11. アカリ、蒔苗の部屋を訪問する

 アカリは陥落した。

 一回五万円の魅力は、日々の暮らしに汲々きゅうきゅうとするアカリにはあまりに強力すぎた。もちろんそれが天敵である蒔苗の申し出を受けるもので、しかもそれが蒔苗と「死体のふり」でセックスをするという奇妙奇天烈なものであったとしたも。

 その週の日曜日、アカリは蒔苗の住むマンションを訪れた。同じ大学の学生で一人暮らしをしている者の多くがキャンパス近くの学生アパート街に部屋を借りているが、蒔苗は違った。大学からは電車で二十分ほど、高層マンションの立ち並ぶそこはいわゆる高級住宅街だった。

 瀟洒しょうしゃなエントランスに足を踏み入れ、インターフォンで呼び出すとすぐに蒔苗は内側から解錠操作をした。セキュリティエリアに足を踏み入れエレベーターに乗る。

 共有部分はきれいに掃除が行き届き、芳香剤でも置いてあるのかふんわりといい匂いがする。超高級マンションというわけではないが、学生の一人暮らしには贅沢な物件であることは間違いなさそうだ。

 部屋の前のインターフォンを押すと、すぐに内側から扉が開いた。おそらく蒔苗は玄関で待ち構えていたのだろう。

「どーもー、デリヘルでーす」

「人聞きの悪いことを言うな」

「だって、やってることは一緒だろ」

 乱暴に靴を脱ぎ捨て部屋に上り込むと、蒔苗はしゃがみこんでわざわざアカリが散らかした靴をきれいに揃えた。男子学生の一人暮らしだというのにきっちり整った玄関には一足も靴は出しっ放しになっておらず、妙に几帳面そうな蒔苗の生活ぶりをアカリは率直に気味が悪いと感じた。

「学生のくせにいいとこ住んでんだな、ちょっと学校から遠いけど」

「大学の近くだと面倒だろ。下手すると溜まり場にされるし」

「溜まってくるような友達いないだろ、おまえ」

 思わず言葉に棘が混じるのは、蒔苗の生活に嫉妬しているからだ。日々バイトに明け暮れている自分はワンルームの古いアパート暮らしで、労働などしたことのないようなこの男は高層マンションで悠々と、しかも同級生の男を買うのに一回五万も払うというのだ。これぞ格差社会の縮図。

 とはいえ蒔苗が何も反応を示さないので内心アカリは焦る。もしかしてこいつも友達いないこと気にしてたりして。

「なーんてな。ま、確かにちょっと離れてるくらいの方が気楽だよな!」

 ……俺は一体何をフォローしようとしているんだ。

 思わず心にもない言葉が口から飛び出し、アカリは自己嫌悪に陥った。どうも蒔苗といると調子が狂ってたまらない。

 部屋は設備こそ新しくしっかりしているが、間取りは1LDKで外から見たほど広いわけではない。

「このマンションは世帯用から単身用までいろんな間取りがあるからな。分譲とはいえ投資目的で購入して賃貸に出す所有者も多いし」

 そう言いながら蒔苗はリビングのドアを開けた。分譲賃貸、投資、どれもアカリの世界からは遠い言葉で耳を素通りしていく。

 蒔苗の暮らしぶりになど興味はない――そんなふうに思ったのは、しかしリビングに足を踏み入れるまでだった。

「うっわ、何これすっげえ」

 アカリは驚愕の声を上げる。ソファーとローテーブル、そして大型の液晶テレビ。そこまではいい。問題はその周囲、壁全面に作り付けられたキャビネットと、その中にびっしりと並んだおびただしい数のDVD、雑誌、本。それは夢に見た「男の趣味の部屋」状態――もちろんそのほとんどが「蒔苗の趣味のコンテンツ」ではあるのだが。

 キャビネットに近寄り、ジャンル順、タイトル順にきっちり並んだDVDを眺める。もちろんアカリはスプラッタに興味はないが、こんな風に自分の好きなタイトルを手元にコレクションできることは正直言ってものすごくうらやましい。

「あれ、なんだよ普通の映画もあるじゃん」

 ホラー、スプラッタ映画にはボリュームの面で劣るが、キャビネットの一部は普通の映画に充てられている。戦争映画、スリラー、中には恋愛映画なども混ざっているようで、そういった「普通の映画」も蒔苗が集めていることにアカリは安心した。が、その安堵はすぐさま打ち砕かれる。

「ああ、スプラッタ以外でも意外と良い死体が出てくることがあるんだ」

「……あ、そう」

 要するに、蒔苗にとってはホラーやスプラッタといった人がバキバキ殺される映画が「ポルノ」で、ノーマルな人間が一般映画に出てくるお色気シーンにドキッとするのと同様に、一般映画の死体にもそれなりにときめいたりするわけだ。もちろんアカリには一切理解できない。

「明里、メシは? ピザならあるぞ」

「もらおうかな。腹減っちゃって」

 おお、まさか蒔苗に食事の準備をしておくだけの配慮があるとは。アカリは内心意外に思いつつ喜ぶ。

 今日は朝から夕方まで一日中引っ越しバイトで体力を使ったので、腹はペコペコに減っていた。それでも蒔苗との約束があったので、とにかくシャワーと着替えを優先したら食事する暇もなく夜十時を過ぎていた。

 しかし、ダイニングテーブルに案内されたアカリはげんなりする。

「普通さ、客が来るんだったら時間に合わせてデリバリー取るもんじゃないの?」

 そこには既に数切れ手をつけた形跡のある、冷めてチーズの固まった見るからにまずそうなピザが箱のまま放置してあった。