14. ひとりの朝

 苦痛の中で、じわじわと意識が戻ってくる。

 頭が痛い。割れそうだ。強烈に喉が渇いていて水を飲まなければ干からびて死んでしまいそうだ。でも、何か口に入れたら吐いてしまいそうなくらい気分も悪い。

 冷房を入れたまま眠ってしまったのか、やたら寒いし、体のあちこちがひりひりする。ちなみにセックスのときに使う部分もひりつく。要するに多分、満身創痍。

 なんだっけ。一体何でこんなことに……。指一本動かすのも億劫なだるさと痛みの中で、アカリはようやく重いまぶたを持ち上げた。

 見覚えのないシーリングライト。体自体は痛むものの妙に寝心地のいいベッド。そこで一気に前夜の記憶がよみがえった。

「あっ……の野郎!」

 大声を上げた拍子にひときわ大きく頭の奥が痛み、そのままベッドにうずくまる。

 アカリは昨晩、約束どおり蒔苗の部屋を訪れ、くそまずい冷めたピザをちょっとだけ食べてから、「安全は実証済み」の言葉と「初回七万円」にだまされて、缶チューハイで睡眠薬を飲んだ。そして、蒔苗としばしとりとめのない話をしながら次第に眠くなって……そこからは記憶がない。

 痛む頭を抱えながらそろそろと体を起こす。この時点ではっきりとわかるのは「だまされた」ということだ。何が危険がないだ、何が寝てるだけだ。朝の光の中で眺める自分の体は控えめに言っても悲惨だ。

 体のあちこちに細かなひっかき傷や噛み跡。ところどころわずかだが出血している場所もある。そして、身動きすると後孔にごわごわと違和感があるのは、もちろん固まりかけた蒔苗の精液だ。中で出すなんて聞いてないし、聞かれればダメだと答えたに決まっている。手加減無しにやられたのか中もひりひりと痛み、もしかしたらそこも出血しているかもしれない。

 ――やるだけやったら、上掛けの一枚もかけずこんな状態で放置かよ。

 そもそもが非常識でとんでもない契約なので、甘ったるい空気で夜明けのコーヒーといかないことくらいはアカリだってわかっていた。だが、これはあまりにひどい。傷をつけて、後始末もせずに放置して、こんな最悪な気分で目を覚ましたというのに謝罪どころか部屋には蒔苗の気配すらないというのはどういうことだ。一言文句をいってやろうと、アカリはベッドを出た。

 乱雑に放置された体とは対照的に、脱がされた洋服はきっちり畳んでベッドサイドに置いてあった。しかし汚れた体でこれを身に付けてしまえば帰りに着るものがなくなってしまう。仕方なくアカリは裸のまま部屋をでた。廊下にはひと気がなく、続いてドアを開けたリビングにも人はいない。

「いないって、どういうことだよ……」

 愕然とするが、とにかく喉が渇いていたので勝手に冷蔵庫を空け、入っていたペットボトルを勝手に取り出した。キャップを開け一気に喉に流し込むと、今度は強烈な吐き気に襲われる。

 アカリは慌ててトイレに走り、しばらくしゃがんだままで胃の中のものをすべて吐いた。

 胃が空になるとと少し気分が楽になったので、とりあえず汚れた体を洗うことにして勝手に風呂場に入る。熱いシャワーを浴びるとひっかき傷や噛み跡がひりひりと痛んだ。もちろん乱暴に使われた後孔も痛み、そこに指を入れて、直接流し込まれた精液を掻き出すときには思わず顔をしかめてしまうほどだった。

 脱衣所の棚で見つけたバスタオルで体を包んでリビングに戻る。

 一体あいつはどういうつもりなんだ。危険がないなどと嘘を言って、一方的で乱暴な行為で人を傷つけた挙げ句に、目覚めると家にいない。やるだけやって、正気に戻って自分のしでかしたことに驚いて逃げたとでもいうのだろうか。

 時計を見ると午前九時過ぎ。一限の授業はとっくに始まっている頃だ。入学以来一度だって講義を休んだことはないのに、とんだケチが付いてしまった。

 アカリはのろのろと服を身につける。まさかこんな目に遭うとは思わなかったが、お泊まりになることは想定内だったので、カバンには今日の講義に必要な荷物は入っている。直行すれば二限には間に合うはずだ。

 ため息をついて、昨晩以来ダイニングテーブルに置きっぱなしにしていたカバンを手に取ろうとして、アカリはふと気づいた。

 テーブルの上に、部屋の合鍵をおもり代わりにして一万円札が置いてある。手に取ると、ぴったり七枚、いずれも折り目の一切ないピン札。キャビネットのきっちり並んだDVDや妙に整った玄関やベッドルーム同様に、蒔苗の几帳面さを思い出させるそれは、今のアカリには狂気の証にしか見えなかった。