裏地を確認してからおじいさんの肩を軽く叩いてにっこりと微笑んだ。

「大丈夫です、すぐにご家族と連絡を取りますからね」

 おじいさんは促されるままにパトロールカーの中に入り、後部座席に腰掛けた。かっこいいパトカーに乗せてもらえるのはちょっとだけうらやましいと思った。

「上着にご家族の連絡先が書いてありました。連絡をとって、あとはこちらで送り届けましょう」

 もうひとりの警官が説明すると、「ありがとうございます、ではよろしくお願いします」とサーシャはお礼を言った。

 おじいさんは不安そうに背中を丸めて車の中で座っている。窓越しに小さく手を振ってみるが、気づく様子はない。ただ、膝の上に置いたしわしわの手には、宝物のように薔薇の花が握られていた。

「おじいさん、大丈夫かな」

 バタンと音がしてドアが閉まり、パトカーが発進するのを僕たちはただ見送った。

「大丈夫ですよ。わざわざ連絡先が縫い付けてあるということは、きっと……こういうことが今までにも何度かあったんでしょう」

 そう言ってサーシャが手を伸ばし、僕の手に触れる。最近ははずかしいから、小さかった頃のように外で手をつなぐことはしなくなった。でも今はなんだかサーシャと手をつないでいたい気がする。以前ほど大きくは感じなくなった彼の手のひらを握ろうとした。けれど――。

「アキ! やっぱりアキじゃない!」

 聞き覚えのある高い声に、僕はびっくりして握りかけた手を離す。

 振り返ると、見覚えのある人影。近くにつれて街灯に照らされてその顔が浮かび上がる。

「あ、シルビア……」

 それは、シルビアとお母さんだった。髪の毛をひとつに結って白いタイツを履いたシルビアは「バレエのレッスンの帰りなの」と言ってから、僕とサーシャを交互に、不思議そうな顔で見た。

「どうしたの? パトカーの人とお話しなんて」

「えっと、公園で会ったおじいさんが……帰り道がわからないっていうから、サーシャと一緒に警察に連れて行こうとしてたんだ。でも、途中でお巡りさんに会ったから」

「へえ。アキって優しいのね。じゃあまた、学校でね」

 そういえば僕は今日の午後、二時間ほどもかけてじっくりと、シルビアがいかに可愛くて素敵だかを聞かされたんだった。でも、ひらひらと手を振って歩いて行くシルビアは、どこからどう見ても普通の女の子にしか見えない。

「なんだか疲れちゃった」

 サーシャと手をつなぐタイミングを逃してしまったせいか、右手がやけに手持ち無沙汰な気がする。紛らわすように手を何度か握ったり開いたりしながら僕は大きく息を吐いた。

 けれどサーシャから投げかけられたのは、ねぎらいではなく厳しい言葉。

「疲れる前に、ちゃんといきさつを聞かせてください。いくら困っているお年寄りを助けたからって、あなたがベンのお母さんに嘘をついたことは帳消しにはなりませんよ」

 ――やっぱり、サーシャは忘れていなかった。

 おじいさんみたいに自分の帰る家を忘れてしまうのは困るけれど、かといってサーシャみたいになんでもきっちり覚えているのも厄介だ。

「……昨日、サーシャと喧嘩して外に出たときに、ベンの家の近くの公園であのおじいさんに会ったんだよ。で、今日もまた同じ場所にいたから、気になっちゃって」

 もう、隠し立てするようなこともない。僕は昨日と今日の出来事すべてをサーシャに話した。おじいさんが恋人と待ち合わせていると言っていたこと。昨日は放って帰ってしまったから、その後どうしたのかが気になっていたこと。今日声をかけたら、前の日のことをすっかり忘れたみたいに同じ話を繰り返すから不安になってしまったこと。

「あのおじいさん、病気なのかな」

「病気じゃありませんよ。歳をとった人間には、そう珍しくはないことです」

「でも、僕のおじいさんはあんなじゃないよ」

「サー・ラザフォードはまだまだお元気ですし……それに、ああいうことには個人差がありますから」

 あなたとベンだって、同じ年齢で、同じ人間の男の子だけどまったく違っているでしょう? そう問いかけられて、僕はうなずいた。

「……病院に行ったら治るの?」

「どうでしょう。私たちのような機械ならば、普通はメモリーのバックアップがあるんですけど、人間はずっと複雑ですから」

 そう言うサーシャの横顔はいつもと同じ、白くてちょっと冷たそうで、でも――僕には人間と変わらないように見える。怒ったり笑ったり、心配したりほっとしたり、むしろ僕の周りにいる普通の大人よりずっと複雑なくらいに。

「さっきのご老人、薔薇を持っていましたね」

 ほら、こんなところも並の人間よりずっと鋭い。行ってはいけないと言われている公園に、嘘をついてまでひとりで行った。それだけでもじゅうぶん気まずいのに、結局こうして僕の悪事はすべてばれてしまうのだ。

「おじいさん、あの花を恋人に見せるために待ち合わせしてるって言ってた。楽しみにしてずっと待ってたんだ。だから……」

「あなたが折ったんですか? 公共のものを」

「ごめんなさい」

 サーシャは家に帰り着くまでずっと渋い顔をして、僕にどのような罰を与えるかを考えているみたいだった。夕食抜き、書き取り五ページ、いろいろな「お仕置き」が頭に浮かんで憂鬱だったけど、階段を上がってドアを開けるとスープのいい匂いがして、場違いにも僕のおなかはぐうっと音を立てる。

 思わずといった様子で微笑んで、サーシャは言った。

「今日は特別に許してあげます。でも二度と嘘をつくんじゃありませんよ」

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