ぬるりと柔らかく生温かい感触が指を包み、這い回る。少し遅れて強く吸い上げる動き。痛みを感じる間もなく訪れた異様な感覚にアカリは目が回り、そのまま卒倒してしまいそうだった。
指が、指が、指が……蒔苗に、俺の指が……。いや待てよ、指を舐められたくらいで動揺するなんてガキじゃあるまいし。ぐらぐらする体を何とか支えアカリは冷静を装って――といっても実際のところただ硬直していただけなのだが、指先の隠微な感触に浸った。
触れ合っているのはほんのわずかな場所だけなのに、そこからはこれまでに経験したどんなキスや愛撫よりも強い陶酔が生まれる。腰のあたりにかすかな疼きの予感があり、このまま続けたらきっと体が反応してしまうと思った。
指を引き離さなければという気持ちとこのまま身を委ねていたい気持ちのはざまで逡巡していると、不意に蒔苗の方からアカリの指を離した。はじまったときと同じくらい唐突であっけなく。
「なんだ止まらないな。あれ、唾液って止血じゃなくて消毒だったっけ……?」
飄々とつぶやくその目からは、あの情熱的な光はすっかり消え失せていた。
アカリは蒔苗の唾液で濡れた指を少しの間だけ凝視し、慌てて目をそらした。ちょっと頭を冷やさないと体が変な反応を示してしまいそうなので、気を紛らわすため、そして照れ隠しのために後ろから蒔苗の尻を蹴飛ばす。
「バカなことしてないで、さっさと絆創膏出せよ」
尻を蹴られた蒔苗はすぐに洗面所からタオルと救急箱を取ってきて、アカリにタオルを渡すと救急箱の中身を探りはじめた。
「蒔苗、やっぱりこういうのも好きなの?」
タオルで指を押さえながら、動揺のまだ収まらないアカリが訊ねる。
「こういうのって?」
「出血とか流血とか」
「どうだろう、あんまり考えたことないな」
――でも、確かにさっきの目は、「あのとき」と同じだった。
ただでさえ厄介なのに、これ以上妙な性癖は勘弁して欲しいと心から願う。反面で蒔苗の行為に反応しそうになった自分もいるわけで、このままだと変態に引きずられてどんどんおかしな方向にいってしまいそうでちょっと怖い。
最初は怪我をしたショックで、続いては蒔苗に指を吸われたショックで痛みを感じずにいたアカリだが、正気に戻ればじわじわと指先が痛くなってくる。切り傷もそれなりに深いのか、なかなか出血が止まらず押さえたタオルに血の色が染み出してきた。
「気持ち悪い。貧血かも」
「大げさだなこの程度で……」
「おまえみたいにグロい映画ばっかり観てないから、免疫がないんだよ」
ようやく血が止まり、患部を絆創膏でぐるぐる巻きにするまでに十分近くかかった。それからもしばらく気分が悪いからとソファーに寝転がっていたアカリは、ぐうっと胃が空腹を訴えるのを聞いて、自分がそもそもここに何をしにきたのかを思い出した。
「はっ、料理!」
しかし、蒔苗に目をやると既にラップトップでピザ屋の注文ページを開いている。アカリは慌てて駆け寄って、無理矢理横からパソコンを閉じようとした。何しろ、今日ここに来たのは普段宅配ピザばかりの哀れな食生活を送っている蒔苗に昼飯を作ってやり、胃袋と心をつかんでやろうというのが第一の目的だったのだ。このまま終わるわけにはいかない。
「……いやだ、俺は焼きそばを作る……」
アカリは往生際悪く主張するが、ここは蒔苗が譲らない。アカリの手をつかみ、絆創膏の内側から濃く血がにじんだ指を目の前につきつけてくる。
「無理だろ、傷口が開く」
手を、蒔苗が俺の手を握って――アカリは抵抗手段を失う。
そして三十分後、二人は並んで毎度の如くデリバリーのピザを食べていた。アカリの積極攻勢第一弾は惨めな失敗に終わったのだった。