38. 寝覚めは最悪

 月曜の朝、アカリの寝覚めは最悪だった。

 今週は睡眠薬も飲んでいなければ、寝ている間に体を弄ばれてもいないのに――というか、むしろそれがなかったせいなのかもしれない。眠りが浅くてずっと変な夢を見ていた。内容ははっきりと覚えてはいないが、蒔苗と百合子とマークと赤ん坊が出てきたような気がする。

 スマホを手にして時計を見ると、まだ大学に行くには時間に余裕がある。そして、昨晩送ったアカリのメッセージに、蒔苗からの返事は来ていなかった。

 期待などしていない。それでも、がっかりしてしまうのが恋なのだ。アカリが蒔苗への恋心を持ち続ける以上、こういった感情も併せて受け入れる以外ない。

 普段は家でテレビをつけることがないアカリだが、音のない部屋にいるのも気が滅入るのでリモコンを手に取りスイッチを入れた。チャンネルボタンを順々に推して行くが、時間的にどこも似たような情報番組しかやっていない。

「つっまんねえ」

 アカリは適当なところで手を止めて、芸能人の不倫やら、政治家の疑惑やら、代わり映えのない内容を垂れ流すままにした。しばらく経ったところで、番組の司会者がふいに話を途切れさせる。

「えー、ここで速報です。××駅近くの歓楽街ホテルで、女性の遺体が発見されたという情報が入りました。身元、詳細などは不明ですが、近くでは先日もホテルで女性が絞殺される事件が起きており――」

 アカリはそこでテレビを消した。ただでさえ暗い気分の今、殺人事件の話など聞きたくない。

 昼前になってメッセージに開封の印がつき、午後大学で蒔苗に会った。アカリは内心どきどきしていたが、蒔苗の様子は普段と変わらない。

「ごめん、昨日は」

「いや別に。滝とは会えたのか?」

「うん……」

 何の話だった? と聞かれたらどうしようというアカリの懸念は取り越し苦労だったようだ。他人に興味の薄い男らしく、蒔苗はそのまま自分の作業に入ってしまう。しかし会話がそれで終わってしまうのが寂しくて、アカリは蒔苗の作業中のパソコン画面を覗き込む。

「あ、ゼミのホームページの更新してるんだ?」

「うん、夏休みに作った冊子のデータとか、シンガポールのワークショップで作った映像とか載せておこうと思って」

 ただのスプラッタ映画オタクのくせに、蒔苗は意外とこの手の作業をそつなくこなす。以前「どこでホームページ作りなんか覚えたの?」と聞いて見たところ、高校生の頃にホラー・スプラッタ映画専門のホームページを開設したことがあるのだと言っていた。理由は「サイトを作ると人が寄ってきて、未知の良作品を教えてくれるから」。

「蒔苗って面倒くさそうに見えて、意外と単純だよな」

「単純って、明里には言われたくない気がする」

 アカリ自身も自分が単純だということは自覚している。でも、死んだ人間に惹かれるからといってひたすらその道を突っ走り続ける蒔苗のまっすぐさはアカリにはないものだ。

 いや、よくよく考えればこのスプラッタ映画に傾ける情熱は蒔苗の場合マニア心ではなく性欲を源泉としている。そう考えると――やっぱり、こいつってむっつりスケベだよな。ディスプレイをまっすぐ見つめる蒔苗の横顔をちらりと眺めて一人顔を赤くしたところでスマホが震えた。

 ポケットから取り出すと、百合子からメッセージが届いている。内容は「やっぱり妊娠確定だった」という文字列に、涙を流す人物のアイコンが添えられている。

「そっか」と呟いて小さくため息を吐くと、蒔苗がアカリに顔を向けた。

「何が?」

「あ、いや。何でもない。ちょっとゆりっぺからメッセージが」

「滝、月曜にいないの珍しいな」

 蒔苗が百合子の行動に言及するのも珍しい。しかも毎週月曜には百合子がここに来ることを把握しているとは、見ていないようで意外と人の行動をチェックしているのだろうか。

「そうかな。なんか体調良くなくて、今日休みだって」

「見舞いに行かなくていいのか?」

「いいのいいの大丈夫そうだから! それより蒔苗、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけどさ」

 同じ部屋にはマークもいる。状況が状況だけに深く突っ込まれたくなくて、アカリは性急に百合子の話を打ち切ろうとした。そして、マウスを握る蒔苗の手を見てふと気づく。

「蒔苗どうしたの、引っ掻き傷できてる」

「ああ、なんでもない」

 蒔苗は少し慌てたように手の甲を隠そうとした。