30. アカリ、襲撃

「なんだ、やっぱり酔ってるじゃないか」

 玄関先に現れたアカリを見て、蒔苗は呆れたように言った。それは決して誤解でも間違いでもない。

 今から行くと威勢良く電話を終えて、勢い込んで終電で蒔苗のマンションの最寄駅まで来たものの、当初の興奮が冷めるにつれて本当にこれで良いのかという不安が湧き上がる。アカリは、再びテンションを上げるために近所のコンビニで適当に度数の高価そうな酒を買い漁り、店先でぐっと一本飲み干してからここにやってきたのだ。

「十一時までバイトって言ってたから、終わってまっすぐここに来たんだろう。一体どこに酔っ払うような時間的余裕が……」

「うるさい! 人間、五分十分あれば酒に酔うことくらいできるんだよ」

 蒔苗は明らかに面倒臭そうな顔をしている。確かに、優しく酔っ払いの相手をしてやる蒔苗など想像もできない。ゼミの歓迎会の時も、百合子に普段同期の飲み会に顔を出さない理由を聞かれて「共通の話題がないから」に加えて「酔っ払いが鬱陶しい」と話していたような気がする。

 しかし、今のアカリは多少うざったく思われるくらいのことは気にしない。追い返されないのをいいことに靴を脱いで勝手に上り込むと、手にしたコンビニのビニール袋から酒の缶を取り出して無理やり蒔苗の手の中に押し込む。

「ほら、蒔苗も飲めよ。俺の奢りだから気にすんな。……あれ、待てよ?」

 自分も蒔苗も酔っていれば意外とすんなりことに及べるのではないかと思って買った酒だが、よくよく考えれば蒔苗は飲み会でもほとんど酒を飲んでいなかった。酔った頭でもそんなことだけは思い出せるもので、すると蒔苗は酒が苦手もしくは酒に弱いということなのだろうか。

「もしかしておまえ、酒に弱い? だったらダメだ。返せ」

 無理やり押し付けた缶を今度はひったくるように取り返す。一方的なやり取りに付き合っていられないと思ったのか、蒔苗はアカリを無視してリビングに戻って行く。背後から追いかけながら、アカリは言った。

「だって、酔ったら勃たないかもしれないもんな」

「……明里?」

 ストレスマックス、一日立ち仕事をした疲れもマックス、そこにアルコールを流し込んだ結果、今のアカリには恥も外聞もプライドもなかった。怪訝な顔で振り向いた蒔苗の腕をつかみ、アカリは一気にまくし立てる。

「あのさ、蒔苗。俺はセックスがしたいの。すごくセックスがしたいの。溜まって溜まって、とうとうエロい夢見てパンツ汚すくらい追い詰められてるんだよ!」

 能面のような表情すら歪む勢いで蒔苗がドン引きするのがわかった。しかし、知るかそんなこと。第一、蒔苗に「セックスがしたい」「死体のふりしてセックスさせろ」と迫られた時のアカリは、今の蒔苗の十倍も百倍もドン引きしたのだ。だから蒔苗もこのくらいのことは甘んじて受け入れるべきだ。

「お、落ち着け明里。それに、そんなこと俺に言われても」

 蒔苗は腕をつかまれた状態のままアカリを引きずってリビングまで連れて行き、ソファに座らせた。大型テレビの画面には一時停止中の「死んだ美女」。

 なんだよ、こいつもオナろうとしてたところなのか? しかもこんな画面の中の女相手に。考えたら腹が立って、アカリは蒔苗をきっと睨みつけてから、リモコンを取り上げてテレビの電源を落とした。

「なんだよ人ごとみたいに。誰のせいだと思ってるんだよ。お前は人が寝てるのいいことに獣みたいに盛って好き放題したくせに。金払ったからって上から目線か?」

 ソファーからまくし立てるアカリを持て余したように、蒔苗は立ったまま爪を噛む。初めて見る仕草だが、子どもっぽくて妙に可愛くも思えてくる。

「水か? それともちょっと横になるか?」

 うろたえる蒔苗は珍しい。自分がめちゃくちゃなことを言っているのはわかっているが、それで蒔苗が振り回されているのが面白くてアカリは調子に乗った。

「どっちもやだ」

 そう言って立ち上がるとふらついた。ふらついた勢いで、キッチンに水を取りに行くつもりなのか、アカリに背を向けている蒔苗に後ろからぎゅっとしがみついた。温かい背中。こんな風に触れるのは初めてだ。

「助けて蒔苗。欲求不満で死にそう。自分の手じゃおさまんない」

 耳元に向かってそう絞り出して、背中に抱きつく腕に力を込める。無理やり引き剥がされるかと思ったが、意外にも蒔苗はアカリに抱きつかれたまま、しばらく思案しているようだった。

 そして言った。

「そうだな。セックスはできないけど、手伝うくらいなら」