一体、何が起こっているのだろう。
なぜ俺は今、こんな真夜中の映写室で、蒔苗と二人きりで互いの性癖について話をする羽目になっているのだろう。
アカリ自身、これまで性志向についてはそれなりのマイノリティに属するのだと思って生きてきたが、やはり世界は広い。この一見地味で目立たない無個性な大学生である蒔苗がなんと「屍体愛好者」だというのだ。死体に欲情する性向自体は聞いたことがあったが、正直アカリはそれをフィクションの世界のものだと思い込んでいた。
普段ならたちの悪い冗談でからかわれているに違いないと思ってしまうところだが、そこは何しろ、ついさっき蒔苗がスプラッタ映画で抜くところを見てしまった以上疑いの余地はない。野生のネクロフィリアという世にも珍しい生き物とアカリは今対峙しているのだった。
「あのさ、俺に言えたことじゃないかもしれないけど、それって結構変わった趣味だよな。どういうきっかけがあって……」
「じゃあ、明里はどういうきっかけがあって男が好きになったんだ?」
聞き返されてはっとする。「なんで」「どうして」はアカリにとっても聞かれたくない質問だ。一般的な異性愛者の中には少なからず同性愛を病気や障害だと思っていて、例えば「女を知らないから」「育て方が悪いから」といった理由をつけたがる人間もいる。しかし物心ついたときから同性にしかときめいたことのないアカリにとって、自然な心の動きを単なる経験不足や親の責任に転嫁されてしまうのは納得のいかないことだった。
「ああ、悪い。今のは言っちゃダメだった」
アカリは素直に謝った。マイノリティの気持ちはよくわかっているつもりでいるくせに、別種のマイノリティに対して自分が一番言われたくないことすらつい無神経に口にしてしまう。よくないことだと反省した。
だが、蒔苗はアカリの言葉に特段気を悪くしたわけでもなさそうだ。
「まあ要するに、一緒だな」
「一緒?」
目の前の男が何をまとめようとしているのかわからずアカリは首を傾げた。
「明里は、この世の男と女の二択で、男が好きなんだろう?」
「うん、まあ端的に言えばそういうことかな」
「俺は、この世の生きてる人間と死んでる人間の二択で、死んでる人間が好きなんだ」
「ええ……?」
筋が通っているようでなんとなく納得がいかない。
果たしてそれは等価で語ってしまえることなのだろうか。いや、こんなことを考えてしまうこと自体、マイノリティの自分がさらにマイノリティの蒔苗を差別しているということなのだろうか。
「うーん、ごめん蒔苗。俺ちょっと頭が痛くなってきた」
「頭痛なら薬持ってるぞ」
「いや、そういうんじゃなくてさあ」
さすがにここまでくればアカリも気づく。
地味とか目立たないとか友達がいないとか顔が能面とかそういう次元ではなく、蒔苗聡はちょっと――ではなく、すごく変わっている。もしかしたら最初から近づいてはいけない類の人間だったのではないだろうか。
いやいやいけない。こいつが人には言えない性志向を持っているからって、それを理由に近づいてはいけないなんて、そんなことをよりによって自分がやってしまうようでは性的マイノリティの失格だ。
アカリの心は激しく揺れた。蒔苗聡という奇妙な男に近づくことに感じる本能的な危険。しかし一方で、「同じマイノリティなのに」という理性が判断を難しくさせる。
しばらく悩んで、アカリはこう言った。
「とっ、とりあえず、俺は蒔苗がそういう性癖の持ち主だって誰にも言わないから、蒔苗も俺がゲイだってことは黙っててくれ。お互い普通に社会生活送りたいもんな。よし、そうしよう。で、お互い何も見なかったってことで忘れよう」
蒔苗が「男と女」と「生きている人間と死んでる人間」を等価に捉え、「ゲイ」と「ネクロフィリア」を等しくただの性的マイノリティと捉えているのであれば、この取引は公平なものなのではないか。アカリは蒔苗に干渉しない、蒔苗はアカリに干渉しない、これで互いの平穏は保たれる。
だが、蒔苗はアカリを簡単には解放してくれなかった。
「元々俺は、明里の秘密をばらしたりしないって言っているだろう。だからその点は心配しなくていい。そんなことより、俺はおまえに折り入って相談したいことがあるんだ」
椅子に座ったまま蒔苗はずいと体を前のめりに、アカリに近づいてくる。妙な迫力があって怖い。アカリは逃げるように椅子に座ったまま出来る限りのけぞった。
「あ、ええと、俺そんな、人の相談に乗れるようなタイプじゃ」
「おまえにしか相談できない。だって、同じマイノリティじゃないか」
「いや、でもマイノリティって言っても色々あるし。ゲイと死体好きじゃかなり違ってるんじゃあないかなあ……」
あはは、と笑ってごまかそうとするアカリに、蒔苗は真顔のまま言った。
「明里、俺はセックスがしたい」
「……はあ?」
アカリは椅子から転げ落ちた。