6. 続・真夜中、映写室

「お、お、お、おまえ一体な、何を」

 アカリの声は、スピーカーから響く獣人の咆哮となんとも奇妙なハーモニーを奏でる。

 画面に夢中になっていた蒔苗はその声にようやく侵入者の存在に気づいたのか、自慰の手を止めて入り口の方を振り向いた。

「あ」

 間の抜けた声。しかし、もっと驚いてもいいはずなのに、いつもの能面づらは変わらない。そして一言。

「今いいところなんだから、ちょっと待てよ」

 呆気にとられたアカリを無視して、蒔苗は再び画面の、血みどろどころか今では獣人にぬらぬら輝く内臓すら引きずり出されている女の死体をじっと眺めながら、ペニスを握った。

 あ、けっこうデカそう。いや、そんなこと考えてる場合じゃない。

 一体何なんだこの状況は。くらくらする頭を両手で抱えて、アカリは苦悩した。蒔苗が、俺の野外セックス現場をのぞいた蒔苗が、そして口止め工作にも応じなかった危険人物蒔苗が、今、俺の目の前で安っぽいスプラッタ映画を見ながらオナニーしている。

 大事なことなのでもう一度言う。

 蒔苗聡が、

 スプラッタ映画で、

 オナニーしている。

 表情はほとんど変わらないが、蒔苗の頰には赤みが差しているし、半開きの口からは熱い息がこぼれている。激しく混乱しながらも「ああ、こいつでもこんな風になるんだ」と妙なところに感心している冷静な自分もどこかにいる。

 そう、冷静な自分としては、本来どうするべきか。これは間違いなく異常な状況で、もしかしたら今握られているアカリの秘密を上回るくらい恥ずかしくて知られたくないような話かもしれなくて。だったら例えば写真や動画を撮ればうまくいけば形勢逆転。

 ポケットのスマートフォンを握りしめて、アカリは――くるりと踵を返した。

 だって、こいつヤバい!

 男同士で青姦していたアカリに言えることではないかもしれないが、正直野外で睦み合うゲイと、スプラッタ映画の女の死体で抜く男、どっちがよりレアで、どっちがよりアブノーマルかといえば、間違いなく後者なのではないだろうか。

 こんな危ない性癖の持ち主とは関わってはいけない。本能は危険を察知してアカリに「たたかう」ではなく「にげる」のコマンドを選ぶよう訴えかけてくる。

 ちょうど蒔苗はフィニッシュ近く気持ち良さそうに目を閉じている。逃げるなら今のうちだ。アカリはそっとドアノブに手をかけ……。

「逃げるな、明里」

 なんと、自慰行為に集中しているようで、実は蒔苗はしっかりアカリを見張っていた。

「はい……」

 変態に逆らうと何が起きるかわからない。アカリは恐怖と嫌悪と諦観の中、ドアノブから手を離し、すごすごと部屋に戻って空いている椅子に腰かけた。

 蒔苗の手の動きが激しさを増す。時折大きな手のひらの隙間から真っ赤に充血したたくましいペニスがのぞき、どうしてもアカリはそれを横目で気にしてしまう。

 濡れて光る先端。スピーカーから流れる音さえなければ、きっと卑猥な濡れた音が響いてくるに違いない。

 そういえばあの日はこいつのせいで雰囲気が壊れて、結局イクことができないままだった。あれから何度か自慰はしたが、ゼミも開始し何かと忙しくて出会い系を利用する暇はなかった。

 硬くてでかいの、後ろに入れたらきっと気持ちよくて、すぐイっちゃうんだろうな……。そこで正気に戻ってアカリは慌てて妄想を打ち消す。

 待て、こいつは人のセックスを勝手に覗いた上にゲロを吐くような失礼なやつで、スプラッタ映画でオナニーするような変態だ。そんな奴相手に一体何を考えてるんだ。落ち着け。

 間もなく蒔苗は、スクリーンの惨殺死体を眺めながら射精した。そのまま余韻もなく、汚れたペニスをティッシュペーパーでさっと拭うと、下着とズボンを整える。

 抜いてしまえば用済みだとばかりにリモコンの停止ボタンを押すとDVDを取り出し、ケースにしまうが、その際ちらりと見えたタイトルは「恐怖! グリズリーマン ~月夜に響く美女の悲鳴~」。D級にもほどがある。

「あ、あのう、蒔苗くん」

 アカリは恐る恐る蒔苗に声をかけた。こんな奴と二人きりでいるのは嫌だ。一刻でも早くこの場を離れて家に帰りたかった。

「夜も遅いし、俺、そろそろ帰……」

「明里、俺の秘密を知って、弱みを握りたかったんじゃないのか」

 それはそうだ。でも、いくらなんでもこの状況は怖すぎるし、そもそも蒔苗の態度はとてもではないが「弱みを握られた」という殊勝な感じではない。

「いえ、秘密なんて何も。俺、何も見てないし」

 いそいそとリュックを背負い出て行こうとするが、そのリュックを背後から掴まれ、アカリは身動き取れなくなった。

「逃げるなって、言っただろ」