蒔苗と並んで歩くのは久しぶりのような気がする。というか、まともに二人で歩くこと自体はじめてかもしれない。
アカリが後を追ってきても蒔苗は特に嫌がる素振りは見せないが、だからといって嬉しそうでもない。要するになんの手応えもない。一方のアカリも勢いで一緒に出てきてしまったものの特に何か話題や目的があったわけでもないので、結局二人は黙ったまま大学の門まで並んで歩く。
やばい、何か話してきっかけを作らなきゃ。大学を出れば蒔苗は駅に向かうだろう。アカリのアパートは駅とは正反対なので、何か口実を作らない限りそこで別れておしまいだ。一歩進むごとにアカリは焦り、焦りが増すごとに何も話せなくなる。
正門が見えてきたところで、アカリはとうとう勇気を振り絞った。
「あ、あのさ、蒔苗。これから時間ある?」
「あるけど……」
ぱっとアカリの表情が明るくなる。しかし次の瞬間には自分の間抜けさに死にたくなる。
「けど明里、おまえ六時からバイトって言ってたよな」
言われてみればそうだった。指摘されはっとしてスマホの時計を確認すると、ファミレスのシフトが始まるまでなんとあと十五分しかない。さっきから蒔苗のことで頭がいっぱいで、バイトのことも時間のこともすっかり意識から飛んでいた。
「蒔苗、気づいてたならもっと早く言えよ!」
「いやだって、自分でついさっき言ってたんだから、まさか忘れてるとは思わないだろ」
――こいつ……。
いくらときめきを感じはじめたからといって、何もかもがあばたもえくぼとはいかない。アカリは蒔苗の優しさの欠片もない物言いに内心苛立つ。せっかくこっちが勇気を出して誘おうとしたのに一切の空気も読まず飄々と返してくるのも腹立たしい。
ここから店まで急いで十分。着替えの時間を考えるとギリギリだ。ああもう、せっかくのチャンスだったのに。しかし仕事をサボるわけにもいかず、結局アカリはそのまま蒔苗と別れ、走ってバイト先へ向かったのだった。
――なんか、格好悪いなあ、俺。
深夜までのバイトを終え、家に帰って冷静に自分の行動を振り返ると、がっくりきた。普段から決して自分が格好良いなどと思い上がっているわけではないが、こんなにも不器用で、物事を上手く運べないというのは想定外だ。
顔を合わせるだけで動揺して、一緒に帰るだけのことに緊張して言葉がでなくなって、挙げ句の果てには次の約束ひとつ取り付けられず。合宿で好きになって、そのままの勢いで一気に距離を詰めて付き合いはじめる、百合子のスピード感が羨ましい。
「これも恋愛経験足りないからかなあ。まあ、そもそもマークさんと蒔苗じゃ奇人変人度が段違いだしな」
ベッドに寝転がったままブツブツとひとりつぶやきながらスマートフォンを弄んでいると、指がふと触れていつも使っていた出会い系アプリが立ち上がった。蒔苗と自分の動画を見た日からなぜかすっかりそっちへの関心が薄れ、一度も開いていない。
アカリはそのままアプリの個人ページを開き、ぼんやりと過去の相手とのやりとりを眺める。どのやりとりもシステマチックで簡潔で無駄がない。互いの条件を出し合って、合意すれば待ち合わせの場所を決める。終わった後は一切の連絡なし。いろいろな相手との短いやり取りが画面にはたくさん並んでいる。
「なんだ、こう見ると結構あるな」
ここ数年で自分がそれなりのセックスの経験を積んできたことを改めて感じる。多分性体験の数だけで言えば蒔苗なんかの何倍も、何十倍も積み重ねているはずだ。しかし、ごく一部にはすごく良かったとか、逆に良くなかったとかで記憶に残っているものもあるが、改めて見るとアカリはほとんどの相手について顔すら思い出すことができない。
ただ、その場が楽しくて気持ちよくて、後腐れがなければ良かったはずなのに。
「ああ、愛のあるセックスがしてみたい」
しかも、蒔苗と。あの動画の中みたいに激しく求められて。
口に出して見るとその言葉は思ったより重く、ずしりとアカリの胸の奥にのしかかった。そして、アカリは数年来お世話になった出会い系アプリをたったの数秒の操作で完全に消去した。