45. 絶望、そして大作戦

 神様、どうしたらいいでしょう。俺の好きな人は連続猟奇殺人犯かもしれません。

 アカリは決して信心深い方でないどころか、実家が世話になっている寺が浄土真宗なのか真言宗なのか果たしてもっと別の宗派なのかすら知らないくらいの人間だ。だが、そんなアカリでも神の名を呼びたくなることくらいある。

 蒔苗にどう切り出すか。いや、普通に切り出したところで「うん、俺が殺した」とすんなり話してくれるとは思えない。一体どうしよう。思い悩んで眠れない日々はさらに続き、金曜にはふらふらになっていた。

 そして、追い打ち。

「あのさ、今週の日曜なんだけど」

 いつものパターンでいけば、先週は蒔苗のための「擬似死体セックス」しかしていないので、今週は蒔苗がアカリの自慰を手伝うか、もしくは二人の欲望を満たす行為の両方を行うかのどちらかになるはずだった。しかし、アカリ同様どこか疲れたような、少しぼんやりした蒔苗は言った。

「悪いけど、今週はなしで」

「えっ? なんで?」

「ちょっと、用事ができた」

 嘘つけ! とアカリは心の中で叫ぶ。バイトもしてない、友達もいない蒔苗に日曜の晩にどんな用事があるというのか。

 ――あ、あった。

 蒔苗が「月曜日の絞殺魔」なのだとすれば、それは十分すぎるほど十分な用事になる。と同時にそっちの要件を優先してアカリとの予定をキャンセルをするならば、やはりアカリは本物の死体に負けてしまったということになる。

「く、悔しい」

「どうした?」

「なんでもない……。わかった、今週は行かない」

 そそくさと蒔苗から顔をそらし、ひたすらに悔しさを噛みしめる。

 ネットで見た被害者の写真は、どれもそれなりに可愛い女性ばかりだった。なんだよ死体なら男女の別なくって言ってたのに、結局おまえも可愛い女の子が好きなのか。俺じゃダメなのか。

 悔しい。あきらめきれない。それに捜査網が張り巡らされた今、蒔苗が犯行に及ぼうとするのならば、それはとても危険だ。

「よし」

 アカリは心を決めた。

 日曜、引越しのバイトが終わってから家に帰り仮眠をとる。とはいえ神経が昂ぶっていてほとんど眠れないまま目覚ましをかけた一時には起き出す。絞殺魔の犯行時刻は大体が朝の五時から六時の間、ホテルへのチェックインは三時から四時くらいだと記事で読んだ。

 アカリは、現場近くを張るつもりだった。ホテルに入るより前に蒔苗を見つけて、今日の犯行を止める。どうしても死体とやりたいなら自分の体を差し出したっていい。アカリの中でも正直、蒔苗がたとえ死んでいるとしても他の誰かとセックスをするのが嫌なのか、それとも蒔苗が殺人犯として捕まってしまうのが嫌なのか、よくわからない。ただ、とりあえずこんなことは終わりにさせたいと思う。

 季節は十一月に入り、夜はかなり冷えるようになってきた。目立たない格好で、少し厚着をして家を出る。終電は終わっている時間帯なので、もったいないがタクシーに乗った。途中、運転手も「月曜日の絞殺魔」の話を口にした。

「怖いねえ、もしかしたら今日もあるかもしれないだろ」

「さあ」

「お兄さんももしかして雑誌の人か何か? こんな物騒なときに、あの辺りに行こうだなんて物好きだね」

「ええ、まあ」

 アカリはどう答えればいいのかわからず、愛想笑いで答えた。

 現場周辺は歓楽街であるとはいえ、月曜早朝というのは一番人が途切れる時間帯でもある。張り込みの刑事やマスコミがいるのかもしれないと思っていたが、予想外に人通りは少なくて、アカリもどこをどう歩いて何をすればいいのかわからなくなる。何しろ「とにかく現場で蒔苗を捕まえる」以外のプランはなく、半ば勢いで来てしまったようなものだ。

 とりあえず犯行現場になった三つのラブホテルの場所を確認して、だったら今回は通りを違えたこちらだろうか? などと適当な予想をしては薄暗い路地を歩く。エリア自体がそこまで広いわけではないので、ぐるぐると同じところを歩き回っているうちになんだかアカリの方が不審者のような気分になってきた。次第に体が冷えてくる。指先が冷たい。耳たぶが冷たい。フード付きの上着を着てくるべきだったかもしれない。

 特段の収穫がないまま午前四時を回る。さすがに歩き回るのにも疲れて着たアカリは、自動販売機でホットコーヒーを買うと、路地の段差に座り込んだ。コーヒーの缶を両手で包むように持つと、温かさが伝わり凍えた指先がじんわり解けるようだった。

 かじかんだ手の感覚が戻ったところで、スマホを取り出し、アドレス帳から蒔苗の名前を呼び出してみる。

「どこにいるんだよ……ったく」

 気のせいならいい。今頃家で寝てるか、好きなスプラッタ映画観ながらオナニーでもしていてくれるなら、それが一番いい。でも、もしかしたらアカリの気づかないうちに蒔苗は、この近くのどこかのホテルに女性を連れ込んで、首を絞めて、その体を抱いている……。

 ――嫌だ。嫌だ、嫌だそんなのは絶対にダメだ。こんなに好きなのに。あんな鈍感で変人で危ない男のこと、こんなにも好きになれるのは絶対に自分しかいないのに。なのに、どうしてうまくいかないんだ。

 絶望にかられて、そろそろ帰ろうかと立ち上がったとき、誰かが背後からアカリの肩を叩いた。

「ひっ!」

 考えごとに耽っていたアカリは、後ろからの接近に気づいておらず、虚をつかれたことに驚いて思わず叫び声を上げそうになる。

「……大きな声を出すな」

 蒔苗ではない誰かの声が低く告げ、後ろから回された手がアカリの口をふさぐ。薄れゆく意識の中で最後に思ったのは「あ、死ぬ」、そして「どうせ死ぬんなら蒔苗に殺されたかった」ということだった。

 そして、アカリは意識を手放した。