12. 冷めたピザ、そして錠剤

「蒔苗おまえさ、ホスピタリティって言葉を知らないのかよ」

 がっくり頭を垂れるアカリの姿も蒔苗にはまったく響いていないようだ。それどころかピザが冷え切っていることなど一切気にしていない様子で、椅子にかけると食べかけの一切れを手に取り口に運びはじめる。

 横にはコーラのグラス。おまえはガキか、アメリカ人か! アカリは心の中で激しいツッコミを入れながらも、できるだけ穏やかかつ控えめに蒔苗の非常識を指摘することにした。

「冷めたピザってまずくない?」

「俺は気にならないけど、温めたければ電子レンジを使っていいぞ」

「いや、いいです……おまえに常識を期待した俺が馬鹿だったよ」

 デリバリーのピザを温めなおしたところで決して焼きたての状態には戻らない。チーズや具材から出た油でびしゃびしゃになったピザを想像するとやはり食欲が減退して、結局アカリは蒔苗と向かい合って座り、冷めたままのピザを一切れ手に取る。

 だが、蒔苗はアカリに向かって、まるで邪魔なものを避けるときのように手を振った。

「あ、そこはやめてくれ。座るならこっちに」

「え?」

 蒔苗はアカリに、自分の隣の椅子に移動するよう言った。

 なんだ? もしかしてデートのときは向かい合うより隣に座った方が盛り上がるとかいう、あれか――と無駄にロマンチックなイメージを膨らませかけたところで、その妄想は針で刺されるように弾け飛ぶ。

「途中だったんだ」

 蒔苗は手元のリモコンでテレビの電源を入れると、隣にあるもうひとつのリモコンの「再生」ボタンを押した。

 画面に映し出されるのはもちろん、おどろおどろしい映像。手術台の美女と、彼女に襲いかかるマッドサイエンティスト。大きな刃物が彼女の豊満な胸に振り下ろされて――。

「いいかげんにしろよ!」

「なんだよ、いいところで」

 ブツッとテレビの電源を落とされ、蒔苗は驚いたようにアカリを見つめてくる。

 何が「なんだよ、いいところで」だ。アカリは取り返されないようリモコンを持った手を背中側に隠した。

「ダメに決まってんだろ。人とメシ食うときにグロいもんかけるんじゃねえよ。おまえの趣味は知らないけど、普通はあんなの目の前にしたら物食えなくなるの」

「……俺にとってあれは、明里にとってのポルノと同様の……」

「少なくとも俺は、エロ動画観ながらメシは食わない。だから、俺がいるときくらい我慢しろ」

 多少不満げではあるが、蒔苗は渋々アカリに従った。

 必然的に音のない部屋でぬるいコーラと冷めたピザという虚しい夕食を続けることになり、沈黙が苦手なアカリは話題を探す。ちなみにゴワゴワとした生地にプラスティックのようなチーズが張り付いたピザは飲み込むのにも苦労する代物だが、蒔苗は一切気にする素振りも見せず、黙々と食事を続けている。

「蒔苗、そもそもなんで俺なんだよ。五万も払うなら他でも探せるだろ。ほらコスプレ風俗とか」

 アカリが問うと、蒔苗はピザを口に運ぶ手を止める。そして躊躇なく答えた。

「もう試した。でもダメだった」

「えっ?」

 アカリは突如不安に襲われた。その道のプロフェッショナルのお姉さまで対処できないほど「死んだふりセックス」とは難しいものなのだろうか。

「一軒目では、首を締めたら男性スタッフを呼ばれて追い出されて、その際に今後は出入り禁止だと言われた」

「……まさかてめえ、俺の首も締める気かよ」

「大丈夫、締めるといっても軽くだから怪我したり死んだりはしない。で、二軒目では途中で相手が動くもんだから、『あ、こいつ生きてる』と思ったら気持ち悪くなって」

「気持ち悪くなって?」

「裸の彼女の体の上に吐いた。これも以後出禁だな」

 聞かなければよかった。アカリは軽率な自分を心底後悔した。

 いや、そもそも五万円という大金が払われるということは、それに見合った労力が求められるもしくは危険がついてくるということなのではないか。そう、この世にうまい話などそうそう転がってはいない。

 今宵、自分はこいつに犯されながら首を絞められたり、下手に失敗しようものなら体の上にゲロを吐かれたりするのか。アカリは食べかけのピザをそっと紙皿に戻した。

「明里もう食わないのか?」

「……食欲なくなった」

「少食なんだな」

 違うよバカ! と怒鳴る気力もなくテーブルに突っ伏す。するとコトンと音がして、頭の横に何かが置かれた。

 渋々顔を起こすと、そこにはストロングタイプの缶チューハイ、そしてシートから切り分けられた二錠の錠剤が置いてあった。