7. 蒔苗聡の秘密

 蛇ににらまれたカエル状態のアカリは、リュックを後ろから引っ張られたまましばらく硬直していた。しかし、いくら待っても蒔苗がそれ以上のアクションを起こさないので不思議に思いそっと振り向く。

 いた。

 いや、そこにいるのは当たり前なのだが、たった今までスプラッタ映画の惨殺シーンを観ながらオナニーに耽っていたとは思えない、一切の後ろめたさすら感じさせないいつもどおりの能面ヅラで、そこには蒔苗が立っていた。

「お、お邪魔しました。あ、あの、映画観ようかと思ってきたんだけど、お取り込み中みたいだから、俺、また出直すわ」

「遠慮するな。お取り込みなら、もう終わった」

「……さようですか……」

 そりゃそうですよね。気持ち良さそうに出してましたもんね。

 心の中ではそんなことをつぶやきながら後ろ向きに引きずられ、意味もわからないままにアカリは蒔苗と向かい合って椅子に座らされた。もしやこれが以前、奴の言っていた「誰にだって多少はある、人に知られたくない」ことなのだろうか。

「どうした、おとなしいんだな」

「え? どうして?」

「いや、てっきり鬼の首取ったみたいに喜ぶかと思ったから」

 アカリははっとする。そういえばそうだった。あまりの異常事態にすっかり忘れていたが、俺はこいつの弱みを握り返して再交渉するつもりだったんじゃないか。

 しかしそうしようにも、目にしたものがあまりに意味不明すぎてどう反応すればいいのかがわからない。

「蒔苗、失礼な質問なら申し訳ないんだけど、あの……さっきのって、何?」

「何って、おまえオナニーも知らないのか」

 蒔苗は即答する。しかもあんな場面を見られた直後のくせに、なにやらちょっと偉そうだ。アカリはとうとう大声をあげた。

「そういうこと言ってるんじゃねえだろ! なんであんなもん観てオナってたかを聞いてんだよ。突っ込もうにも意味わかんなすぎてとっかかりがつかめないんだよ! それくらいわかれよ」

 突如感情をあらわにしたアカリを、蒔苗はきょとんと見つめてくる。ああ、よく見るとまあそれなりに、普通の人の十分の一くらいは感情があるんだなこいつにも。アカリは妙なことに感心していた。まあそりゃそうか、性欲だってあるんだし。

 しかし言葉に出してみると改めて奇妙な状況だ。今どきネットでだっていくらでもエロ動画が拾える時代だ。たとえ蒔苗がものすごくシャイで、アダルトビデオを買ったり借りたりする勇気がないとしたって、わざわざスプラッタ映画の女の裸で抜くような必要が一体どこにある?

 すると蒔苗は相変わらず自信たっぷりに言い切った。

「なんであんなもん見て、って……それは俺がああいうので興奮するたちだからに決まってる」

「はあっ!?」

 ああいうの、の意味がわからない。ああいう、女? ああいう、シチュエーション?

 アカリが思いきり不審な目線を向けると、言っていることが伝わっていないことに気づいた蒔苗は改めて言い直す。

「ええと。俺は人が死んだ姿に興奮するんだ」

 今度は驚愕の声を上げる余裕すらなかった。

 ――人が死んだ姿に興奮だと?

 想像の遥かかなたをいく回答に頭の中が真っ白になった。アカリはそのまま微動だにせず、一言も発することができない。

 反応ゼロのアカリを不審に思ったのか、蒔苗はアカリの目の前でひらひらと手を振って見せる。さっきあそこを擦った後でウェットティッシュで拭いてはいたけど、洗っていない手。そして、なぜその手で奴が勃起した局部を擦っていたのかといえば、それは、あの画面の中で死んでいる女に興奮していたからだというのだ。

「人が、死んだ、姿に、興奮」

 改めて口に出してみるが意味が一切頭に入ってこない。しかし蒔苗は飄々としたものだ。

「そう。ほら、おまえが男とヤるのに興奮したり、ヤッてるところをさらに第三者の男に見せつけて興奮するのと同じで」

 さすがにアカリは反論した。

「一緒にすんな。それに俺は見せつけて興奮する趣味なんかない!」

「じゃあ、なんであのとき、わざわざ足上げたり、しごいたりして見せつけてきたんだよ」

「うっ、それは……」

 確かにアカリはあのとき、のぞき魔こと蒔苗に向かってわざわざ結合部を見せつけるような格好を取ったり、あからさまに自分のペニスをしごいたりして見せた。だが、それは。

「のぞかれてムカついたから、気づいてるよって伝えようとしただけだよ。外でヤるのは好きだけど、露出プレイは範疇外だ」

「なんだ、そうだったのか」

 蒔苗は驚いた様子だ。

 なんと、今日の今日までアカリはゲイで野外露出プレイを人に見られるのが好きな変態だと勘違いされていたのだ、しかも死体に興奮するようなド変態から。

「っていうか。おまえこそ、死体で興奮するのになんで男同士のセックスなんかのぞいてんだよ」

 アカリが問うと、蒔苗はひどく真剣な顔で答えた。

「生きてる人間のセックスに興味があって。ちょうど明里が男と手を繋いで歩いているのを見かけたからなんとなくついて行ったら外でヤりはじめたから、ちょうどいいやと思って。でもやっぱりダメだったな。おまえたちを見ながら自分がやってるところを想像したら気分が悪くなってしまって、吐いてしまった」

 要するに蒔苗は、男同士のセックスが気持ち悪かったわけでも、アカリのセックスが気持ち悪かった訳でもなく――。

「やっぱり俺は死んだ人間相手じゃないとダメみたいだ」

 そう断言する蒔苗はどこか爽やかにすら見えた。