僕には好きとか結婚とか一生とか、そういった難しいことはわからない。でも、おじいさんのしわくちゃだけど優しい手の感触と「大切な人」という言葉にぱっと頭に浮かんだのは――今ごろキッチンで僕のために夕食を準備しているであろう、凜と背筋の伸びた後ろ姿だった。
「うん、そうだよ」
僕は、はっきりとサーシャのことを思い浮かべながら、おじいさんの手を握り返した。
「それは、どんな人なのかな?」と、おじいさんは質問を重ねる。
「どんな、〈人〉?」
「ああ、私の恋人はとても美しくて、いつも笑顔を絶やさない素敵な女性だ。君の大切な人はどんな人だい?」
もしもこのやり取りをベネットさんが聞いていたならば、「サーシャは〈人〉ではありません」と渋い顔をするだろう。確かに〈人〉ではない、そんなこと知っている。知ってはいるけど、他の人がその二つを区別したがるほどには、僕はサーシャが〈人〉か〈機械〉であるかを気にしていない。
どんな人? サーシャについて、見知らぬ人からそんな質問をされることは珍しい。
一見して人間と変わりなく見えるサーシャに興味を持つ人はいる。でも、ひとたび育児支援用のアンドロイドだと知ると、サーシャそのものへの関心は消え失せて、「驚いた。人間そっくりの精巧さだ」とか「子どもと機械が二人きりで暮らすなんて奇妙ね」とか、彼のロボットとしての造形や機能についての話しかしなくなってしまう。僕にとってそれは少し寂しいことだけど、サーシャ自身はまったく気にしていないようだった。
サーシャは、どんな人だろう。改めて誰かに話すために考えてみると、なぜだかわくわくと楽しい気分になった。
「えっとね、いつも怒ってばかりだよ」
だって、口うるさくて、皮肉っぽくて、いつも僕を叱ってばかりだから。
でも、そう言ったところではっとする。僕はおじいさんにサーシャの好きなところを伝えたかったのに、これではまるで悪口みたいだ。あわてていいところを探す。
僕が困っているときや悲しいとき、何も言わなくても魔法みたいに気づいてくれる。危ないことをしようとすれば必死で止めて――それはときどき過保護すぎてうっとうしいくもあるのだけど――いざというときは、自分が怪我したって気にせず、僕を助けてくれる。
「怒ってばかりだけどさ、優しいときも多いんだ。あと……お料理が上手で、毎日おいしいおやつとご飯を作ってくれるんだ。それに、他にも……」
考えるうちに、僕の頭の中はサーシャのことでいっぱいになる。
お風呂上がりには髪の毛を乾かしてくれて、僕がもう少し小さかった頃は眠りにつくまで毎晩ベッドの横でずっと見守ってくれていた。風邪をひいて寝込んだときはつきっきりで看病してくれて、冷たい手で額を冷やしてくれる。
そう、冷たくて、白い手。大きいけれど指は細い。僕はその手が大好きだし、もちろん好きなのは手だけではない。昔の僕は、世界で一番きれいなのはぴかぴかのストロベリーブロンドをなびかせたお母さんだと思っていた。でも今ではサーシャの黒くてつやつやした髪の毛や、いつも濡れたような黒い瞳も同じくらい、いや、もっと――。
「すごく、きれいな人なんだよ」
言ってから、急にとんでもない恥ずかしさに襲われた。
だって、お母さん以外の誰かを「きれい」なんて言うのは、僕にとって初めてのことだったから。それに、何だかそういうのはすごく――大人が言う言葉みたいな気がした。
不思議なのは、恥ずかしさだけではなくて、そこにはちょっと嬉しいような、誇らしいような気持ちが混じっていること。だって、そんなきれいで素敵なサーシャが今は僕だけのものなのだから。
こんなこと言ったら、僕の周りの人は笑うか、さもなくば呆れるだろう。でもこのおじいさんはきっと笑わない。そう思うと自然に、普段は意地を張ってばかりの気持ちを言葉にすることができた。
「僕は、ずっとずっと今のままで一緒にいたいんだ。でも……皆、僕のためにはそうじゃない方がいいって」
急に弱々しくうつむいた僕に、おじいさんは問いかける。
「君のためにって、どうしてだい?」
「難しいことはよくわかんないけど、僕の将来とか人脈とか……」
あのパンフレットの、全寮制の学校に行くことが一番僕のためになるのだと皆が口を揃える。サーシャすら、そうだ。反論したくても、僕には本当に皆の言うことが間違っているのかわからない。あるのはただ、今のままサーシャと一緒にいたいという気持ちだけ。
重ねていた手のひらを離したおじいさんは、その手で僕の肩をぽんぽんと叩いた。まるで安心させるかのように。
「将来? 人脈? そんなのちっぽけなことだ。愛する人と一緒にいることができない人生に、何の価値がある?」
愛する人、がどういう人を指すのかは、やはり僕にはよくわからない。でもそれが大好きな人と似た意味だとすれば。
実際僕は、毎週末通っている郊外の大きな家も、「サー」という呼び名も、有名な学校でできる特別な友だちも欲しくない。ただ、それは全部僕のおじいさんが大事にしているもので、だから僕もできるだけ大切にしようと思っている。それだけ。
でも、僕が周りの人の「好き」を尊重して、振り回されて、それって本当に正しいことなんだろうか。僕の好きなもの、僕の大切なものを、皆は「子どもっぽい」と笑うけれど――もしそれが、一生変わらないくらい本当に大事なものなのだとすれば――皆にも僕の「好き」を大事にして欲しいと思う。