39. 秘密の重さはどのくらい

 秘密なんて、ひとつあれば十分だ。

「なのに、なー……」

 アカリは大きくため息を吐く。長年「自分はゲイである」という大きな秘密を背負ってきてそれだけでも十分重荷なのに、ここ最近は続けざまに隠さなければいけないことが増えすぎだ。

 蒔苗との関係。これは絶対に誰にも言えない。ただし蒔苗自体があんな人間なので、普通にしてさえいればまずバレる心配のない秘密ではある。

 マークと百合子の関係及び百合子の妊娠。これも時間の問題だ。反応が怖いと腰の引けた百合子をなだめてすかして、できるだけ早く打ち明けると約束させた。大学院進学を予定しているマークとまだ三年生の百合子の二人では家庭を持つという判断にもそれなりに勇気がいるだろう。気持ちの良い話ではないが堕胎の可能性が排除されない以上、打ち明ける時期が遅くなれば遅くなるほど状況は悪くなるばかりだ。

「ゆりっぺは、どうしたいの?」

「マークのことは大好きだし、もし何年も付き合ってたら、もしかしたら結婚とかも考えてたかもしれないけど、正直よくわかんない。まだ体調にもそんなに影響が出てないから、妊娠の実感もないし」

 そう言われたときには煮え切らない奴めと思ったが、実際自分が百合子の立場だったら同じように戸惑うのだろうと思う。

 そういえば、人工的な中絶っていつまでできるんだろう。ふとそんなことが気にかかって、アカリはスマホのブラウザを立ち上げて検索してみた。

「えーっと、二十二週まで可能だが、母体への負担等を考えればできるだけ早いほうが……」

 医療サイトの情報を真剣に読み進んでいると、背後からぽんと肩を叩かれた。

「おい、明里」

「うわあっ!」

 慌てふためき思わず取り落としたスマホが勢い余って宙を舞い、運悪く蒔苗の手の中にぽとりと落ちた。

「人工妊娠中絶……」

「見るなっ!」

 アカリは思わず大声を上げ、蒔苗の手からスマホを奪い返す。危ない危ない。いくらこいつが噂をばらまく友達すらいない変人だろうと、妊娠の話をばらしてしまうのは百合子との信義則に反する。しかもまだ子どもの父親であるマークすら知らないことを。

「……人のスマホ見るなよ」

「見たんじゃない、見えたんだ。そんなに見られたくないものなら、人の手の中に放り投げてくるなよ」

「うっ」

 正論に、返す言葉もない。

 ――ゆりっぺ、早くすべてを白日の下に晒してくれ。アカリは心の中で祈った。少なくともこういう貰い事故的な、アカリ本人の利害には一切関係のない秘密だけでもさっさと手放してしまいたい。

「んー、疲れた」

 気疲れからソファに伸びてしまったアカリに、珍しく蒔苗が気遣う言葉をかけてくる。

「明里、疲れてるなら今日はやめとくか?」

「えっ?」

 驚くのはアカリだ。百合子の電話でせっかくの夜を台無しにされてから一週間。今日はリベンジのつもりでやってきた。ちゃんと百合子にも「今日は絶対に、泣きながら電話かけてきても行かないからな!」と断言してある。なのに「やめとくか?」なんて、そんなの絶対に嫌だ。

「え、いいよ。疲れたってのはただの言葉のあやっていうか、あの、別に本当に疲れてるわけじゃなくて……」

 どうにも言い訳がましくなってしまうのが我ながら苦しい。しかし蒔苗にやる気をなくされたくないアカリは必死なのだ。

「そうだ、もう飲む。薬飲む。どこだっけ」

 ソファから起き出して、自ら薬を取りにキッチンへ向かうアカリの背中に、蒔苗の不審そうな視線が突き刺さり痛いほどだ。

「そこだよ、左の引き出し」

「あ、あった。これこれ」

 目指す薬を見つけ出し、急かされるように錠剤を口に放り込み、水道水で飲み下すと少しだけほっとした。

「いいのか、本当に?」

「何だよそれ。そのために来たのに。もう薬飲んじゃったんだから、今更なしとか、絶対言わせないからな」

 リビングに戻るとアカリはソファにごろりと横になり、座る蒔苗の膝に頭を乗せた。

 ――なんだよ、そんな躊躇するみたいなこと、今まで言ったことないのに。些細な言葉にアカリが不安になることを知らないから、蒔苗は気軽にこんな無神経なことを口にできるのだ。腹立たしさが湧き上がる。

 アカリはいつだって不安だ。「死体としての自分」にしか向けてもらえない欲望や情熱と、「死体ごっこ」のお礼に自慰を手伝ってくれる指先。もしかしたら蒔苗のちょっとした心変わりや気まぐれでそれすら失われるのではないかと思うと怖くてたまらない。

「無神経」

 アカリは真上に向けて手を伸ばし、ささやかな復讐として、愛しく憎い男の鼻をぎゅっとつまんでやった。

 そういえば、一番重い秘密。

 俺がこいつを好きなこと。