僕と機械仕掛けと思い出(15)

 週末、郊外にあるおじいさんの家に行くと、あのいまいましいパブリック・スクールのパンフレットは相変わらずリビングのテーブルに置いたままになっていた。いや、いつだって何もかもがきれいに整えられたこの家で不要なものが意味もなく出したままにされているはずはない。僕がやってくるから、わざわざ取り出して目立つ場所に置いたに違いなかった。

 犯人は多分、この人物。向かいのソファに座って素知らぬ顔で書類に目を通しているベネットさんを、僕は軽くにらみつける。休日には珍しいことに、おじいさんは仕事のお客さんと会うために書斎にいて、リビングには僕とベネットさん二人きりだった。

 学校の居心地は良いとはいえない。クラスの子たちは相変わらず僕とシルビアを横目で見てはくすくす笑うし、そのせいでベンは不機嫌なまま。シルビア本人が厄介な噂を打ち消してくれればいいのに、その気配はない。やたら澄ました態度で僕に話しかけもしないくせに、たまに意味ありげな視線を向けてくる彼女にも僕はうんざりしていた。

 学校に行かなくていい週末は気分転換になるはずなのに、ここに来たところでベネットさんと二人きり。しかもテーブルのパンフレットを見る限り、また学校の話を蒸し返されそうな気配だ。

 腹立ち紛れに、お茶とお菓子の乗ったトレイをわざとパンフレットを隠すように置くと、ベネットさんの眉毛がぴくりと動いた。

「アキヒコさま。物の上にお盆を置くなんて、お行儀がよくありませんね」

 彼はごつごつとした手でトレイを持ち上げ、テーブルの別の場所に動かす。そのもったいぶった仕草がうっとうしくて僕はわざとらしくため息を吐いた。

学校のパンフレットくらいで、大げさなこと言わないでよ。聖書や教科書を下敷きにしてるわけでもないのにさ」

「たかが?」

 本格的に眉毛をつり上げたベネットさんは、嫌みったらしく、心底呆れたような顔で続ける。

「いつからそんな口の利き方をするようになったんですか? サーシャの前でもそんな調子なんですか?」

「サーシャは関係ないだろ」

「あります。あなたがサーシャに隠れて無作法な態度を取っているようならば教育係である彼に伝える必要があります。逆に、もしもサーシャ公認でそんなしゃべり方をしているのだとすれば、躾項目の設定を見直す必要があるでしょうね」

 むっとして、でも僕は何も言えなくなる。こういうときにサーシャのことを持ち出すなんて、ベネットさんはずるい。

 サーシャが人間ではなくロボット――作りが複雑で精巧なだけで、結局のところは人間が設計したプログラムで動く機械であることを、僕は昔よりはずっと理解している。幼い頃からロボットと二人きりで生活するという、あまり普通ではない育ち方をした僕が「普通ではない」成長をするのではないかという点を周囲の大人たちが気にかけていることも、今ではわかっている。

 わかっているからこそ、こうしてわざわざ釘をさすようなことを言われると苛立ちを感じてしまう。

 でも、ここでマナーや躾について言い合いをするのは多分、僕にとって得ではない。

「わかったよ、もうしない。謝るから」

 ただでさえベネットさんは、僕がサーシャに依存しすぎているのではないかと気にしている。だから僕の態度が悪ければ、教育や将来の問題に結びつけられ、最終的には「おじいさまと同じパブリック・スクールできちんとした教育を」という話になるに決まっているのだ。

 僕がすぐさま謝ったことで、ベネットさんはそれ以上説教を続けることはできなくなった。それでも彼の不機嫌は止まないようで、ぶつぶつと何やら呟いている。

「まったく、幼児のわがままがおさまったかと思ったら、次は思春期のわがままですか。自分の子育てだけでも十分苦労したつもりでしたが、アキヒコさま相手にまたこんな思いをするなんて」

「思春期って?」

 それは、聞き慣れない言葉だった。

「子どもが大人に変わっていく時期のことです」

「だったら、ベネットさんにとってはいいことじゃないか。いつも僕に、ちょっとは大人になれって言ってばかりなんだから」

「そりゃあ、一足飛びに物わかりのいい大人になってくれるならありがたいですが、あなたはそう簡単にはいきそうにないですから」

 それからベネットさんは、思春期というのは一般的に、僕くらいの年齢から十代の後半まで続くのだと言った。つまり、大人になるスピードはとてもゆっくりで、長い時間がかかるのだ。自転車に乗るみたいに、ちょっと練習してできるようになるわけではない。

「それって、すごく損な気がするよ」

 つまり「思春期」というのは大人と子どもの中間で、大人になれとか、子どもじゃないとか、ときどきに都合いいことを言われる時期なのだ。そんな期間が何年も続くなんて、考えるだけで疲れてしまう。

「でも、見たくないものをお盆で隠して目をそらすくらいですから。アキヒコさまが、まだまだ子ども寄りだってことはよくわかってます」

 僕がしょんぼりしてしまったからか、ベネットさんの顔から険しさが消えた。するとこちらの気持ちも柔らかくなって、隠していた弱音をこぼしてしまう。

「だって、こっちだっていろいろあるんだよ。ここに来たときくらいのんびりしたいのに、面倒な話ばかり持ち出すから嫌になっちゃうんだ」

「でも私くらい厳しいこと言わないと、ラザフォード様はあなたには甘いから。学校のことだって、アキヒコが自分で決めればいいなんておっしゃって……」

「自分で?」

 おじいさんは、決して僕を無理矢理寮のある学校に入れようとはしていない。それは嬉しいニュースのはずなのに、不思議と気持ちは軽くならない。それどころかちょっと面倒くさいとすら思えてくる。

 僕はずっと、今のままの生活が続けばいいと思っていた。毎日学校に行ったらベンや他の友達がいて、家に帰ればサーシャの作ったおやつ、それから美味しい夕ご飯。喧嘩したり叱られたりしながらも彼と暮らして。週末にはこのお屋敷に来て、優しいおじいさんと皮肉屋のベネットさんとおしゃべりをする。

 でも――すでに僕の周りの世界は変わりはじめている。

 僕の背はずいぶん伸びて、コーヒーに入れるミルクとお砂糖の量も少なくなってきた。ベンがシルビアを好きだと言って、そのシルビアが僕を好きだと言いだしたせいで学校の人間関係はぎくしゃくしている。一緒に歩くときにサーシャと手をつなぐことは少なくなって、たまには、迷子のおじいさんに出会ったときみたいに、サーシャの目を盗んでひとりになりたいときもある。

 来年の僕は、再来年の僕は何を考えているんだろう。

 今は全寮制の学校に行くことをすごく嫌だと思っているけれど、もしかしたら後になって「やっぱりおじいさんと同じ学校に行けば良かった」と後悔することがあるんだろうか。

 頭ごなしに、僕のことを決められてしまうのは嫌だ。でも、難しいことを自分で決めて――その責任をとらなきゃいけないことは、すごく重くて、苦しい。

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