41. もしかして、飽きられてる?

 蒔苗の部屋に持ち込んでいた洋服では首にくっきりついた指の跡が隠せなかったので、一度家に帰ってからタートルネックに着替えた。だがいくら十月とはいえ陽気が続いている中では暑いし、大学でも浮いてしまう。

「アカリ、どうしたの厚着して」

「ああ、風邪引いたみたいで喉が痛いから」

 登校してから授業を二つ受けてゼミに向かうまでの間に友人知人と同じやり取りを十回は繰り返した。しかし多少妙な服装をしていても、不審に思われはしても誰にも邪魔はされない大学はまだましで、不安なのは制服のあるファミレスのアルバイトだ。

 アカリが主に担当しているのはキッチンなので、コックコート……の襟ではさすがに隠せないだろうが、汗止め用のスカーフを少し上の方に巻けばなんとかなるだろうか。でも、ピークタイムにはホールのヘルプを頼まれることもあるから、その場合はどうしたものか頭が痛い。絆創膏、いや不自然すぎるか。

「ちわーっす」

 やる気のない挨拶で部屋に入る。珍しく誰もいない。アカリは自分の机に座りパソコンを立ち上げる。百合子の机に手鏡があったので取りあげて、タートルネックを捲った自分の首の辺りを映してみる。当然ながら数時間でアザが消えるわけもない。

 参ったな、と独りごちてため息をまたひとつ。見える場所に跡が残るようなことはやめてくれ。蒔苗に会ったらそう言うつもりだったが、時間が経つにつれて弱気にとらわれていく。最初に体を委ねた翌朝は、ひどい扱いに怒り狂って殴りつけてやったものだが、あのときと今では事情が全然違っている。

 嫌なことを嫌だというのがこんなに難しいなんて、知らなかった。

 見えるところにアザはつけるな、危ないから首を絞めるのはやめろ。口にするのは簡単だが、今のアカリはそういった要望を伝えることすら躊躇してしまう。正直に言えば、蒔苗に「面倒くさい」と思われることが怖いのだ。いや、本当に怖いのは「面倒くさい」の先にゆらゆらと見え隠れする「そうまでしてアカリを相手にする必要はない」という選択肢だ。

 愛ではない恋でもない歪な関係であっても、それしかないのならすがりつくしかないのだ。

 蒔苗は嗜好を満たす性行為にひどく飢えていたし、求める内容のマニアックさからして自分以外に応じるバカがそうそういるとは思えないが、例えば蒔苗がアカリに飽きて他を探すということ自体はありえない訳ではない。

 アカリははたと考える。これまでなかった首の圧迫痕自体が、もしや何かのメッセージなのではないか。蒔苗なりにアカリとの行為にマンネリを感じていて、だからこそ刺激を求めて強く首を絞めたのだとすれば?

「飽きるだと? まさか……いや、でも」

 恋する人間特有のネガティブ思考で、アカリの心はずんと重くなった。

 大学のパソコンに検索履歴を残したくないので、スマホで「セフレ マンネリ」「セフレ 飽き」などといった語句を検索しては暗い思いを深めていると、勢いよくドアが開いてマークが入ってくる。

「やあ、アカリ。どうしたの? 厚着して暗い顔して」

 暗い顔の半分はあんたと百合子のせいだよ、と言ってやりたい気持ちをぐっと飲み込む。この脳天気な顔からして、きっと百合子はまだ妊娠について話をしていない。

「風邪引いちゃったんです。喉が痛くて」

「確かにちょっと声がかすれてる気がするな。バイトの入れすぎで疲れてるんじゃないの?」

「いや、そういうんじゃないです」

 マークは普段アカリの隣の机を使っている。パソコンを立ち上げて、気分が乗るまでひとしきりネットサーフィンをするのが彼の決まりだ。ポータルサイトを開いて眺めながら、マークは「ねえねえ」とアカリに声をかけてきた。こういうときは大抵、お気に入りの映画監督の新作が発表されたか、動物系の癒やし動画を見つけたかのどちらかだ。しかし今日は珍しくそのどちらでもなかった。

「アカリ、これ見た? 割と近くだよね」

 指し示されたそれは、今朝方アカリも情報番組で見かけた女性絞殺事件に関する記事だった。大学からほど近い――というか、蒔苗の家から数駅先にある歓楽街のラブホテルで、続けざまに女性の死体が見つかっているというものだ。被害者は今朝で三人目。いずれも首を絞められて殺されている。

「日本は安全だと思ってたけど、こんなジャック・ザ・リッパーやブラックダリアみたいな事件も起こるんだね。怖いけど創作魂がちょっとうずくな。ネットじゃ『月曜日の絞殺魔』って呼ばれているみたいだ」

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