僕と機械仕掛けと思い出(24)

 ひと晩眠ると前日サーシャに宣言したときの勇気は半分以下にしぼんでいた。学校に行くのは気が重かったし、シルビアに話しかけるのは怖かった。

 それでも僕は、必ず今日シルビアに謝るのだと決めていた。

 そういえばずっと前、小学校に入って最初の日にビビと喧嘩をした。絶対に自分は悪くないと意地を張ったけれど、サーシャに促されて謝ることにしたんだった。あれがきっかけでビビは僕にとって初めての、女の子の友達になった――それはとても短い友情で、悲しい終わりを迎えたのだけれど。

 まるで最初からいなかったみたいに忘れ去られてしまったストロベリーブロンドの女の子を思い出して、僕は勇気を奮い起こした。謝ることは決して負けることではないのだと、自分に言い聞かせながら。

「あの、シルビア。話があるんだ。ちょっと来てくれない?」

 シルビアは普段どおりに見えた。目も赤くないし、いつもどおり髪はきれいに結ってあって、お人形みたいに可愛いドレスを着ている。けれど顔を上げて僕を見つめたその目は、びっくりするくらい冷たかった。

「嫌。行きたくない」

 ごく短く、きっぱりとした返事に僕はうろたえる。シルビアはもしかして、僕がまた彼女を傷つけるようなことを言うと思っているのだろうか。

「昨日のこと、謝りたいんだ」

「謝るならここでもいいでしょ。それに、別に謝ることなんかないわよ」

 僕の言い分が正しかったとしても、人前でシルビアを好きじゃないと言ったのは良くなかった。僕は昨日ひどいことを言って、そのせいで彼女は泣いてしまったのに、謝らなくていいなんて意味がわからない。

 シルビアは横目で僕の反応を確かめながら、ツンとした表情で続けた。

「だって、私もアキヒコくんのことなんか、全然好きじゃないもん」

 教室中に響くくらい大きな声だった。

 僕はびっくりして動きを止めた。多分他の皆もこちらを見ている。たとえ見ていないにしても、確実に聞き耳は立てている。

 僕はあっけにとられてしまった。僕のことを好きじゃないなんて、もしかしてシルビアも勝手な噂に困っていた? 何もかも僕の勘違いだった? でも、だとしたらあのはにかんだ目線や、他の女の子たちの意味ありげな態度はなんだったんだろう。

「あ、そうなんだ……」

 好きだと言われたときの断り方はたくさん考えてきた。でも、好きじゃないと宣言されることは、みじんも想像していなかった。だから僕の頭は真っ白なまま、うなずくことしかできない。

「そうよ、私、他に好きな男の子がいるんだから。勝手に勘違いしないで欲しいのよね。迷惑しちゃう」

 ふふんと鼻を鳴らしてダメ押しのようにシルビアが窓側に視線を投げると、そこにはクラスで一番背が高くて走るのが速いゲイリーの姿があった。

「わかった……ごめんね」

 何に謝っているかわからないまま会話を終えて、僕は釈然としないような、恥ずかしいような気持ちで自分の席に戻る。

 女の子のひとりが寄ってきて、ポンと僕の肩を叩いた。

「自意識過剰は良くないと思うけど、まあ、こういうこともあるわよ」

 次の休み時間にやってきたベンも、気の毒そうに苦笑いしながら囁く。

「シルビアのことだけど、いつの間にか、勝手に勘違いしたアキが先走ったってことになってるよ。女って怖いな」

 それから、僕を裏切り者呼ばわりしたことなどなかったかのように、前と同じ親密さで「ところで、今日うちに遊びに来ない?」と誘った。

 かくして、あれだけ悩んだのは何だったのかと思うくらいあっけなく、シルビアを発端とする問題は解決――と言うべきかわからないけれど、少なくとも終結したのだった。

 

 普段は急な遊びの予定を嫌うサーシャも、今日は違っていた。

 終業時間に心配そうな顔で校門に現れたサーシャは、僕の明るい表情を見るとほっとした様子で、「ベンの家に遊びに行っていい?」ときくと、かまいませんよと微笑んだ。もちろん、ひとりで帰ろうとはせず夕方になったら絶対に電話をかけて迎えを呼ぶようにと釘を刺すのは忘れずに。

 今日のおやつは、アニーが作ったスティッキー・トフィー・プティング。シルビアの誕生日プレゼントで頭がいっぱいだった前回と違ってベンは僕をせかすことをせず、おかげでプティングのおかわりをもらうこともできた。

 おやつを堪能してから、二階へあがる。

 そういえばベンは今どんな気持ちなんだろう。僕がシルビアに「好きじゃない」と宣言されたことが仲直りの理由だと想像はできる。でもシルビアは今度はゲイリーに気のある素振りを見せている。ゲイリーだって、言っちゃ悪いけどベンよりもずっと女の子に人気がある。決してベンの恋の見通しが明るくなったわけではない。

 下手なことを言ってまた機嫌を損ねられてはかなわないので、僕は黙ってベンが口を開くのを待った。

「やっぱ女って怖いよなあ」

 ベンはまず、昼間に教室でも言った言葉を、しみじみと繰り返した。

「ハートマークみたいな目でアキのこと見てたのに、振られたとたんに『最初から好きじゃなかった』だって。で、すぐに他の男子に色目、やっぱり可愛い子ってわがままなんだな」

 女とか、可愛い子とか、それらがシルビアを指すことは確かだ。

 それにしたって、この口ぶり。僕だってシルビアのことはわがままだと思っているけれど、ベンはこの間まで彼女のことを、まるで天使か何かのように褒め称えていたのに。

「まったく、ただでさえアキは女の子の話に疎いのに、今回嫌な目にあったせいで女嫌いになったらどうしてくれるんだよ、なあ?」

「えっ? あ、うん。それよりあの、ベンはさ……」

 わざとらしく過激なことばかり口にするベンに戸惑いながら、僕はとうとう勇気をだしてシルビアをどう思っているのかを確かめようとした。だって、彼女の肩を持って、ひどい奴だと僕を責めてからはほんのひと晩しか経っていない。

 でも、いざ質問をするより先にベンが僕に向けてにやりと笑った。

「俺もいい勉強になったよ。ちょっと人助けしてるとこ見たからってアキを好きになって、振られたら翌日にはゲイリーって。そんな子よりもっと、人の内面を見てくれる女の子の方がいいって」

「つまり、もうシルビアのことは好きじゃないってこと?」

「うん。俺に見る目がなかった。裏切り者だって決めつけてごめん」

 それからベンは嬉しそうに声をひそめた。

 昨日、シルビアを振ったときのやり方がひどいと僕を責めた後で、ある女の子に「見直した」と言われたのだと。ベンはアキヒコと仲良しなのに、ちゃんと駄目なことは駄目だって言えるなんて素敵だって――。

 ちょっと待てよ、と思う。

 さっきからベンはシルビアのことをわがままだとか移り気だとかさんざんに言っているけれど、自分だって同じじゃないか。昨日までシルビアに熱を上げていたのに、ちょっと悪い面を見て、他の女の子に褒められただけでころりと意見を変えてしまうなんて。

 頭の中でサーシャの言葉がよみがえった。恋をすると人はわがままになり、思いもよらない行動をとったり、人を傷つけたりしてしまうもの。

 やっぱり僕は恋なんてしたくない。シルビアやベンのあまりに軽い恋にさんざん振り回されて、それだけでもうおなかいっぱい。

 うんざりしながら、それでも前と同じようにベンと笑い合えるようになったことに僕は心底ほっとしていた。