その日の午後はずっと変な感じだった。
授業中も休憩時間も、クラスの子たちが僕をちらちら見ては何やらささやき合っている。落ち着かなくて、嫌な気分で、だからといって自分から理由を聞くのは怖い。だから僕はできるだけ普段通りに振る舞おうとした。
理由を知ったのは、その日の授業がすべて終わって帰り支度をしているときだった。
「で、アキはシルビアのことどう思ってるの?」
好奇心いっぱいにたずねてきたのは、お昼休みにも話しかけてきたあの女の子だ。
「え? どうって?」
質問の意味がわからない。昨日のことを勝手に友達に話したのを怒っていないか気にしているのだろうか。
うふふと含み笑いをして、その女の子は僕の肩を軽く小突く。
「やだもう、しらばっくれないでよ」
わけがわからなくて目を白黒させていると、廊下から彼女を呼ぶ声が聞こえる。そちらに向けると数人の女の子がこちらを見ていた。その真ん中にいるのはシルビア。僕と視線があうと赤くなってさっと顔をそむけた。
「わかってるくせに。シルビアはかわいいしもてるんだから、好きなら好きってさっさと言わなきゃ心変わりされちゃうかもしれないよ」
去り際に捨て台詞のようにそう告げられて僕は呆気にとられる。彼女が廊下でシルビアたちに合流するなり、きゃあきゃあと騒ぐ甲高い声が響いてきた。
「……なんだったんだ、今の」
好きなら好きって言わなきゃ? 誰が、誰に?
ストレートに受け止めるならば、「僕が」「シルビアに」。でもそれはおかしい。シルビアのことは嫌いじゃないし、他のクラスの女の子と同じ程度には好きだけど、それは特別な気持ちではない。それこそベンがシルビアのことを話すときのようなうっとりとした「好き」とは似ても似つかない。
なにかの勘違い、もしくは誤解。そこで僕ははっとした。
ベンが不機嫌そうな顔をしていた理由。普段なら休憩時間のたびに僕の席に話しかけにくるのに、午後は授業が終わるとつまらなさそうに机に顔を伏せて近づいて欲しくなさそうな雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、あれは――。
不安な気持ちで教室を出る。女の子たちはすでに帰ってしまったようで、姿はどこにもない。少しほっとした。
校舎を出ようとしたときに、背後から声をかけられた。
「アキ」
よく知っているベンの声なのに、知らない人みたいによそよそしい。おもちゃの取り合いとか、宿題を見せる見せないとか、これまでに喧嘩したときとは桁違いの、本当に怒っている声。
「ベン……」
振り返ると、声色と同様にベンの表情も怒りに満ちていた。きつくにらみつけられてたじろぐ。
「嘘つき。アキはシルビアのこと好きじゃないって言ったじゃないか! 絶対に裏切らないって約束したのに俺が知らないところで……ひどいよ!」
嫌な予感は的中した。理由はよくわからないけど、女の子たちの間では僕がシルビアのことを好きだということになっている。そして噂はベンの耳にも入っているのだ。
「ちょっと待ってベン。僕もさっきはじめて聞いて、意味がわからないんだ。どうして僕がシルビアのこと好きだなんて話に……」
ベンは即答した。
「シルビアの前で、道に迷ってるおじいさんを助けたんだろ。それを見てアキのこと好きになっちゃったんだってさ。アキだってシルビアのこと好きなんじゃないかって皆言ってる!」
そこまで聞いても、やはりおかしな話だと思う。確かに僕とサーシャは昨日おじいさんを助けて、シルビアとお母さんはそれを見ていた。だからといって、それだけで僕を好きになるなんてこと、あるんだろうか。
それだけじゃない。いくら可愛くて人気があるからって、シルビアが僕を好きになら、当然僕も彼女を好きだという決めつけにも納得ができなかった。
「し、知らないよ。勝手にそんな話されても、僕はシルビアから何も言われてないし……」
「そんなの関係ない! 俺を応援してくれるって言ったのに、こそこそ陰でシルビアにいいとこ見せて、それだけで裏切りだよ。親友だと思ってたのにがっかりだ!」
吐き捨てると改めて僕を強くにらみつけ、ベンは駆け出す。通り過ぎるときに肩を突き飛ばしていくのも忘れなかった。
「ベン!」
追いかけようとしたけれど、不意打ちで僕はよろめく。体勢を立て直して振り向いたときにはベンはもう、迎えにきたお母さんに駆け寄っていた。昨日の様子からしてベンはシルビアへの気持ちをお母さんには秘密にしている。だから、ここで追いかけて話をすれば、さらに彼を怒らせてしまうだろう。弁解をあきらめた僕はうなだれて、とぼとぼと歩き出した。
「遅かったですね」
校舎を出てきた僕を見て、サーシャは言った。
「うん……」
最近の僕は、低学年の頃ほどは学校での出来事をサーシャに話さなくなっていた。嫌なことは、とりわけ。
サーシャを心配させたくないというのもあるけれど、誰かと喧嘩したとか、誰かに悪口を言われたとか、ネガティブなことを知られるのが恥ずかしい。前はそんなふうに感じなかったのに、いつからかそう思うようになったのだ。
サーシャと僕は並んで歩き出した。
ベンの怒った顔と声を思い出すと、最初は悔しくて、だんだん悲しくなってきた。僕はなにもしていないのに、どうして「裏切った」なんて決めつけられてしまうんだろう。考えていると目の奥が熱くなって、喉奥がぎゅっとする。
でも僕はぐっと唇を噛んでこらえる。だって十一歳の男の子は道端で泣いたりしないから。
黙って隣を歩いていたサーシャがそっと手を差し出す。僕はその手を力任せに振り払った。