僕と機械仕掛けと思い出(19)

 おじいさんと並んで座っているうちに、でまかせではなく本当に待ち合わせをしているような気分になってくる。そして、多分それは、完全な思い込みというわけでもない。

「アキ!」

 名前を呼ぶ声に、僕とおじいさんは同時に顔を上げる。

「おや、君の待ち合わせ相手が来たのかな?」

「……うん、そうみたい」

 今の僕が約束どおりに帰ってこないのだとすれば、居場所はこの公園――そんなこと彼にはお見通しなのだ。

 おじいさん相手にサーシャの素敵なところをたくさん話したばかりなので、僕は少し恥ずかしい気分になった。おじいさんの目に、サーシャはどんな風に映っているだろう。僕の言ったとおりだと、思ってもらえるだろうか。

 でも当のサーシャはそんなこと知らない。ちょっとくらい優しくて素敵なところを見せてくれたっていいのに、怖い顔をして僕を叱りつけた。

「アキ! また勝手に外をうろついて!」

「違うよ、待ち合わせだ」

「待ち合わせ? そんなものをした覚えは、私にはありませんが」

「僕は、ここにいたらサーシャが迎えにくるってわかってたよ。だから、ほとんど待ち合わせと変わらないだろう」

「まったく、言葉遊びばかりが上手になって……」

 叱られても平然としている僕に、サーシャは眉をひそめた。と同時にその視線は隣にいるおじいさんを気にしている。

「……どうして彼がまた、ここにいるんですか」

 ささやく声に、僕は小さく首を振った。

「わかんない。帰りの車が偶然公園の横を通ったんだ。おじいさんがいるのが見えたから、僕、つい」

 半分本当で、半分は嘘だ。心配ごとが山積みで、気持ちがいがいがして、サーシャとも喧嘩してしまいそうだったから、まっすぐ家には帰らず僕はここに来た。でも、おじいさんと話をするうちに不思議と心が落ち着いて、たくさんの悩みごとは、ずいぶんちっぽけに感じられる。もしかしたらそれは、今この瞬間だけの気持ちなのかもしれないけれど。

 サーシャは困惑したように、おじいさんを見つめる。突然現れて、しかも怒ったような口調で話す〈大人の男の人〉に驚いたのか、おじいさんは黙りこんでしまっている。

「しかし、困りましたね。先日は警官のお世話にまでなったのに、ご家族は一体どういうつもりなんでしょう」

 僕だって同じことを考えていた。ひとりで出歩けば帰り道がわからなくなると知っていて、どうしておじいさんを放っておくのだろう。

 もしかして家族はおじいさんを大切にしていなくて、家に戻ってこなくたって構わないと思っているのだろうか。だとすれば、あんまりに可哀想だ。

「どうするの? また警察に連れて行く?」

 いくら可哀想だからって、ずっと一緒に公園にいるわけにはいかないし、僕たちの家に連れて帰るわけにもいかない。サーシャもため息をついた。

「さすがにご家族も、ここにいることは想像がついているでしょうしね。何度も警察にお願いするのも申し訳ないというか……」

 僕とサーシャは、しばらくその場にとどまって、ただ「困った」と顔をつきあわせていた。原因であるおじいさんといえば、言葉数は減ってしまったものの、表情は穏やかで幸せなままに見える。

 実際、そうなんだろう。

 ここにいる限り彼は、もうすぐプロポーズをするつもりの美しい恋人と待ち合わせをしている最高に幸せな男の人でいられる。でも、ひとたび帰り道を探しはじめれば、この前と同じように自分の記憶があいまいであることを思い出して、心細さでいっぱいになってしまうだろう。パトカーの後部座席で小さくうずくまっていた姿を思い出すと、胸がぎゅっと痛んだ。

 答えが出ないまましばらく僕たちはベンチにとどまっていた。

 どのくらい経っただろうか、ぎゅっと砂利を踏む音が聞こえて僕とサーシャは同時に顔を上げた。白い髪をきれいにカールした、年を取った女の人が公園に入ってくる。深紅のワンピースは、このあいだまでここに咲き誇っていたバラとよく似た色だ。

 その女の人はおじいさんに向かって大きな声を出した。

「あなた、やっぱりここにいたのね。また、ひとりでこんな遅い時間まで……!」

 それはまるで、一人で出歩いている僕を見つけたときのサーシャみたいな声色だった。とても心配していた緊張の糸が切れて――と同時に、無茶なことをした相手への腹立たしさが一気に爆発する、そんな感じの。

「あなた」という呼び声に、僕は女の人の左手に目をやる。薬指では、おじいさんがつけているのとよく似た、年季が入った金色の結婚指輪が鈍く光っていた。

 つまり、これがおじいさんの結婚相手。ということはもしかしたら、何度も僕に話して聞かせた「世界一美しい恋人」?

 確かにおばあさんは、きれいな人だった。髪も肌も目の色も透けてしまいそうに薄く、ドレスの赤い色とよく似合っている。髪の毛はきれいにカールされていて、しわの多い顔にはきちんとお化粧がしてある。年を取った女の人としては抜群にきれいなんだと思う。

 でも、僕は戸惑った。だってこれまでおじいさんはずっと「若くて美しい恋人」の話をしていたのだ。女優さんみたいにきれいな若い女の人をイメージしていたのに、初めて目の前に現れた実物が何十歳も年上だというのはやっぱり妙だ。

 そして――不思議でたまらないといった顔をしているのは僕だけではなかった。

 声をかけられたおじいさんは、見知らぬ人を見るような目で女の人をまじまじと眺めてから、不審そうに「何のご用ですか」とつぶやいた。

 女の人は動じない。

「何のご用って、あなたを迎えに来たんですよ。あんまり遅くなって、またこの前みたいに警察の厄介になっては困りますからね」

 おじいさんは力なく首を振った。肩をすくめて、小さくなって、まるでこのあいだ、自分が帰り道を思い出せないことに気づいたときみたいに心細そうだった。

「ご婦人。すまないが、あなたの言っている意味がわからない。それに私は恋人と待ち合わせをしていて……」