「……というわけで、先日の法定点検の結果、機能面での問題は特になかったとのことだ」
ラザフォード家の顧問弁護士であるエドワード・ベネットがそう告げると、かしこまった顔をしてダイニングテーブルに座っていた家事育児支援ロボットであるサーシャ――この名前は、現在の権利者である時期ラザフォード家当主、アキヒコ・ラザフォードが便宜上与えたものだ――は、ほっとしたように表情をゆるめた。
「では、裁判所の許可も引き続き?」
「ああ、アキヒコ様の生育状況にも今のところは特段の問題は見られないので、現状通りの生活を続けて構わないと。ただし覚えておけ、あくまでおまえとアキヒコ様だけでの生活は……」
これまでも口を酸っぱくして言ってきた内容だが、今一度釘を刺しておこうとしたところで、うんざりしたようにサーシャは言葉を先取りする。
「ええ、わかっています。サー・ラザフォードという後見人や、その信任を受けたお目付役のあなた、ミスター・ベネットあってのものだと言いたいのでしょう」
「……わかっているならいいが」
まったく、こういうところが気に食わない。機械なら機械らしく人間に対してとことん従順であればいいのに、サーシャというロボットは冷たく取り澄ました顔や態度の中に妙な人間くささがある。
やがてラザフォード家を継承することになるアキヒコの教育や躾を一身に担っている以上、サーシャが人間的な機微を備えていることは歓迎すべきと頭ではわかっているが……養育に関係ない部分でまで会話に嫌味や皮肉を取り混ぜてくるのはやり過ぎだ。
つまりのところ、この若い男(の姿をした機械)と話していると、ベネットはしばしば苛立ち、極めて不快な気分を味わう。
「ええ、重々わかっておりますとも。ミスター・ベネット、あなたが頻繁に、それこそ耳にたこができるほど注意してくださいますから」
ほら、こういうところが我慢ならない。
「そうだな、おまえのような機械相手には、一度言えば十分なんだったな」
「ええ、私たちの記憶装置は、重要なことを忘れることなど決してありませんから」
これも、最近加齢による記憶力の低下が気になりはじめているベネットへの嫌味だろうか。いや、考えすぎか。いずれにせよ、こんな風に含意のある、人間に深読みさせるような態度を取るロボットを、ベネットはこれまで見たことがない。
普段の生活でも、街を歩けば多くの店や公共機関で人間そっくりのロボットが働いている時代だ。ベネットの経営する弁護士事務所でも、パラリーガルの半数以上はすでに人型ロボットのアシスタントに切り替えている。彼らの仕事ぶりは実に正確でぶれがない。記憶力は抜群だし、過去の事例の照会や照合などいわゆる単純作業においては人間がいくら努力したところで敵わないだろう。
一方で、いくら人間そっくりに作られ、自己学習機能を備えたところで、彼らの感情や思考、判断は基本的にはプログラムされた範囲を超えることはない。弁護士という仕事が人を相手にし、「利害調整」という白黒に割り切れない案件を扱う以上は、どうしたってロボットには代替できない部分は残っている――今のところは。
将来的にはどうだろう。サーシャのような「よく出来た」どころか「よく出来すぎた」ロボット。計画的に作られたものなのか、プログラミングと自己学習が偶然噛み合って出来上がった特殊な例なのかはわからないが、このような人工知能が一般的になれば、さらにロボットの社会進出は進むのではないか。そんなことをときおり考えてしまう。
が、今はロボットの機能拡充や社会参画などは問題ではない。目の前の黒髪に黒い目の青年(の形をした機械)が腹立たしい、という気持ちが何より優先される。
「お茶をもう一杯いかがですか?」
「ああ、いただく。ミルクはいらん、医者に血中脂質が高いと言われているからな」
ベネットは苦々しい思いを飲み込もうと、慇懃無礼なサーシャが注いでくれた紅茶を口に含み、目を白黒させた。
「……おい、苦いぞ」
苦々しさを飲み干すどころか、茶葉の嫌な渋みが口いっぱいに広がる。
「失敬、抽出を長く取り過ぎたようです」
「そんなことがあるか!」
機械が紅茶の抽出時間を誤ることなどありえない、というのがベネットの認識だし、世の中の常識だ。つまりサーシャは故意に、嫌がらせとしてベネットに渋くてとても飲めないような紅茶を出した。ときおりやってきては小言ばかりのベネットにうんざりして、帰れと言いたいのだろう。こいつはそういう男――いや、ロボットだ。
「まったく、気が抜けんな。おまえのような性悪機械に育てられてアキヒコ様の性格が歪まないか心配だ。やっぱり全寮制の学校に入れて一刻も早く引き離すべきだ……」
口の中でぶつぶつとぼやきながら、これ以上サーシャといてもろくなことはないと悟ったベネットは帰り支度をはじめた。
「ではアキヒコ様、私は失礼します。また日曜の朝にお迎えにあがりますので」
帰り際に、子ども部屋に向かって声をかけると、待ちかねたようにドアが開いた。
「待って、僕にも法定点検の結果を見せてよ!」
ラザフォード家の次期当主、未来のサー・ラザフォードであるアキヒコは、出会ったときよりはずっと大きくなったものの、まだまだ小学生。幼く理解力も十分でない彼に〈大人の話〉はまだまだ難しい。今はまだ、家のことや教育のことなど、子どもには理解や判断できないような話をする際は席を外してもらうことにしている。
だが、自我が育ち自己主張も強くなってきたアキヒコ本人としては、自分や、自分にすべての権利があると信じているサーシャに関することを知らぬ場所で話し、決められることは我慢ならないらしい。最近では何かと説明を求め、意見を述べてくるようになった。もちろんそれは成長の証で、頼もしいことではあるのだが、同時に厄介でもある。
ベネットの今日の訪問目的が、先日の法定点検の結果を通知することだと知っていたアキヒコは、「専門的なことしか書いていないので、アキヒコ様にはわかりませんよ」と受け流すベネットの前に立ちはだかる。
「わかるよ。もう小さい子どもじゃないんだから、難しい綴りだって辞書で調べるし……それにサーシャは僕のなんだから、検査結果はまず僕が聞くべきだろう」
「綴りが読めるのと文章の意味が正しく理解できることは、まったく別物ですがね。結果はサーシャに説明してありますから、あとで聞いてください。何より心配しなくたって、ほら、結果は〈特段の問題なし〉です」
テーブルに置いたままの検査結果の用紙を手渡してやると、アキヒコはほっとしたように顔一杯の笑みを浮かべる。かくしてようやくベネットは、狭苦しくリフトもない集合住宅の最上階を訪ねるという、本日一番嫌なミッションを終えたのだった。
その手には――サーシャやアキヒコには渡していない、検査結果の「追記事項」が握られているのだが。