28. だって、眠る自分に嫉妬するから

 そして二週間、アカリは連戦連敗を積み重ねた。

 あの日作れなかった焼きそばは「材料がもったいないから」と無理矢理押しかけて翌日に作ったが、これまで使われた形跡のないピカピカのキッチンで出来上がったのは、食べられないほどまずくはないものの感動するほど美味しくもないなんとも微妙な代物だった。

 それでも努力くらいは認めてもらえないかとおそるおそる感想を聞くと、即座に返ってきた言葉は「別に、普通」。こいつにお世辞を期待するべきではなかった、と自ら蛇のいる藪に手を突っ込んだことをアカリは心底後悔した。

 別に普通、という言葉のとおり、もくもくと焼きそばの皿を空にしていく蒔苗の表情は冷めたピザを淡々と腹に収めていくときのものと寸分違いない。果たしてアカリ作の焼きそばが冷めた宅配ピザと同じくらいまずいのか、それとも蒔苗の味覚自体がどうにかしているのか、さすがにそれを確かめる勇気まではない。

 家に行くこと自体は拒まれないから、どうにか距離を縮めようとアカリはやっきになった。

 しかし共通の話題は大学のことくらいしかなく、蒔苗好みのスプラッタ映画を一緒に観ようとすれば、もともとグロテスクなものへの耐性の薄いアカリが途中でギブアップしてしまう。ならばとリビングのコレクションの中から一般映画を選び出せば、作品中に出てくる蒔苗は本人言うところの「美しい死体」とやらが出てきた途端目をぎらぎらさせはじめるから、かきたてられるのは嫉妬心ばかり。

「なあ、どうしたらそんなに簡単に上手くいくの?」

 ついつい弱音を吐いてしまう相手は百合子だ。とはいえ電話はアカリからかけたのではない。マークと付き合いはじめて日も浅く誰かにのろけたくて仕方ない百合子は、最近毎日のようにアカリに電話をかけてきては、聞きたくもない自慢話を小一時間も話し続けるのだ。

 連日男相手に長電話なんか、ばれたらマークに怒られるのではないかと心配になるが、頭が完全にお花畑状態の百合子は「大丈夫よ、そんな心の狭い人じゃないもん!」と聞く耳をもたない。そんな調子で聞きたくもないのろけに付き合わせるのだから、愚痴くらい聞いて欲しくなる。

「え、何、アカリも恋愛中?」

 意外にも百合子は食いついてきた。

 そうだ、忘れていたが、女子というのは自分の恋愛話に負けないくらい他人の恋愛話も好きな生き物なのだ。だが、ここで下手に「うん」などと言って深掘りされたくはない。なんせ相手が男だったり、しかも変人というか蒔苗だったり、とにかく知られたくないことが多すぎる。

「……違うよ、聞いてみただけ。今後の参考に」

「なんだ。つまんない」

 幸い百合子はそれ以上相手については突っ込んでこなかった。代わりに、やや真面目な恋のアドバイスモードに入る。

「そうだな、でもやっぱりまずは気を惹かなきゃね。あと相手の喜ぶことをしてあげる」

「それでうまくいかなかったら?」

「当たって砕ける?」

「おしまいじゃん」

 あまりにも短いアドバイスに落胆を隠せないアカリに、百合子は恋愛の大先輩の風格たっぷりに言う。

「バカねアカリ。恋愛は意識させるところからはじまるのよ。いったん振られたって、相手がそれをきっかけに恋愛対象として意識しはじめたらこっちのもんよ。いつかは次のチャンスが来るんだから」

 百合子は、前の彼氏には一度振られてから驚異の粘りで三ヶ月後に付き合うことに成功したのだという。しかもその後は相手の方が熱心になり、最終的に性格の不一致を理由に別れを切り出したのは百合子の側だというのだから、なかなかの猛者だ。

 相手が一番喜ぶこと、か。電話を終えてアカリはため息を吐く。気を惹く試みはさんざんやって今のところどれも不調。百合子式に従うならば、次が「相手が一番喜ぶこと」でその次が「当たって砕ける」を試すことになる。

 蒔苗が何を一番喜ぶかなんて知っている。「二回だけ」という約束をしていたからか、あれ以来蒔苗は露骨に頼んでは来ないが、アカリが睡眠薬を飲んで目の前に身を委ねてやれば大喜びすることだろう。もしかしてアカリの来宅を拒まないのもあわよくばという気持ちがあるのかもしれない。

 でも、アカリの側には抵抗がある。だって、眠って抱かれたところで自分には一片の記憶も残らない。蒔苗は喜ぶだろうし情熱的にアカリを抱くだろうが、アカリからすれば抱かれているのは自分であって自分ではない、ただの抜け殻だ。きっとあんなセックスを繰り返しても、蒔苗は起きているときのアカリ、「生きている」アカリを好きになってなんかくれないし、アカリは自分自身に嫉妬して、どんどん傷ついていくだけだろう。

 ときどき無理矢理に迫ったらどうにかなるのかと頭をよぎったりもするが、もし、サプライズでキスした瞬間にゲロでも吐かれようものならきっと一生立ち直れない。考えれば考えるほど、蒔苗は難しい相手だった。