29. 欲求不満の行き着く果て

 息苦しいほどの草いきれに性感を掻き立てられるのは一体どうしてだろう。青臭い匂いや熱気が汗や精液を思い起こさせるからだろうか。気づけばアカリは公園で立ったまま後ろから貫かれ、揺さぶられている。

 ずいぶんお預けだったから狭くなっていたようで、挿入するときには苦しそうな、でも気持ち良さそうなうめき声が背後から耳をくすぐった。アカリもひどく興奮して、触れてもいないのに勃ち上がった性器からとろとろと大量の先走りがこぼれるのを止められない。

 ――あれ、なんかこれ、デジャブ。

 茂みの向こうからは誰かがのぞいているはずで、だから最後まではイケないはずで。でも、意識が飛びそうな快感の中なんとか顔を上げて周囲を見回してものぞき魔はどこにもいない。

 ――おかしい。だって、あいつがいるはずなのに。

 するとアカリを激しく揺さぶっている男が、背後から耳元によく知った声で囁きかけてくる。

「誰を探してるんだ? 明里」

 振り返るとそこには欲しくて欲しくてたまらない相手の獣のような情欲をたたえた瞳。そして突き上げる動きが激しくなる……。

 というのはもちろん夢だった。

 お盆を過ぎれば残暑というが、それも一昔前の話。アカリが子どもの頃は盆明けには朝晩涼しさを感じていたような記憶もあるのに、最近では八月下旬になってもまだまだ盛夏といっていいくらいの暑さが続く。これは世に言う地球温暖化のせいなのか、それともここがコンクリートに囲まれた都会だからなのか。

 冷房のタイマーはとっくに切れて、蒸し風呂になった部屋の中、アカリは目を覚まし当然のごとく落胆する。

 いいところだったのに。せっかく夢とはいえ、蒔苗に後ろから突いてもらってたのに! 思わず握りこぶしを作って枕を殴る。これはせっかくのいい夢が途中で覚まされた悔しさの分。それから枕にぼすっと顔から倒れ込む。これは二十一歳にもなって淫夢で目を覚まして、しかも下着を汚してしまった情けなさの分。

「……マジかよ。末期じゃん」

 望まざる禁欲生活の結果、とうとう蒔苗で夢精してしまった。しかもあの日未遂に終わった青姦の夢。いったいどれだけ自分は欲求不満なのか。一人しかいない部屋なのに、アカリはなんとなく周囲を気にしながらそっとパンツを脱ぎ、情けない気持ちで洗面台で汚れたそれを軽く洗ってから洗濯機に放り込んだ。

 セックスはずっとしていない。正確には一ヶ月くらい前に蒔苗と二度ほどしているはずなのだが、睡眠薬で眠らされていたアカリの側には一切の記憶がないのでノーカン。さらに半月ほど前に蒔苗に目撃された青姦は一応挿入はされていたが、結局出しても出されてもいないので実質ノーカン。その前はレポートやらバイトやらで一ヶ月ほど出会い系アプリを起動しない期間があったから……。

「ダメだ虚しくなるだけだ。考えるのやめとこう」

 アカリは軽く首を振って淫夢のことを頭から振り払うと、そのままシャワーを浴びて新しい下着を身につけた。

 だが、そもそも意識して振り払える程度の欲望であれば、わざわざ夢には出てこない。夢精くらいでは解消しきれないもやもやとした性欲は、その日一日アカリにまとわりついて離れなかった。

 普段アルバイト中にはそんなこと意識しないのに、お昼のピークタイムにフロアの手伝いに出ている最中、好みのいい男を見つけて自然と目で追ってしまう。シフトを終えて着替えているときには、同じタイミングで入ってきたバイト仲間の裸を見たらあらぬことを考えてしまいそうで逃げるようにロッカールームを出た。

 一体なんでこんな目に……惨めな気持ちでとぼとぼと帰路につくが、理由など考えるまでもない。

 ひとつ――、アカリは蒔苗のことが好きで、今のところはまったく気持ちが報われる気配がないものの、だからといって他の男と寝る気にはなれない。

 ふたつ――、一方的な操を立てているものの、蒔苗がアカリになびく気配は一切なく、睡眠薬を飲んで人事不省になって身を委ねない限りセックスしてもらえる見込みはない。

 みっつ――、そんなこんなでアカリはもう三ヶ月近くまともなセックスをしていないし、この調子だと今後もしばらくはまともなセックスはできそうにない。

 そこまで考えたところでプツッと頭の中で何かが切れた。いくら抱かれる側専門のゲイとはいえアカリにだって成人男子として人並みの、いやいや人並み以上の性欲がある。このままずっと清らかな生活なんて続けられるはずがないのだ。アカリはポケットからスマホを取り出す。

「もしもし?」

 数度のコールの後、蒔苗の声が聞こえてくる。しょっちゅう部屋を訪ねるようになって電話やメッセンジャーアプリで連絡を取る機会は増えた。ほとんどアカリの一方的な連絡に蒔苗が淡々と事務的に返すだけという虚しいやり取りではあるが、今朝も「今日は遅くまでバイトだから行かない」とメッセージを送り、それに対して「わかった」と一言だけの返事があった。

「おい、蒔苗」

「……何?」

 いつもどおりのそっけない声色。ノイズのように不穏な物音が混ざるのは大方またスプラッタ映画でも観ているのだろう。しかし今のアカリは気にしない。映画の邪魔なんかいくらだってしてやる。

「今から行くからな。何と言おうと行くからな」

「……酔ってるのか?」

「酔ってない。うるさい、首洗って待ってろ!」

 妙なテンションを酒のせいだと勘違いした男に啖呵をきると、一方的に電話を切る。湧き上がる欲望は狂おしく生々しく、もはや手に負えない。

 ――セックスがしたい。蒔苗とセックスがしたい。今すぐしたい。嫌がられてもゲロ吐かれてもいいからしたい。

 今ならまだ終電に間に合う。